湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

2/6 母の北里大附病院の定期検査に付き合って

2014-02-07 05:07:32 | 地震津波災害ボランティア

2014/02/06 記
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母の定期検査は北里大東病院で、9時半から行われた。2時間前には家を出ていないと病院前の渋滞で間に合わないことは、経験的につかんでいた。昼夜逆転の私には徹夜となるが、それ以上に、検査のために前日から食事を摂っていない母の体調が心配だった。

ところが朝、問題が起きた。生協の食品の定期配達日が重なっていることに、気がついたのだった。冷凍食品を捨てる気持ちで付き添いを主張する私と、冷凍食品が勿体無いという母とのつまらない口論だが、雪が降りそうな凍てつく朝に、脂汗をにじませて反論する母に負けて、私は生協の食品を受け取ってすぐに、母を迎えに出かけることに話が落ち着いた。

こういうときに限って生協の配達が1時間遅れ、出発前に母に電話をいれると、すでに検査を終えて相模線で茅ヶ崎に向かっているという。迎えはいらないという母。ならば茅ヶ崎駅で、もう一度電話をと頼むが、まっすぐ帰るという。

結局私は付き添いせず、母はしっかりと茶の間に戻ってきた。しかし、その時点で腰が抜けたのだった。ぞっとした。高齢者と生活するということは、限界の舟板一枚の上に踊ることだという感覚が私にはある。それを踏まえて有限の自由を楽しむというバランスを意識して生きるのだ。転倒すれば大腿骨骨折で車椅子生活になってしまうのが高齢者、そこに気力の歯止めがなければ、精気は霧散し、死へと、ころがりこむことすらある。ばかばかしい日常茶飯事が、常に吟味の俎上に乗せられなければならない。ここにはいかなる支援者も割り込みようの無い老いの深い闇がある。

来週も木曜日に検査の結果を聴きに行かなくてはならない。生協のセンターに連絡を取り対策を打った。

母の消化管(胃は切除している)は、胃カメラに塗られたキシロカインが付着し残っており、前日からの絶食で腸は空っぽの状態なので、重いものを食べさせるわけにはいかなかった。ポン酢でpHを整えた。ぬるめのおじやから食べさせた。しかし母の体調が戻るまでには、結局夕方までかかった。母はベッドで昏睡状態となり、睡眠不足の私も、茶の間にうずくまり、医者の融通の利かなさを呪った。

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寿町のL.プラザの就労支援センターの%%氏から午前中に電話が入った。しばらく連絡が無いが、彼は大丈夫かとの問い合わせ。就労先を自分で見つけたから、一応の支援は中止しているが、彼からの相談はいつでも受けられるように、しているつもりでいると答えた。彼は短気の魔が頭をもたげやすいから、ここしばらくは、お節介でも待機していくと答えた。

今日に限って、いつもよりも仮眠を邪魔する電話&メールが続いた。

一件目は、ふれあい朝日の記者さんから、災害ボランティア関係者にインタビューしているが、私の話も聞きたいという酔狂なメールだった。元気をつけてもらうために○○を贈ったとか、演奏パフォーマンスを贈ったというような話は直感的に読者にわかる。ところが私の活動は、真意をつかむのに、経験という条件がいる。活動は時代状況という海のなかに泳いでいる生き物だ。空気を気づかないように、今、打つ手はなにかと考える話は、ボランティア間でさえ問いの理由が全く通じないことがある。だから、私の話は記者さんの期待される話にはならないという、もともとの諦めがある。一応明日、会うことになるが、この方とは、別の話でも取材を受けたことがあり、その以前の話も宙に消えた。湘南オンラインフレネ初期の頃だ。

二件目は平障連からの相談だった。「映画:生命のことづて」の概要についてだった。事前解説が必要か否かとか技術的な相談だった。

三件目は、父の四十九日の関係で、古い知り合いの市外の民生委員が訪ねてくるという話だった。事情を説明し、今、母が体調を崩して休んでいると応答し断った。実は私に眠気の波が押し寄せて、一時も早く電話を切って眠りたかったのだ。

四件目は相模原の塾長からフィリピンの高波被災者支援を立ち上げる報告会をやるからでてこいというものだった。無理ですと断った。

五件目は石巻赤十字病院の支援活動をした知人からだった。話題が多すぎて懇話会の限定された時間内では入りきらず、絞り込む必要があったので、焦点を相談したかった。会いたいと連絡し、問題意識も伝えておいた。じつはこの日、某政党系ジャーナリストと食事をすることになっていた。

六件目は、私の送ったファスナー財布が仮設で評判がでたというので、これを作らせたいという支援者からの電話。これは私の独創ではなく、某教育団体の授業実践に登場したことのあるものだという前置きをして、仮設のお茶会の手作業商品にならないかという相談要請に答える意味で、口頭説明を録音してもらって、電話を切った。

珍しく電話が集中したのだった。

夕闇が迫るまで、私は茶の間に臥せっていた。深谷ネギがあったので、鳥なべを準備し、米を研いでいると母が起きてきた。一日つぶしてしまったねえという母。たまにはいいと嘯きつつ、実は肩腰が寝相のせいで痛むは、四肢は「つる」は、うっかり動くと危険な体勢となって、原因に気がついた。低血糖である。糖尿病の常備薬を時間外に飲んだ祟りだった。ブドウ糖で劇的に解消するのだが、奇妙な意地。飲まずに回復させたかった。

今もこうして、夜間傾聴待機をしているが、もうひとつの問題があった。台所のゴミ出しなのだ。前夜から生ゴミをだしていけないという取り決めがある。日が昇らないとゴミが出せないのだ。睡眠後だと市の回収車が行ってしまう。つまり生ゴミのために、早めに眠ることが出来ないでいる。馬鹿な話である。


夜間傾聴>なし

(校正2回目済み)



コメント
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