2021/09/04 記
----------------
先日母が長居した藤沢の小物屋の嫁さんが、注文の硯と花墨を届けてくれた。義母の友人として母は、嫁さんともお付き合いしていた。昼前に現れたので事情を説明、藤沢のお店で、母の一時預かりをしてくれないかと頼みつつ、私が作ったカレー南蛮うどんを食べてもらった。渡りに船の出会いだったのだ。
母の居ぬ間に、15時からのサポチガ全体会に参加。さぽちが20周年記念企画の相談。
市民活動の記録アーカイブ作り
こどもファンドの設立
この2点。前者はデジタル化せず、選択に価値判断をくわえつつ、紙メディア、印刷書籍化するもの。この手の企画は労多くして資料の死蔵に終わることが多く、資料選択判断とリンクした索引作りに力を配分させることが大事。索引の工夫は、外から図書館学者とか司書・編集者のプロの協力を考えた方がいいと助言した。
こどもファンドは、学齢期のこどもの自主的慈善活動を金銭支援するもの。こどもの夢実現支援の価値ありとか。
どうして元気な優れた子に対象を閉じた、上積み応援の発想しかできないのか。困っている子、追い込まれている子は、いつも地域コミュニティから無視されていくのか。応援すべきは彼らも同じ。一例だが人材バンクを作り、相談相手との出会いをつくるなどの孤立防止の受け皿作りなどの策はあるではないか。枯渇しているところに水を撒かず、豊かな畑に水を撒くのは、偏りではないかと指摘した。美辞麗句は無用。一応、発言は役員会にさしもどされた。
いつもそうなのだ。流行りの感度はそれなりにありながら、換骨奪胎、膨らまない穴あき風船に終わる。母の件があるので、会終了時、急ぎ藤沢に向かった。
(校正2回目済み)