湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

2/16 懇話会来年度企画編成の楽屋裏の思案とは 他

2014-02-17 05:22:45 | 地震津波災害ボランティア

2014/02/16 記
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来年度の企画を考えていると、もやもやとした憂鬱が忍び込んできた。「要援護者支援」の課題と「災害時要援護者支援」の課題の差異のことだ。

今後の医療・介護・生活問題を論じる場合、日本は高度高齢化社会が到来するということを前提に対策を考えているわけで、これは高齢者支援関係の担当者によって話は深められているわけで、改めて懇話会を作って議論するという、会の存立の論拠は乏しい。

この懇話会の設立の根拠は、東日本大震災から3年、被災者を取り巻く環境はますます長期劣悪のまま、多様孤立化していること。これを放置してはならず、いかにリアルな長期間の連携支援を民間・行政の中に生み出すか、その手がかりを浮かび上がらせるという役割が会にはある。

もうひとつは、東日本大震災の経験を専門職に委ねて、災害がある度に,ステレオタイプ化した対応を民間は繰り返しているが、これでいいのかという疑問がある。それを場面で考えると、人のつながりには「公」と「私」があって、復興支援活動や従来の生活支援活動は、被災者の外向きの顔に連携してきたのではないか、家族が団欒に集うときのように、生活再建や医療の問題などの、いわゆる「世間様の迷惑をかけない」という行動規範のまさに「世間様の迷惑」の闇が語られる、そこに実は深刻な問題が息を潜めているわけで、いわゆる「私」の顔への連携・支援が、社会的問題であるにもかかわらず、家族と個人という当事者にすべて背負わされているというおかしさがある。騒ぎ立てずに、的確に寄り添う静かな支援が求められている。そういう自覚を前提に、「私」への援助の手立てをつかみ返す場が求められていると感じている。

これらは現在的には、東北の被災者の孤立を防ぎ長期連携を行う被災者支援の必要性に、会の存立の論拠を置く立場だ。しかしそこには、鏡像のように、なぜあなたが、どの立場から連携を望んでいるかという、万人の倫理と義憤を超えた問いが突きつけられている。その鏡像の課題を、各人つかみ返す場でもあるのだ。

さらに課題は、「いつか私たちも通る道としての災害」に対する「災害体験と対策経験の吟味継承と防災」という知恵の連携を求めることがある。それは専門職や経験者が己の領域と異なる領域の出会いと共有を求めることから、新たな切り口を見出して行く場をセットすることにある。ネットワーキングである。懇話会は、副産物としての官民の実践チーム形成の萌芽、まずは災害と人をめぐる課題の鮮明化、経験のつかみ出しを行う場が懇話会である。参加者の判断に委ねられた「災害議論の公共空間」を基本機能として持っている。

このとき、懇話会はひとつの意図的な偏りを持ちたいと思う。それは、現場主義・被災者の生の声から考えるという会の特殊性だ。これは実は非常に難しい裏方の判断がいる。

こんなエピソードがある。災害の深刻さと対策の必要性を伝えるために、被災者の方々を非被災地の会場に招待して、体験談を語ってもらうという一見実のあるかのような企画が各地で行われた。ところが体験継承と再建課題を論じたいと思う企画者の意図とは裏腹に、講演する被災者は、事前打ち合わせをしていたにも関わらず、被災時、自分の身の回りに起きた、衝撃的な出来事を綿々と、かつ仔細に語っていくという、すれ違いが起きてしまう。

今後の防災の課題の論議に取り結ぶ内容ではなく、被災状況のスペクタクルがそこに拡がるばかりなのだ。講演者は体験を仔細に語ることで、津波震災の恐ろしさを伝えようと考える。ところが企画者は対策を求めている。これは、その被災場面の背後に流れる価値のつかみ出しを行うことによって、経験が姿をあらわにするという、地下茎掘り出しのような企画者の触媒作業の介在が必要となる。この辺は、会の世話人会を通じてリードする関わりを準備する必要がある。懇話会は教え込みの場ではなく、ヒントの果実を持ち帰る場だ。

つまり、防災ボランティアの要援護者支援と防災医療・介護・生活についての懇談を、被災者の体験によって鮮明化しながら、被災者との出会いを生み出して行く。「災害時要援護者支援」の議論を求めていきたい。

これらの前提に立ち、課題をいかに精選するか、私は今、そこに立ち尽くしている。

永井雅子県福祉事務所課長には、懇話会の口火を切っていただいた。3.11被災の直後から全国の行政職員の被災地派遣が行われ、被災者の保健と安全確保が行われた。その活動紹介をしていただき、特に専門職が被災時、決定的に人手不足に陥り、元保健師・看護師のボランティアの支援が入った件、これは湘南で被災したときも、同様の問題に直面するという現実は変わらない。ボランティアとの協働は、被災前に議論しモデルを作っておく必要性があると、専門職活動との接点の活動の予感が論じられた。

黒田裕子さんは、阪神淡路大震災から災害看護の活動をされてきた。都市型災害と安全避難にウェイトを置きつつ、災害時の社会的弱者の支援のあり方について懇談。特に被災後数年から、地域コミュニティの崩壊の隙間に、単身高齢者の孤独死が忍び寄ってくる。ここに訪問看護・介護・巡回生活支援の重要性があり、サポートの事例を求めた。しかし、そこに至る前に専門職としての安全避難指導の話が長引き、必要とされている支援の多様性の、異なる参加者の意識がすれ違い、時間切れとなった。医療サイドからのアプローチだった。

次の小野寺彦宏(よしひろ)さんは、被災認知症者と家族の立場から、生死の境を渡った被災時の会員の話と、家族の認知症者サポートを紹介してもらった。避難後、避難所や孤立した自宅の生活について語っていただこうと思ったが、被災時、個々の家庭がどのような状態だったか、地域サポートの活動紹介をしていただくことになった。この回もまた、時間切れとなった。

そしてこれから、陸前高田から日本障害フォーラム(JDF)の小山貴さんのお話が始まる。陸前高田市の個人情報開示を起訴に、全市アンケートが行われ、それが訪問支援にどのような変化をもたらしたか、また被災地の障がい者サポートの様子を紹介していただく。

最後は、まだ交渉途中だが、日本プライマリィ・ケア連合学会PCAT関係者をゲストに、無医・高齢化という状況の中で訪問支援の重要性が増している。その訪問診療を村落部と都市近郊部の状況差を踏まえて、地域医療の立場から論じていただく。

今後は、1)被災時の施設管理と人命確保、2)地域医療の在宅治療システムと被災、3)被災障がい者の生活支援を考えている。

大きくは、要援護者への地域連携チームによる支援のあり方と、被災地への的を射た長期連携のあり方をめぐって、企画を重ねて行く。それには、誰とつながり、ゲストとして招待したらよいか、見通しをもとめて思案している。


夜間傾聴>ひとり

(校正2回目済み)

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