2014/02/26 記
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「3/10という設定は、翌日の3/11を意識して設定したの」と、巡回中、立ち寄った高齢者包括支援センターのケアマネさんに尋ねられた。そうなのだ、実はこれが不安の種になっている。県レベルで見れば、この日には関連企画が乱立するに決まっているのだ。日本障害フォーラム(JDF)から昨年3月に公開されたアンケート集約等の資料集をいただいた。あとは確実に懇談可能な参加者を増やして行くことだ。
相模大野校に出かける前に、今日も何ヶ所かの障がい者の作業所をまわった。中海岸から西の海側の地域と茅ヶ崎駅前周辺だ。そこの責任者に会えたのは1箇所だけだった。他は職員の方か親御さん。
相手はびっくりして、なにかの詐欺師が来たように、「必要が無いから」を繰り返した。「ちょっと待って、これを見てください」と通信No.005を渡し、やっと少し話せる状態になった。
とにかく、私が既に知っているところを除く新規の場所は、住所だけでは見つからない。通行人の方は、本当に障がい者の作業所を知らない。全く異次元の話なのだ。通りかかったバイクの郵便配達人さんや、宅配便の配達スタッフの方を捕まえて、やっと道がわかるという、しんどさを味わって到着したところばかりだからだ。とにかく高圧線の近辺が多い。携帯地図アプリのGPSが、強い磁場で誤作動を起こして使い物にならないところが多いのだ。ここで迷う。
食い下がれば遮断されてしまう。きっと営業マンの日々味わっている気分だろう。なんとか話せる状態に持ち込んでも、「責任者に渡しておきます」という定型の応答は、本当に渡すだけで、渡された責任者は文字数の多さをみて、読まずにゴミ箱へという状態が落ちなのだ。少しでも今、出会っている方が、責任者へのメッセンジャーになってくれなくは困るのだ。
陸前高田の青松館(大洋会)や、山元町の共同作業所の話からはじめ、家が流されても避難所に行けないひとたちの孤立、施設職員の被災などによる集まる場所の喪失の話などを使って問いかけ、今度の集まりは「安全避難」話ではなく、避難してから始まる「家族生活の激変」と「避難生活」をどうしようかという話で、岩手の被災地から様子を教えてくれる方に来てもらったと話した。話し合いたいから、参加しませんかと説明した。
「災害ボランティア」というと、「町内会の避難計画と訓練をしたから、もういいよ」と拒絶される。「安全避難」の話ではないというと、意識は霧の中に跳び込んでしまう。全く大地震が起こりうるという意識が無い。ハードルは高いと感じる。
今回は「光の風」もお邪魔したが、事務所自身が無い。古いアパートが建て替えられて、行方不明。
相模大野校に着く頃には、強烈な眠気に襲われ、夢うつつの中で、机上巡視をしていた。無呼吸症候群なみの眠気で、夜間傾聴の副作用みたいなものだ。無事演習が終わってセーフ。
母には「酸辣湯おじや」と、「塩焼き鳥串」を途中まで作っておいて、あわせて加熱すれば食事が出来るようにしておいた。帰ってみたら、クリームパンをつまんだら、腹が入らなくなったと、材料手付かずの状態。手変え品を変えて、母を説得。半分量を食べさせた。糖尿病の私が食べたいのをがまんしているのに、栄養摂取しなくてはならない母が、食事を摂らないという厄介な話。今日は一日中、説得していた気分。伸びをして夜間傾聴開始。
夜間傾聴>ひとり
(校正1回目済み)