湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

執刀医の手術予定の説明を聴きながら…

2008-12-18 03:03:38 | 引きこもり
母の場合は癌が粘膜下層に拡がっているかどうかの境だという。
胃の3分の2を切除する。転移の防止策だった。

病棟担当の研修医が立ち会った。彼のメモが気になって覘いたところ、なんとまあ、執刀医の説明を受けて、家族がどのような反応をしているか実況中継のようなことをしているのだった。失礼なと、隣の彼をこづいたので慌てていた。

実家の老夫婦は、朝の手術には立ち会うことが出来ないと繰り返した。これも、立ち会ってもらおうとも思っていない。肝心の質問が遮断されるのが迷惑だったが、そうも言えない。

ともあれ、朝8時から手術。家を6時に出る。とりあえず、今回はここまで。
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宅配便事件に思う(介護の話です)

2008-12-17 06:09:27 | 引きこもり
父の衣類の管理は母がやっていた。私は洗濯屋兼着せ替え屋だった。だからさて、父の衣類の山を見るが、組み合わせがわからない。宿泊に何組着替えを持たせればいいのかわからない。父はこの段になって母の不在に気が付いた。

入院のことをいうと、また押入れのボストンバッグを取り出そうとした。はじめ父は旅行と勘違いしていると思っていたが、自分も入院するのだといいだすので、父にとっての入院は治療ではないのだと知った。

冗談ではない、だから「濡れ落ち葉」と揶揄されるのだ。入院しているのに、母に世話させるのかと問うが、全く通じない。

ということは、前日、母が玄関待機中の父よりも先に出かけていったことは、行き先が全く分かっていなかったことになる。さんざん、説明し、母が静かにしていてくれと頼んでも、全く意味が通じていなかったのだとわかった。

それどころではない。母が手術だと聞くと、どこが悪いのかと聞く。胃がんと答えると、ポリープは1週間位だと、父の実家の兄の手術例を出した。これは何十年も前の出来事で、喉頭のポリープ切除で、このときアデノイドもやったので、入院していたのだった。胃ガンの知識がなかった。身の回りの例ですべてを言い換えてしまうことは、抽象化という知の体験が浅い方の自己了解の方法なのだった。学校知が教えることは、体験を離れた知のネットワークへの接続の方法と言っていい。父がTV漬けの状態になって久しい。しかしそこから知識を得ることが出来ていないのは、単に難聴や認知症だからというのではなく、知識は関心でキャッチしなければならないからだった。知識は「つかむもの」なのだ。

この状態に父を放置したのが、父があこがれた家父長制にある。置物のようにじっとすわっていれば、周りが世話をする。私が散々泣かされたのが、この権力志向だった。鈍い痛みがよみがえってくる。子どもの頃の、飲み込まれなかった誇りが今の自分を支えている。

父の眠ったのを見届けてから、階段下にバリケードを作って、駅前まで出た。振込みと投函を済ませ、そのまま帰ってみると、宅配便業者が玄関のチャイムを押していた。肝が冷えた。玄関の鍵を開け、宅配便業者を待たせて階段を駆け上がった。恐れていたとおり、父は電源コードに足を絡ませて、サイドテーブルを投げ飛ばして転倒していた。来客・電話は無視しろと教えてきたことは、今回も守られなかった。

父の安全を確認し、宅配屋から荷物を受けとった。宅配屋は異常を察知して、米つきバッタのように会釈を繰り返して立ち去っていった。

父の足が捻挫していると、明日の階段介助は毛布担架で下ろさねばならない。足の電源コードをはずして、からっぽにしておいたサイドテーブルを元に戻していると、あろうことか、父は階段を降りかかっていた。後ろから羽交い絞めにして、私がクッションになるように、後ろ向きに倒れて、父の行動を阻止した。

足は大丈夫、しかし、目が離せない。

玄関が開けっ放しだと父は言い張る。大丈夫だと私が抑える。急いでポータブルトイレに座らせる。父は一階のトイレには、排便目的で行きたがる。怪しいと踏んだからだった。座らせた途端、どんと音をたてて、はめこんであったトイレのバケツが下に落ちた。さきほどの転倒で、位置がずれていたのだ。部屋中に排泄物が流れ出すところだったが、幸い真下に落ちてバケツは無事だった。

父の座る椅子の下からバケツを持ち上げると、父の便が爆発したように落ちてきた。バケツが倒れていたらすさまじいことになっていた。

この神経戦を母の留守中、継続することを思うと身がすくんだ。身辺介助のヘルパーさんに援助してもらったとしても、私がつぶされてしまう。父を落着かせて、陰部を清拭。食事までの時間、休ませると、私の腰が抜けた。宅配便・訪問者が爆弾着火してしまうのだ。

シャワーを浴びたが、妙に手が臭い。理由がわかった。母は父の排泄処理にシャワーを使う。汚れた手でバルブを開いたままにしていたのだった。あらゆるところに汚染が広がっていく。古典的な逆性石鹸液を作り、風呂場のコックと階段の手すり・玄関のノブを拭いた。先ほど父が上から降ってきたときの肘の打撲が痛んだ。

食事を作って寝床に持っていくと、父は気持ちよさそうに寝息をたてていた。耳元ではチューニングのずれたAMラジオがホワイトノイズの騒音を流し、受診感度の悪いTVが、ざらついた画面から番組のトークがせわしい声を張り上げていた。聞こえないのだ。片耳がまるで聞こえない。反対側を枕にうずめていると、全く何を言っても反応しない。半身麻痺の血栓梗塞は聴覚に及んでいた。

ラジオを消し、TV音量を下げた。父を食事に誘い、起こしてエプロンをかけた。終わったら電話を鳴らせと指示して、部屋を離れた。

戦場である。この状態で、これから一ヶ月、自分の食事は孤食かと覚悟をする。家にこもったらつぶされる。介護に他者の目をいれるために、無駄とおもわずヘルパーさんを入れる。

臭いブログだから、臭い話は許してもらう。私は父の勝手を書きながらも、介護を試練とも災難とも思っていない。気持ちの上では確かに後者に近いものを感じるが、多くの方が底無し沼のような親の介護に取り込まれているのだ。家族制度が核家族化しているから、なおさらのことだ。私は今、家族の危機管理をしている。だが父は家族として生きているだけではなく。社会の一員としても生きている。お粗末な社会保障の分の支えを抱え込まされているのだと思う。考えてみるといい。家族を持たないものが生きる価値が無いのかなど、そんなことはない。社会の位置は存在するのだ。ここは家族と親子の徳目で介護が覆い隠されてはならないところだ。肥大した家族の役割(例えば後継ぎ)思想に、現実を取り込まれることはしない。ひとは生きることの痛みを忘れたら朽ちる。その原点にたてば、おのずとひとはつながっていく。父の介護も破綻する老いた心身・彼の生涯を支えている。青臭いことではない、糞臭い話なのだ。

今日、父はショートステイに出かけ、私は実家の兄夫婦を守りながら、ともに手術説明を聞きに行く。無理して実家の夫婦が出てこなくてもいいのにと思う。終了後、送りはタクシーに任せて父の実家に帰し、夜、******君の親御さんと会う。そして明日が8時から手術だ。

夜間傾聴:中延君(仮名)
     ##君(仮名・中断、心配)

(校正2回目済み)

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入院期間は年越しまで延長となった

2008-12-16 07:22:50 | 引きこもり
母の入院に付き添って大学病院へ。

その出発の時点から、父の件が足を引っ張る。父をひとり留守番させれば、階段落下は目に見えている。家具を倒しての転倒が起きる。前日からのショートステイが出来なければ、当日のデイサービスやショートステイで送り出さざるを得ない。この送り出しの時間がデイなら午前9時、ショートなら午前10時となる。病院到着が午前中だと、間に合わない場合が出てくる。

今回もその例だった。迎え直前のバスに乗らないと、乗継ぎで予定時間に間に合わない、融通の利かないわずか数分の戦いだった。朝の階段介助のヘルパーさんも都合がつかず、父の宗教団体の信者さんも都合がぎりぎり、階段介助と父の送り出しを済ませた後、やはりバスで数分のゆとりしかなかった。

早めに父を階段から降ろし、玄関で椅子に座らせ待機するが、緊張するからか、済ませたばかりの排尿を要求するので、自分の準備が出来なかった。これは予想されていたことなので、実害はなかったが、ハプニングが起こればすべてが崩れてしまう危うい事態だった。

再度父を座らせている横で、母が先にバス停に出かけていく。私のほうが足が速い。その時間差を見越していた。父を送り出した後、信者さんに鍵を玄関ポストに投げ入れてくれれば、私は自分の鍵で開けることができる。送迎車と道の途中で会いながら、会釈でバス停に向かい、先に到着している母と合流して、丁度到着した路線バスに乗ることが出来た。

急ぎ足で駅の売店でパンを買い込み、混雑している車内で食事をすませ、かさの多い荷物を抱きかかえて乗継ぎ、何とか病院に5分前に到着した。渋滞があったらアウトだった。ことが入院だから、診察ではないので、その辺は多少気楽だったが、先方はすでに研修医が採血と問診の為に控えていた。

母の部屋はゆとりのある4人部屋。カーテンの間仕切りで、全くお互いは見えない。TVは勝手に観ることができる。看護師は師長を含めて、皆若いが、手馴れているところが、地元病院と明らかに違っていた。自分のパートは自分の責任で答えるという点が通っていた。単純な質問ですら、責任のなすりあいで苛立つということがないのは、範囲外は無視という切断があっても、取り継ぐので、納得がいく。

母は再び18日朝8時の手術(オペ)に戻されていた。平日、年休を取って立ち会うものには、この頻繁な変更は手痛いだろう。問いただすと、重症患者が優先なのでという。年休変更の重さを彼らは知らない。命を盾に利用者を切り捨てている。これは「止むをえないと、当たり前」の差で、医師の越権を感じる。

看護師から入院説明を聴く。「家から遠いからと患者を投げ出すな」ということが、話の中心のようだったが、失礼である。私には入院期間が不確定なことの方が気になっていた。約3週間、年明けまで母は入院であり、すでに組んでおいた父の一時入所予定の終了日は、その枠になんとか間に合った。勿論、徘徊と転倒で中途解約の事態になる可能性も大きいので、伏線の相談は、ケアマネさんと相談していた。

今日一日、父の行動の見張りが済めば、2泊3日のショートステイがあり、母の手術日を挟んで3日間、母の付き添いに専心できる。しかし前日の夕方の手術説明に家族関係者の集合を、手術の数日前になってかけるのだから、勝手である。日程はわからずとも、最低限、いつから何日間、どのような段取りで通院しなくてはならないかということの説明が欠けている。「手術説明には、必ず関係者が参加するように」という言葉には、さすがにクレームをつけた。医療は介護と連携が必要、介護は家族が不可欠。話が一方的で、ネットワークの自覚にかけるのではないですかと言った。研修医はむっとした顔。私は「どうですか」と応答要求のダメ押し。「ではこれで」と、医師は応答を避けて逃げ出した。予後の「診療の必要情報は確実に流してください」と看護師に伝える。緊張する看護師は、それでも話の流れの中で、特に日程が父の介護日程に直結している事情を知り、納得する。勝手なもので、あまり納得しないで欲しいという気持ちもあるのだが。

時計は14時を回っていた。相模大野校から会議欠席へのきつい注意メールが入っていた。応答を書きながらバス停着。先に近所で買い物を済ませておかないと、父が帰ってくると外出できなくなる。補充の買い物をすませて家の前に戻ると、すでに階段介助のヘルパーさんが車の中で待っていた。慌しく家を開くと、5分ほどして、送迎車から到着の確認電話が入り、電話を切ると、すぐに父が帰ってきた。

父を受け取ると送迎職員は帰ってしまう。ヘルパーさんと、父を居室に上げようとすると、父がまた排尿要求、次が冷蔵庫に行くのだと言い出す。ホームの食事がまずくて食べずに残したという。ともあれ、父をベッドまで送り込んで、ヘルパーさんを帰したところで、怒りがわいてくる。今日は母の入院日である。片言の問いかけもなく空腹が優先なのかと。

軽食を準備して父に届ける。紙パンツを脱ぎ捨て、下半身裸でポータブルトイレに座った父が、軽食をせかせて食べようとする姿に、怒りも萎えてしまう。結局夜寝るまで、父は母の不在に気づかなかった。この間、危険行為2回、身が床に崩れること3回、ベッド落下1回。乾燥肌防止用クリームチューブを踏み潰して、汚れた足で歩き回り、床を広範に汚してしまう。爆発かのようなTVの大音量の調整に出動すること2回。夕食を食べることができたのは21時を回っていた。

夕食の片付け、洗濯を終えたのが23時前。翌朝の食事と着替えの準備をして、父のベッドメイクと紙パンツ交換、ポータブルトイレの洗浄を終えて介護の一息となる。一息とは、夜間の排尿・徘徊があるからだ。別れた妻が存命だとしても、離婚話になっていただろうとため息がでる。介護は家族のキャパを超えていることの自覚が必要。障碍者を持つ家庭の介護も、この日々の時間と都合のつばぜり合いに晒されているのだと思う。この状態の上に課親の会の自主活動は積まれている。

夜間傾聴を再開した。今回の自殺未遂した元妻を思う引きこもり元青年が行き詰っていると、同僚が主治医に連絡を取った旨の電話が入った。どうやら見舞いは限定的だ。

X’Masプレゼント用カレンダーが届いたが、本物を見てがっかり。子供用ではない。野暮ったい。仕方なく自分で引き取ることに。前に私の好きなガブリエル・バンサンの「アンジュール」の洗練されたデッサンの第二段にと「マリオネット」も考えてみたが、廃刊なのか買えない。まあ、まだ年齢が無理かなと思ったり、ならばパブロ・ピカソのデッサンはどうかと考えたり、しているうちに、3時間ほど、いつの間にか、うたた寝していた。明け方******君を受けて、傾聴は一段落。

まもなく朝食。食べさせたらともかく寝る。

夜間傾聴:******君(仮名)
     同僚(傾聴にあらず)

p.s. JDDの配布資料のコピーをくれと同僚に言ってがっかり。彼は気が向かず、いかなかったのだった。無念。


(校正2回目済み)


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母の入院前夜なり

2008-12-15 05:55:12 | 引きこもり
母の部屋は家出状態の包みの山。触れば噴火する活火山。父の部屋は、長いすの障壁の向こう側がフリマというかボロ市のようだ。母が入院中、父の着替えは私が担当する。ズボンをジャケットと勘違いするはずもないのに、分類して山が出来ている。そんなことをすれば、父の好奇心を誘うようなものだ。ソファーに乗る危険行為は得意技だから、向こう側に転げ落ちるに決まっている。父を戻す障壁にソファーが化けるのは目に見えている。愚かしいと思うが、母はいう事をきかない。

そんな状態の中、父方の実家や、母の友人から入院前日の見舞いの電話が入る。その音が父を興奮させる。部屋を立ち歩き、椅子を倒す。本人も倒れる。食欲とのお別れだからと、「ウナギを食べたい」と母が言い出した。夕食はウナギを取ることになったのだが、父は「誰が来ているのか」と、来客接待と間違えて、危ない階段を何度も覘いてしまう。慌しく日が落ち、私も夜間の傾聴の一部を昼間、駆け足巡回で済ませてきた。

よりによって新規相談が飛び込んでいた。医師ではないから診断はできない。しかし自分なりの見立てが必要な相談だった。幻聴とは様子が違う際どい訴えがあった。勿論ペンディング。私の「部屋の共鳴」というとんでもない発想が、同僚に伝わるとは思えないが、結果担当が面倒を避け、私のところに相談者をふると私がキャパを超えてしまう。状況から、この方は入学ではなく通院の際にいることも確かなのだ。レッテルが貼られるか、もう少し話に耳を傾けたい。(集音レンズ現象と酷似しているのだ。)

今日はあと2時間ほどで、出発準備が始まる。夜間傾聴は堪忍してもらったが、それでも昼間の雑用に押しやられた分が夜間にやってくる。8時半には父の宗教団体の信者さんが階段昇降介助にやってくる。仮眠を取ったものの、父の部屋の物の落下音に5時前に起こされた。父が闇の中でポータブルトイレに向かって排尿していた。蓋が閉まっていた。

母の入院が済むと16時台には家に戻らなくてはならない。父のデイサービスからの帰りを迎えるためだ。逆算すると14時過ぎには病院を出ないと間に合わない。買い物時間が怪しいので、オンラインショップの夜間配送を使い防御。今夜は巡回を組んでいないので、在宅ワークのみ。明日が地獄になる。父が在宅。留守番がいない。翌朝が母の手術で家族の立会いがいるのに、ショートステイ出発が午前10時台。つまり午前中に病院には着けないことになる。午前手術と連絡が入っていたので、父を前日の夕方から引き受けてくれないかと瀬戸際交渉がまだ続いている。駄目な場合は介護タクシーを使って、ホームの受け入れ可能な8時過ぎにホームに送り出す。その足で駅まで送ってもらう。これでも病院10時到着がぎりぎりなのだ。ホームからのタクシーの乗り継ぎで、病院直行もありうる。前日入所がベストなのだ。

結局、このまま夜明かしとなる。帰宅の車中、父の帰りの待機中に仮眠ということ。笑うことなかれ、元飲兵衛に効くはずもないミニュチュア瓶のブランデーを上着に忍ばせた。

あと1時間ちょっとなり。

夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

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母の入院まであと1日/地域参加を促すネットと既存ネットの連携企画を

2008-12-14 06:52:03 | 引きこもり
来客が多い。しかも父の宗教団体の若者が突然父に会いに来る。近所の靖国信奉のもと高校教員の一家もほめちぎられて、老夫妻が亡くなっていったことを思い出した。組織行動なので訪問時間に起きたことが、翌日にはその地区の信者には皆伝わっている。

数名のレギュラーの方の階段昇降補助以外は、見舞いという聖書と冊子を読み合わせ、時間奉仕だから、介護からすれば、父の気分転換になりこそすれ、母にとっては家事負担と仕事中断でしかない。

父がひとりで歩かずに、特に家族の外出時、静かにベッド上にいてさえしてくれれば、これほどに多数のひとの手をやかせずに済んだ。おしめの受容が出来ないために、家族が飼い殺しになっている。何よりその当人が、病気の自分を省みずに、家族に憎しみと反発を向けてくる矛盾に、母が苛立ちを募らせている。そこに加えて表層的な激励の言葉を「父に」かけている来客が、煩わしくてならないのだ。

「老老介護が殺し合いになるのは、わかるわ」と母が矛先を私に向けてくるが、私もそう思う。しかしそれが、地縁・血縁社会の崩壊という社会的要因が背景にあることや、社会保障の貧しさがことを顕在化していることがわかる。大家族に支えられたとて、嫁姑の確執はある。だから地縁・血縁賛美をするつもりはないが、地域社会の支援がないから、矛盾が家族にしわよせされてくる。徘徊者・加害や自傷者を切り捨てる施設がある矛盾、施設への貧しい社会保障が弱者選別につながっている現状を知る者が、直情的な怒りに身を焼くことはないが、たしかに心のマグマは溜まっていく。しかし怒りの沈黙が偽善とは思わない。たとえ認知症による判断の後退がなかったにせよ、極悪人にも介護は必要である。また、宗教者の協力の背景の人間関係のしばりから、その宗教を信奉しようとは思わない。介護の遂行と、社会改革が必要なこと、これは心の問題に隠蔽できない。宗教者が脳裏(心)の安定をいうなら、彼らは家族の負担への想像力を高めるべきだろう。目の前の現実を、各人の頭で、意志を持って立て。

入院前、確認すればするほど、用事は膨らんでいく。母の入院日数が確定できないために、介護スケジュールの選択肢が多岐にわたり、複雑化を余儀なくされている。その流れが変わるほど、入院時の支度や費用配分、父の強制退所を含む事前の緊急対策に、準備は揺り動かされていく。年末年始はサバイバルじみてくる。靴下に名前の縫い取りをするサバイバル、家族の衣類と処方常備薬を入院前に整えるサバイバル、冷蔵庫管理再チェックのサバイバル、職員が手薄になる時期の緊急医療・介護の隙間への対応の検討など、母との確認は際限がない。しかし気が付くと、男はどうしてこうも邪魔者でしかないのだろう。力技以外に利用価値がないのだろうか。女性側の家事からの排除があるのは否定しないが、例えれば、必要なのはトラックではなく軽自動車・ミニバイクなのである。ダンプや電柱ではない。

私の同僚からは、この時期、一般営業職ではないから忘年会や旅行の話は出てこない。冬期が忙しい因果な商売だが、それでも分かっているはずの少数の知人から、なぜ旅行できないかとそれでも電話がかかる。勿論、男ばかりである。販売勧誘電話なら不快を感じつつも切れば済む。しかし知人遮断は、アフタケアがいる。それが面倒だ。昨日2回、4本のバスを逃した。定年間際の小学校・高校教員ばかりである。

自殺未遂の女性の見舞いも、彼女の退院後、母の入院と、父の一時入所後にさせてもらった。心の問題を抱える場には、見舞いの行為の影響もある。常に家族等への打診を踏まえなくてはならない。私は女性の予後と共に、引きこもっていた夫(私の元相談当事者)の様子が気になる。幼児の保護の経過も知っておきたい。

JDD(発達障害ネットワーク)の参加の余地は、結局全くなかった。父が興奮して、昨日は3回転げ落ち1回転倒、階段踊場に5回も現れた。衣類・紙パンツの詰め込み騒ぎの始末は、父の再現防止策も打たなくてはならない。ダミーを置いておかないと、押入れから箪笥まで開けてかき回されてしまうだろう。

追われるせいか、私にも「トイレ中の携帯チェック」が始まった。予定表と、メモが虚しい作業を大量に含む日課のチェックにフル回転する。トイレの独り言が、すぐ隣に家を建てた一家が、間違えて返事するほど接近した隣人の部屋へと漏れてしまう。不動産屋がいけないのだが、先方も文句に呆れているだろう。

母が年賀状を書き終えた。「私が書くのは授業報告書」と、私が年賀状強制をかわすものだから、「うだつのあがらない息子」と愚痴る。うだつあがっても仕方ないのが福祉と教育の仕事なので、それより活動の後退が困ると応答。「馬鹿だねえ,髭面して」と母はア・プリオリなため息をつく。これが母のアイデンティティなのだと、横文字ではなく、やたらカタカナが脳裏を転がっていく。(福祉で、うだつが上がったら、こわいと思うが。)

先日の地域就労支援PJ月例会に再燃した小箱ショップ案は、適案であるかは別として、それはそれとしてバックアップになるオンライン販路をさぐっている。現行の福祉系店舗は、そこが利用者(障碍者)へのサービスという法的な位置づけがあるために、利潤を上げるということに鈍くなる。立地条件が経営不振のスーパーに依存していることは、小箱ショップも自転車配送とともに変わらない。しかし楽天市場やYahoo!のような場への出店は月額2万円を超す利用料を支えなくてはならないし、個人HPは企画・広告に専心せねば、売り上げが格段に差がつく。飲食物物販は別資格がいる。

通販フリーソフトを大手環境と別個に設置管理するのが現実的と思う。しかし私の余力はここまで。引きこもり青年たちの生活就労支援をカウンセリングの枠を超えて、別団体との地域協働の絵へと現実化する手立てを考えて行きたい。自転車配達業の可能性の事例収集。自転車リサイクルの公共自転車制度の中の公共事業に仕事作りをする、現行街づくりとの接点取材と構想。路上生活者向けの春先の雨期を見越した放置傘獲得策も冬期講習の合間に探っておきたい。

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p.s.介護用品で思わぬ出来事にぶつかった。ラテックス(作業手袋)が私の手だと大きくて、破れてしまうのだ。メーカーの品質差が露骨に出てくる。ラテックスの補充交換終了。母入院まであと1日。午前6時前、父が起き出す。足を引きずる大きな足音。警戒再開。


夜間傾聴:******君(仮名・親)
     □□さん(仮名・親)
     中延君(仮名・訪問しなくては、ね。)

(校正3回目済み)

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父の決意を思いとどまらせるには…/地域就労支援PJ12月例会の連携の芽は

2008-12-13 09:46:35 | 引きこもり
母の入院のことが影響してか、昨日の父は極端に不安定になった。午前11時ごろ、階段を降りようとし、気づいた私と禅問答のような押し問答。階段をあがって広場に出るのだという。ここは2階で、その上に向かう階段が無いことを伝える。一度部屋に戻り、コップと電話機を引っ掛けて崩れこむ。補助して立ち上がらせると、着替えのズボンが無いと怒り始めた。今日は出かける日だという。

今日は金曜日であり、出かける日ではないこと、ここは我が家であり、特養ホームではないことを伝える。数回の繰り返しの階段接近を昼食でごまかして一段落。身辺介護のヘルパーさんを掻き分けて、部屋の掃除中にこれから出勤すると言い出し、かばんを探し始めて転倒した。部屋掃除をやめて父をなだめて話し相手をしてくれた。出張先がアイスランドだと言ってたとヘルパーさんから聞き、びっくり。ただその対話中TVがついており、アイスランドの経済破綻の話をしていたとのことで、話の出元が分かった。

22時、再び父が階段接近を試み始めた。紙パンツを自分で替えては脱ぎ捨てたので2組のパンツが部屋に飛び散っており、着替えの洗濯物が全部かき回されていた。父と話す。父は母が入院の迎えが来ていると言い張り、だから着替えるのだという。とりあえずそのまま聞いていると、付き添っていくのだという内容。不安?それとも夫として?その両方とも明確ではなかった。ただ「母がいないと不便でしょう」と言い出した。母にはとても聞かせられない話。不便は、自分の不便だった。ただ車に乗せて「やらないと」というような世話の話も入ってきて、説得に困った。

周期的に父の状態は悪化する。スパイラルの曲線を降りていくように、状態が落ちていく。母が出かけるときは頼むからと言う。3日後だから、今日は休んでくれと伝え、納得を得た。1時間が過ぎていた。

この状態で家を長時間空けるわけにはいかなかった。巡回は延期。母は主治医に入院時の常備薬を処方してもらうために外出。父の眠りに入ったのを見届けて、急いで食材の買出し。階段下に椅子を置いて、見張りながらPC入力作業。計画書が全くまとまらない。

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自殺未遂の女性の情報が入る。胃洗浄の結果、回復。引きこもり中の夫が子どもを引き取って離さないことで、先方のご両親と病院でもめたらしい。結局病院の付き添いを手助けすることで折り合ったとのこと。数日の入院だからと、子どもは祖父母が預かることになったと彼からの報告。話をどうも父の騒動と重ねて、失礼とは思いつつ見比べてしまう。

困っている。午前5時。父がカーテンを開けた。興奮しているのだ。階段と通路にバリケードを組んで、階段に出ないようにして仮眠を取った。父の朝食の時間。部屋の扉を開けるとうめき声が聞こえ、慌ててベッドサイドに向くと、裸になった父が布団の簀巻き状になって、ベッド下に落ちていた。それだけではない。衣類と紙パンツなどが、押入れにあった古いボストンバッグに詰め込まれていた。濡れた尿取りパッドもその衣類の間に押し込まれていた。何枚かの紙パンツも汚れてしまった。母についていくつもりだ。入院当日、母が先に家を出て、父は、後からデイサービスの車に乗る。トラブル必至。頭痛を感じながら、布団をはずして父をベッドに戻らせた。

まもなく9時。母にはそのまま説明できない。心の負担が大きすぎる。介護は戦争。家族のキャパを超えている。ケアマネさんの非常連絡アドレスにメール。来年、父を入所先が決まり次第入所させることにしていたが、時期が早まりそうだ。今利用中の特養が、女性だけでなく男性も受け入れてくれるといいのだが。

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ある大学にサーバをおくメーリングリストから、睡眠薬のネット販売の話題のメッセージがあり、その方とメールのやり取りにつき合わせてしまった。私の勘違いが招いたものだった。申し訳けない!

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一昨日の地域就労支援PJの月例会は、たい焼き屋さんの店舗が生まれることを契機にして、本格的に地域の知的・精神の生活就労支援の横断ネットワークの芽がスタートしたことになる。移行支援の枠組みをどう組み合わせていくか課題は出てきた。しかし、メンバーは地元の主要メンバーが集まり始めており、この組み合わせは、様々な関連会合で顔を合わせている面々だ。ということは、あえてこの就労支援PJの場で話さなくとも、その議論が出来ることだ。実際、茅ヶ崎寒川自立支援協の面々はその前日話し合ってきたばかり。ここが独自性を発揮するのは、市民活動的な地域活動との接点に生まれてくる。ここを育てていかないと、価値が無い。それに見合う企画があるかということ、これが鍵だ。

市民活動的な地域活動というところには、自閉症スペクトラムの外延部に位置する高機能の方たちや、アスペの方、中途発症した鬱などの養護学校や精神科医療のネットワークにもれてしまっている地域の生きることに困難がある方たち、社会的挫折から復活の途を探すひとたちの連携を大きく抱え込むプログラムを背景に走らせた地域就労の協働実践が当てはまってくる。

コアになる障がいの方が様々な困難を抱えているので、その方を守りつつネットワーキングしていくという厄介な課題をしかも移行支援の法的プロセスを踏まえて道を拓くという難題だ。

今回は、翔の会という多様な事業所を抱える組織が、内側の事業所の組み合わせということではなく、精神や市民活動とのたい焼き屋さんプロジェクトともいうべき具体的な課題を接点に、連携が始まったことだ。私は本人活動の芽をどうそこに織り込むかに関心がある。職をつくるということに踏みとどまらず、その活動が横に連携していく場、次の発展への種を埋め込んでいくことを考えている。受け皿を超えるとPJでも話し合っている。しかしそれが支援者のネットワークの語感が強いのは、障がい者の支援活動の状況によるものだ。私は本来自分のことは自分で出来る引きこもり青年の挫折からの復帰というスタイルがあり、普通級に不器用に生きてきた子たちを考えるから、庇護の檻に入れてはならないという思いが強い。このずれが浮き出したのが今回の印象だ。しかし、始まった。やっと地域ネットワークが始まったのだ。

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夜間傾聴:##君(仮名)
     中延君(仮名)

p.s. 今日・明日は東京の目白大学で、JDD(発達障害ネットワーク)の大会がある。出たかった。実際は土日、缶詰めだろう。

<借りてきた書籍から>
●「感受性を育む」中田基昭・著

(校正2回目済み)
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特養入所心得の空しさ(当人の協力はあきらめるのか)

2008-12-12 06:20:07 | 引きこもり
引きこもりの元青年の彼女が睡眠薬自殺を図った。幸い家族に早期発見され、薬物の量も致死量に至らない量だったので無事だった。幼児を抱え、パートを首になっていた。おそらくこの辺が理由かと推測された。いのちの電話経由ではなく、引きこもり氏の地域サポートをしている埼玉県南部のボランティアの知人が、引きこもり氏が私に連絡するようにと要請をかけ、私に話が届いた。発見は昨日の昼前。明け方に飲んだらしい。

この女性が私に連絡してきたことは、彼への思いの仲介を期待していたからだろう。彼は今、中小企業の製品配送業をしていた。彼の埼玉転居を契機に訪問カウンセリングを知人にバトンタッチした。もう10年前の出来事。彼からは、たまにメールが送られてきていた。彼はその後結婚し、離婚した。その時の彼女から自殺未遂前、思いつめて、話を聞いたことのある私に相談をしたのだった。近々見舞いに行かなくてはならなくなった。困った。母の手術が終わるまでは遠出ができない。彼に、お詫びのメールを出した。彼の様子も心配なので、知人によろしく頼んだ。

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父の特養入所拒否騒動の始末をつけなくてはならなかった。あいにく従来のホームのケアマネさんのひとりがお休みで、話が決まらなかったのだけれども、もうひとりと話し合うことができた。急な特養キャンセルには、自宅介護を訪問介護で補完する以外ないだろうということだった。泣きっ面に蜂である。

あとは、仕事の中断とか、時間短縮などの急な変更への予防措置を事前に取っておくことだった。友人のいる予備校側は何とかなるとしても、時間講師のもうひとつの塾の方が危うかった。

塾に出かけ、主任と話し込んだ。事情が事情だけに先方は、だめとはいえない。しかし迷惑なのだ。成果なり有用な提案を出さないと、来年度契約に響くことは必至となった。

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藤沢下車。遅いお歳暮を買い込んで発送した。母から頼まれた年賀状を仕込み、就労支援PJの月例会に出る。帰りにジャスコで食材を買い込み、駅前のバス待ち時間、路上生活者の人たちと話した。身元を隠すために遠方から流れてきたひとが多い。自営の店舗を失ったひともいる。手に職がありながらも、負債が身元を奪っている。話すと顔が見えてくる。バスが来て彼と別れたが、誰もが路上生活者になる可能性のある時代に入ったと感じた。非正規雇用者の解雇・雇い止めが広がっている。この時代の障碍者就労とて別世界ではないだろう。桁外れに環境の限定された雇用実態から見ると、生産調整と不況にゆれる雇用情勢は、よそ事に見えるのだろうか。

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帰宅するとすぐに父の寝る準備にかかる。昼ベランダにかけ布団を干してあった。私は母の仕事と解釈していたが、父が布団を引きずって干したのだそうで、夜気に当たって湿気を吸い込み、ひどい状態になっていた。父が介護仕事を手助けしたと解釈できれば、それは許されたろう。しかし実際は、もらして濡らした布団が見つかれば、うるさい家族に文句を言われるし、この事態は沽券にかかわる事態だったのだ。ところが取り込むことを忘れてしまった。

父は布団を干すために、朽ちて危ないベランダを出歩いていた。しかも一部の板を踏み、へし折っていた。板が踏み抜けていたら大怪我をするところだった。母が文句をいい、その場に分け入った私が父の毛布をどけて、紙パンツを交換しようとしたところで、父が爆発した。毛布を投げ出したのだった。私も限界に来ていた。昼間、この父の意地のために、特養を拝み倒しに回ってきたのだ。どなってしまった。父は怒りに小刻みに震えながら、紙パンツ交換を受け入れ、すぐに頭から毛布をかぶった。この毛布、午前4時、警告音で呼び出されて父の部屋に行くと、ガスストーブを包むようにかかり、触れないほどに熱くなっていた。濡れた紙パンツがベッド下に落ちていた。不完全燃焼サインの警告音だった。根気合戦新手が始まっていたのだった。

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今回地域就労支援PJ12月月例会は、翔の会の店舗開設担当者の出席を得て、内容が、だいぶすりあわされたのだった。一昨日の茅ヶ崎寒川自立支援協就労支援部会の話の延長線も出て、まとまらないが、久々に内容豊富な会となったので、この議論は、次回にまとめて書きます。

夜間傾聴:事件がおきた夫婦を看てきた知人(傾聴にあらず)
     ******君(仮名)

p.s. 問題の特養にいく予定。塾に相談に出た後、巡回の予定。配達業の障碍者就労事例の収集を開始。


(校正2回目済み)

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テスト入所失敗の巻き返し、なんとか溺れずに済んだものの

2008-12-11 08:30:12 | 引きこもり
父が始めて利用する特養ホームから帰ってきた。今回はテスト入所。先方から、受け入れ拒否の話あり。要するに、職員の指示通り車椅子の利用をしないで歩き回り,
その結果、転倒すること。個室のバスを勝手に利用しようとすること。危険行為が発生するということが問題になっていた。

父は基本は、そのまま立ち歩いてしまう。注意すると歩行器を使う程度。自ら車椅子を使う習慣がない。しかし、持ち込んだ車椅子も車輪が自走式ではなく、介助者が後ろから押す、車輪の小さな型式。だから話が変だった。出発時、ケアマネ判断で、自前の歩行器は必要なしと、歩行器を返されていた。ということは、歩行を想定していないのではと想像していた。

この特養以外の空きが見つからない状況で依頼したため、ここが拒否となると2週間以上の期間の空白が出来てしまう。困った。母の入院が15日である。

話を聞いてみると、昨日、昼間指示に従わず、ふらふらと個室を抜け出していたらしい。夜間も2時間おきに、立ち歩いたという。

これは普段の様子とも違っていた。先方は指示に従わないことと、危険な徘徊を問題視していた。事情を説明し、家庭に単独留守番できる状態ではなく、階段転落の危険があることを説明。その応答は一階に居室を移せという。介護の経過(歴史)があって、一階ではガスレンジの出火騒動・屋外徘徊・風呂場無断利用窯の流しっぱなし・狭い隙間の転倒・ガラス戸襖への体当たり・玄関たたきへの落下転倒・座布団上転倒など危険行為が耐えないので、生死の問題に直結する為、2階に軟禁状態にしている旨の説明をした。

結局、論拠は夜間、宿直が1人(!!)だからというのだ。父の様子は普段と違うし、実際は今までのホームでも宿泊出来ている。論拠に無理があると説得し、とりあえず今回の宿泊予定を無理に受諾させた。

帰宅時、父の宗教団体の信者さんの応援を得て、父の2階の居室まで父を押し上げることに何とか成功したが、彼らが帰ろうとすると、突然2階で大きな転倒音がした。全員駆け上がって様子を見ると、父が階段を降りようと必死の形相で倒れていた。便の匂いがして、私には直感的に事情が理解できた。父はポータブルトイレの排便を嫌がり、一階のトイレを使いたがるのだった。案の上、父はポータブルトイレに座ると、便秘していた便を一気に排泄した。

つまり昨夜、父は便が出たかったのだ。個室はバス・トイレ組み込み型であり、父はトイレを探していたのだと想像がついた。手荷物を見ると浣腸がない。職員の看護師が使っていた。つまり職員は便秘を疑っていたのに、それを徘徊と結びつけて理解しなかったのだった。頭痛がした。病院経営の特養である。浣腸で出なかったからと、徘徊を原因に入所を断るとは、高齢者介護の常識に欠ける。

インフルエンザ予防接種を11月終了間際に、11月中に接種していないと入所不可と私に急に告げ、始末に大騒ぎがあった後、徘徊による入所拒否である。空きのない時期に、探すゆとりの無い状況下で、これは我が家にとっては死活問題だった。

父の説明を聞くと、転倒で腰にひびが入っているそうではないかとの話もあった。しかしこれは、この特養経営元の病院救急外来の検査で、緊急外来の医師に「何しに来たのか」と検査後笑われて、湿布薬を処方されて終わっている出来事の話だった。この診断も実はあんまりだった。腰から膝まで大きな内出血を起こして数日間歩けなかったのだから。しかし骨に異常は無いという診断と解釈した。病院にはCT画像の保存もあるのだ。この話が出るやいないや、「それはいいんですけどね」と、旗色が悪くなるとさっと話を変えてしまうのだった。

このケアマネさんは、施設の弁護者であって、家族に寄り添う人ではないと感じられた。宿直ひとり、この特養の現状である。夜間、火事や地震災害があったら避難はどうするのだろう。背筋が寒くなった。

先方は、施設の手に負えなくなったら、即家族に引き取ってもらうので、その体制をとるようにと私に指示をした。年末年始、父が屋内を立ち歩き、転倒の危険を理由に退所させられたらどうなるのだろう。現在のホームのケアマネさんと防衛策を練る必要が出てきた。今日さっそく、ホームにお邪魔して相談となる。

父が入所するその日、母の手術が決まった。母の手術が午前中であり、送迎車の迎えが10時である。これでは手術の立会いが出来ない。父を介護タクシーで早朝、従来のホームに運び込む必要が出てきた。この移送の調整もあったのだ。

とにかくどこの特養の送迎も、9時~10時の迎えで、16時台の送りである。その両方の時間に家族がいなくてはならない。最短5時間半の間を作るために、デイサービスを利用するのだ。入浴と当人の気分転換の意味合いしか実質役にしないのだ。ショートステイは迎えが10時台、送りが16時台という形は変わらない。だから2泊3日の場合、中1日しか実質意味を成さないのだ。

職員の過酷な労働条件が背後にあるのは知っている。しかし、そこをつなぐのが介護の知恵というものだろう。この期間、私は年末年始に冬期講習が入る。また某福祉系のライセンス研修がある。この後者は参加辞退を余儀なくされたが、冬期講習期間中、すぐに父を引き取れといわれても仕事の中断は出来ない。母の手術の立会いもアクロバット状態であり、その術後の経過によっては頻繁な通院介護の必要も出てくる。私の身体はふたつないのだ。高齢者介護の寒々とした状況が見えてくる。

今回の新規ホームの対応次第では、負け戦でも民事訴訟の可能性を考えている。施設の事情で、契約不履行で、家庭にしわ寄せされてはたまらないからだ。そのつもりで記録を残していく。

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昨日は、父を受け取った後、寒川町立図書館に飛び、期限切れ書籍を更新し、茅ヶ崎駅に戻ったあと、買出しを駆け足で済ませて、茅ヶ崎市のコミュニティーホールの講演会に飛び込んだ。40分遅刻していた。

「セルフエスティームを大切にした関わり」
-----川並かおる氏(幸町クリニックなごみ)

主催は「湘南子どもネットワーク」保育園の保母さんが中心の集まりだ。ここには障碍理解のある方が企画を組んでいる。特に自閉症関連の企画があるので、毎回参加しているのだが、今回、シュタイナー系のひとなど宗教系のひとにも感じるのだが、喜怒哀楽を脱色したような抑制の語りの薄気味悪さ、これは臨床系に結構頻繁に感じる語り口だが、聖句や医学の真理の開示を聞くかのごとく、しっくりこなかった。

いじめの諸態はそれなりに般化・抽出しているが、語り部(医師・カウンセラー)は徹底して外側に身を置くのだ。しかし、いじめについて、加害者が自分は1回しかしていないという行為も、集団行為では数十回の行為として当人にのしかかっていく。この重みへの無自覚をどう崩していくのかという、その事例報告が出てこないのも臨床系講演の特徴となっている。教員・現場職員からの講演ではなく、地域医療からの心理屋のアプローチだから、事例は被害者個人とのカウンセリング、心の解きほぐしの課題になってしまう事情が反映している。欲求不満が残った。医療現場と育成の現場とのリンクが要。そこをはずしている。

最後に、Sound of Music の「Something Cool」の訳の中から、「私に素敵なことがやってくるのは、きっと自分が以前良いことをやってきたからだ」という引用があったが、宗教そのもの。この前世的主観性いただけません。

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夜間傾聴:##君(仮名)
     *****君(仮名)
     大森海岸君(仮名・傾聴にあらず)
     いのちの電話担当者(昨日の件の報告)

とりあえず、引きこもり元青年の方とは、昔担当したことがあるので、私を経由したという経過を説明。とりあえず先方がつながったようだった。楽観はできないが、この糸を太くして欲しいと願った。

講演会の後、毎回2次会がある。今回参加しなかったのは、前回の空転のいきさつも無いことは無いが、トイレの掃除ブラシや使い捨て雑巾、尿取りパッドを持ち歩いて参加する気になれなかっただけの話だ。祖父母と父の搾便体験している男性は少数派だと思う。自分の子どもだったらあるだろうけれど。便器ブラシを振ってこれを肴にするのは、先方に迷惑かなと。

(校正2回目済み)

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背に刃物の切っ先を感じるかのように時が過ぎていき

2008-12-10 07:24:04 | 引きこもり
父が初めての、他特養ホームの入所テストを受けに出かけ、居室の清掃や防水シートの張替えなどを済ませていると、母が父のパソコン一式を撤去したいと言い出した。すでに電話回線は撤去してあるので、通信端末機能は無くなっていた。しかしパソコンは、父の看板(インテリア)なのである。撤去すれば変化が目に見える。母の入院前のいざこざは、もう沢山だった。気に入らないパジャマは出掛けに脱がされて、洗濯物の山の中に新品の蛍光色が目立っていた。母は、すっかり八つ当たり気味になっていた。

ごたつきがあると、介護の質に穴が開く。眼鏡を忘れて父は出かけていた。それだけではない、入れ歯の上側がベッド下に落ちていたのだ。父は遠視に老眼という状態で、加えて新聞雑誌がそばにあっても読む気力が無い。だが食事のときは、眼鏡が欲しいだろう。ましてや入れ歯は論外である。すぐに届けることになったが、ホームは不便なところにある。タクシーは、ひとりもふたりも料金は一緒なので、嫌がる母を無理に乗せて、臨時のホーム見学の往復をしてきた。

母が怒り出した。自分の入院先は「4人部屋」である。なのに「勝手な」父がなぜ「個室」なのかという理屈だった。こうなると話は無茶苦茶になる。大学病院の個室選択を「勿体無い」と取りやめたのは母自身だったからだ。「尿振りまいて歩いてごらんよ、個室になるから」と、私も捨て鉢になる。この状態は次のトラブルにつながりかねない。帰りの車内、私たちふたりは、むっつり無口。私の脳裏は、実は作戦をあれこれひねっていた。

作戦その1.昼食を丁寧に作ることにした。やれば仕事の準備時間が削られる。しかし、この状況には気分転換が必要なのだった。ラ・フランスと、ほたてダシの高齢者向け「『ようなし』粥」にクコ(苦酷?)を散らした。かりかりに揚げたベーコンの破片と、加熱した緑のゆでアスパラガスをその場で作って、体よくトッピングした。酸味を白ワインを隠し味に使った。

ところが母は浮かぬ顔で手をつけない。「今から病人扱いか」というのだった。

うまく行かないものである。食事後、家事作業は掃除と洗濯に入り、私が家の中を走り回っていると、「出かけてくる」と母が言い残して玄関を出て行った。母の携帯電話は充電器に残ったまま。しかも鍵を持っていかなかった。私も巡回の時間が迫っていた。足止めに巡回日送りはもう出来ない状況に追い込まれていた。

張り紙すれば、家が留守なのを自白しているようなもの。窮すれば通ず。ポストの夕刊に鍵の在り処などの伝言を挟み込んだ。異常に気づくように夕刊に輪ゴムをかけた。

今回は橋本に出る前に本厚木に用事があった。乗継ぎを間違えると大幅な遅刻になる。ストレスが溜まる遅延バス路線を経ていた。渋滞の影響が軽かったのが幸い、雨の中待たされるのは御免。なんとか巡回を済ませて、帰りの相模線に乗ると、猛烈な眠気と倦怠感が襲ってきた。

香川を過ぎる頃、電話に起こされた。母だった。「粥を温めなおしてあるから、外食せずに戻って来い」というものだった。母は無事家に入れたらしい。しかし、この「粥」は昼に母にと作ったもの。立ち寄り先の吉野家よりはましかと、むっつりしながら帰宅した。

茶の間の畳に横たわり、いつになく行儀悪くTVを観ている母の傍らに、買いなおした父のパジャマがあった。座卓には奮発したらしい上等の幕の内弁当が置いてあり、「粥」はなかった。電話は母の罠だったのだ。粥は自分で食べたらしい。母の前で、罠にはまって食べるのは癪に障った。弁当を自室に持ち込み、平らげた。糖尿病だからこの程度の分量で我慢と自分に言い聞かせつつ、図書館から借りてきた書籍を開いた。あと1時間。夜間傾聴の開始時刻が迫っていた。


夜間傾聴:多摩センター君(仮名・巡回すませたばかりなり)
     同僚(傾聴?本厚木からのお宅にお邪魔したばかりなり)
     ##君(仮名)
     緊急飛び込み1件>いのちの電話に引き継ぐ

最後の明け方の飛び込みは、ある引きこもり元青年のフィアンセのもの。悲しみ。苦しみの波紋は連鎖していく。

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「発達障害の子どもたち」が図書館期限切れを起こしていた。今日、父を受け取った後、寒川へ。子どもネットワークの夜の会合に間に合うか?

(校正2回目済み)
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入院・入所カウントダウンのひとコマから(支援と一口にいうけれど)

2008-12-09 09:42:03 | 引きこもり
父の宗教団体の女性信者さんが、母の手術入院前の準備を手伝うと、時々訪れるようになった。この方の家庭危機のとき、我が家の離れが、親子の一時避難所になったことがあった。そんな関係から交際を続けてきたのだが、生活の細かい部分に立ち入ることになると、家庭の流儀の差が目立ってくる。先方の厚意が我が家の負担に化けることも、しばしばとなった。特に好みの問題になると、この辺は、気持ちが追い詰められている母は、ついエゴが剥き出しになってしまう。相手がサービスを受ける側の主導権という一線を越えやすい方だと、関係が危うくなる。

危険を感じて、先方を母から引き離すために、父の一時入所に使うパジャマの買い物を頼んだ。これがいけなかった。「3割引きだった」と上着も選んで帰ってきた。母は別の店舗でセーターの買い物をして、その紙袋をタクシー内に置き忘れてしまっていた。帰宅した母の訴えに、すぐに私が電話問い合わせしても、遺失物は出てこなかった。その混乱の中に、揚々と父のパジャマが安かったと、この信者さんが帰ってきた。私が見てさえ、蛍光色の落ち着きの無い無粋なデザインのものを、母の様子を見ないで嬉々として話し始めた。母はだまってそのパジャマの金額を支払い。部屋にこもってしまった。さすがに信者さんも応答の異常に気づき、むっつりしていた。結局、私がその事態の収集屋をすることになった。

私は丸く治めるのが性に合わないたちなので、支援の基本をはみ出してしまったことをたとえ話を入れて状況説明をした。しかしこの部分は常識が違うところでもある。田舎流の付き合いは支えあいの関係が深い。ところが都市型では、互いに干渉しないことで安定を守っている。その好みの流儀の違いが言葉の壁になる。信者さんは、デザインの好みの差に気づかず、他人(ひと)の親切はうけるものと説教を始めて、代金を残して帰ろうとした。私は「この返金が火種になる」と伝え、無理に代金を握らせて返した。決裂である。「へたくそだねえ」と感想をもたれた方もいらっしゃるだろう。しかし私には丸く治めても、結局はこのデザインが見るたびに契機となって、母が噴火すると思えるのだ。家事をやれば女性の流儀に出会う。その厄介さには正直言って辟易とさせられる。

結局蛍光色の上着は、母の意地悪な遊びで父に着せられて、一方、父はすでにその批評力を失っているので、上着を羽織って部屋をうろついている。男はこうして枯れ、朽ちていくのだなと思うと、なにやら末期的な悲しいものがあった。

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大学病院は依然として正式な入院の日取りを連絡してこない。先方にしてみれば重篤な患者優先、救急患者優先の気持ちがある。しかし年末年始時、特養ホーム入所は申し込みの取り合いとなり、早く契約しないと空きがなくなってしまう。執刀医に状況を説明し、入院日の予定を聞きだしていた。15日入院で18日手術である。昨日執刀医の担当外来日だったので、話をしようと出かけたら、執刀医が変わっていることが判明した。案の定情報は、共有カルテの留意点文面の読み取りの多義性の隙間に、日取りの背景が曖昧になっていた。受付事務員を介して話をするので、事情がなかなか伝わらない。こうして、もとの執刀医から新たな執刀医に、我が家の事情の引継ぎを確実にして欲しいと要望を飲ませて帰ってきたが、その応答がないのだ。即日の応答は無理だろうと自分を言い聞かせ、週明けの今日あたり応答があるだろうと思っているが、なんとも不安なものだ。ここが延期された1月の手術となると、父の入所を大幅に変更しなくてはならない。高齢の夫婦所帯、子育て家庭やら、要介護者を抱える家庭は同じ宙吊りの不安に晒されるだろう。

そんな状況下、今日から新しい特養ホームのテスト入所(ショートステイ)1泊2日が始まる。他の入所者との協調性や、徘徊・自傷・転倒などの厄介者チェックが入る。つまり職員が手薄の証拠なのだが、父はボーダーである。新しい場所を納得するかどうか。おむつならぬ父の好物の人形町の老舗から取り寄せた「ムツの粕漬け」を焼いて、内緒で壮行会と勝手に名づけて、夕食に出した。どうか「頑張って、お静かに」と。

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サブダのPOP-UP絵本は、ディズニーと結託することで腐ってきた。テクニックだけでは表現に飽きがくる。余談だが、私はミルンのプーも、原作のしょぼくれた感じのほうが好き。新作ピーターパンを避けて選んだ「Brava, Strega Nona! 」は、原作の洗練度が低いしノナおばさんが家事・性分業論なのだが、ディズニーの消費娯楽の毒牙の影響は薄い。この本の背丈の高い大胆なPop-upは、色使いに限界があっても魅力である。これあたりを友人の娘さんのプレゼントの一冊にしようかと思って実は迷っている。小6というのは年齢が中途半端なのだ。(ピーターパンは場面選択と表現もNG)

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<借りた書籍から>
----- 毎日新聞社記者東海林智氏の書籍
●「貧困の現場」
●「非営利放送とは何か―市民が創るメディア」

夜間傾聴:##君(仮名)
     入谷さん(仮名・こちらから)
     多摩センター君(仮名・今夜巡回)

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父の入所テスト準備と母の手術入院準備に終わった一日

2008-12-08 07:32:43 | 引きこもり
母の食事を消化のよいものに移行させている関係で、食事が三人三様になってきた。食材を凝ると、この使い回しが結構厄介になってくるので、昭和30年代的な質素な和食が復活している。糖尿病にも確かに良いには違いないが、欲求不満が溜まってくる。総カロリー制限の中でメニューを立てているが、父の宗教団体の来客の土産の菓子に父がとうに暴発していたことを最近知った。父にはカロリー制限の「カロリー」の意味が分からない。家計が苦しいからと来客に語っていたという。ため息が出る。

今日は父のデイサービスの日だ。出かける前後に、NTTが父のインターネット回線撤去にやってくる。13時から大学病院に診断書の件で担当医に面会に行く。デイサービスの帰宅は16時台。駆け足で帰宅となり、その足で再び相模線に乗り巡回がある。午前中からの能開校関連分科会発表会は欠席することにしたが、眠るタイミングが無いので、夜間傾聴開始を2時間遅らせてもらった。母によると、猛獣のようないびきをかいていたという。

幸い傾聴は、深刻な状況の話題ではなく、いつもは巡回で会っている、寛解期にある□□さんの初連絡から、年末年始の予定を話すことで終わった。レギュラーのひとたちには、昨日メールを流しておいた関係でもあった。

Big Issue 誌108号を茅ヶ崎図書館に届けがてら、リゾットや粥の関係書を借りてきた。以前、私が喫茶のたまり場を提案していた頃、煎餅を使うメニューを考えていた。中華料理では「おこげ」であり、和食では「煎餅汁」の応用だった。このメニューが母の食事に試される。

父の膝の痛みは、どこへやら。部屋を歩き回って、大きな足音が聞こえてくる。振り回されるという言葉が、脳裏に滲み出してくる。知人から奇案あり。父の防水シート周りに猫砂を撒けというもの。さすがに、散らかって却下だったが、笑った。まもなく朝食の時間。身体がずっしりと重い。昨日の父を背負った後遺症なり。

県議のKさんからメールあり「放置傘販売」を路上生活者の雨天時収入源にする活動に形をつけるために、賛同者を仲介して欲しいと頼んでいた。結果は、既知の関連活動組織の紹介だった。局面を共有することの難しさを感じる。



夜間傾聴:□□さん(仮名・初)

(校正1回目済み)
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繰り返しの仕事の中で経験は蓄積するのだろうか

2008-12-07 15:07:06 | 引きこもり
父が膝が痛いというので、一般タクシーで、病院の救急外来に行ってきました。階段が騒ぎ。何とか父を下ろしたものの、上げるのができないので、覚悟で背負いやっと呼吸が戻ったところ。こめかみが脈打っています。以下は早朝に書き溜めたもの。母はマスクしたまま、自分の入院の支度をと、薬でぼけたまま、出かけてしまいました。

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母が風邪を引いて起きてこない。こんな事で我が家の動きは大騒動になってしまう。父の転倒と階段落下が隙をみるように起こる。未然に防いでいるものを入れると毎日起きている。土日にそれが起きると、ヘルパーさんの救援対応が取れないから、私が外出を中止しなくてはならない。しかしこれは、医療・介護現場では救急の事態とは考えられない。まだ母が入院する事態ではないからだ。

これで巡回指導と県サポの「もやい」の稲葉氏の講演会参加は吹き飛んだ。父も急に「背中がかゆい」と大声をあげ始めた。みるとジンマシンで背中全面が赤くはれ上がっていた。爪をたててかいたらしく、背中は傷だらけになっていた。こうなると、そのかゆみへの苛立ちで、部屋をむやみに歩き、いきおい部屋を出ようとする。

昨日のように、訪問集金があって業者が縁側に現れると、私の監視がルーズになったと見て、父は階段の上から一階の様子を見ている。食事の準備のときは、昨日は2階から履きそこなったスリッパが片方、階段を転げ落ちてきた。危ないのでスリッパを隠しておいたのに、いつの間にかお気に入りのスリッパを履いて、階段を降りようとする。まったく言う事を聞かない。危険極まりないのだ。何回転倒して怪我をしても全く危険への自覚が無い。

ここふつかほど、紙パンツや尿取りパッドがよごれない。変わりにポータブルトイレが無残なことになってしまった。防水シートは水溜り状になってしまう。尿に濡れた足で歩き回るから、部屋に汚れが拡がり、異臭がこもっていく。

こういう状態の高齢者には、レスタミン製剤のような眠気を誘う抗アレルギー製剤は、意識障害を起こす可能性があるので、利用は慎重にしなくてはならないが、食材補充と、昨日のBig Issue の件で、駅前で話すことが出来る関係者に伝えておく必要も有ったので、父には「かゆみ止め」と説明して薬を飲ませた。母の風邪はいつも喉風邪と鼻風邪なので、解熱剤を含まない常備薬を持っている。その分量を減らして、父に流用した。眠気誘導を逆に利用することにしたのだった。

胃壁保護剤とともに服薬後1時間、父は寝息をたてて眠り、少々の物音では反応しなくなった。清掃で溜まったぼろ布などの汚れた洗濯物を放置して、母に断って駅前にでかけようとした。母から「見張っているから大丈夫」との応答をもらい、来週の週明けの予想を見計らって、寒川図書館の書籍更新だけを済ませてくることにした。

そういう自分も、眠気で危うく相模線を乗り過ごしてしまうところだった。

神奈川新聞の5日(金)社会版に茅ヶ崎の自転車リサイクルの記事が大きく乗っている話を掴んでいたが、同紙ウェブのカナロコからはダウンロードできなかった。そんなこともあって、寒川からの帰りの道をバスにして、途中下車し買い物をジャスコで済ませれば、茅ヶ崎サポセンに寄ることができる。ここに神奈川新聞が保存してあるはずと立ち寄った。サポセンの壁に記事スクラップが紹介されていた。記事はすぐにその中に見つかり、窓口スタッフの方々の協力で、手際よくコピーを入手することができた。

3時間弱で駅前往復。帰宅すると父の部屋のカーテンが閉まっていた。嫌な予感がして玄関を入ると、汚れた紙パンツと尿取りパッドが階段下に散乱していた。母は母の寝室で眠っていた。父はパジャマを裏返しに履いて、シーツを汚した状態で布団を胴体に巻きつけて横になっていた。私が父のオムツ交換時、汚れた廃棄物を二重の袋づめにして階段から落としている作業を、父が真似をしたのだった。父は片手に夕刊を持っており、階段下にはスリッパも落ちていた。バリケードを階段に組むことを忘れていた。父は勝手に階段を下りてスリッパのまま玄関を出て、門の郵便受けから夕刊を取り出して、また階段を上がったのだった。スリッパには庭の枯れ芝と泥がついていた。そして階段の泥壁の一部がこすれ落ち、階段に砂粒が散っていた。父は途中で転倒したのだった。父の膝にアザが出来ていた。

母は気づかずに眠っていた。…状況判断が甘かった。

夕刊は開かずに握り締めたままにベッド下に放置されていた。階段昇降時、スリッパをわざわざはいて、新聞で片手がふさがっている状態で父は昇降した。肝が冷えた。父は夕刊を読むわけではない。主たるもの、傍らに新聞がなければならぬという性も無い習慣で、父は新聞を取りに行ったのだった。

リスを飼ったことがある方はご存知だろう。この時期、慣れている飼いリスでも、頬袋に餌をためてかごの隅に隠そうとしたり、枯葉の山がそこにはないのに、前足で枯葉を叩くように空間を叩く行動が始まる。このとき、リスに触れば、慣れたリスも威嚇して噛みついてくる。これは本能だが、父の習慣行動も、なんとも訂正されないもどかしさがある。

夜間、父の膝が腫れて来た。以前内出血した全く同じ場所を打っていた。介護者を苛立たせるのは、隠すということなく明晰な応答で「階段を降りた覚えは無い」と父が言い切ることだった。証拠を見せて論を追い込んでも、それは無益だった。むしろ膝を「階段でころんで怪我をした。危ないから、ひとりで階段をおりるのは、やめよう」と諭すのがせいぜいだ。患部を消毒し、剥がしてしまわないように塗り薬で湿布した。

母は夕刊の件に驚きながらも、「自業自得、首の骨を折ればよかったのに」と、私の話をはねのけた。巡回指導のひとりはFAXが使えたので、携帯とFAXでなんとか対応を済ませたが、これは契約違反なので、改めてもう一度訪問しなくてはならない。

昼間、父の宗教団体の信者さんが突然現れ、清掃終了直後の父の部屋に上がっていった。そのとき、一時留守番待機を頼めばよかったのだろう。ケアマネさんにメールを書いた。父のテスト入所が9日(火)に迫っていた。風邪を引かさないように、ここ数日、咳き込む母との接触を避けるようにした。母の胃はクリッピングしてある。風邪薬の刺激や咳き込みの振動でクリップがはずれないかと気になる。日曜は主治医も休診である。

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葉物をゆでて保存。調理手間を省く段取り。アレルギーの消炎酵素剤入りの軟膏を追加購入。(古いレスタミン・コーチゾン軟膏が処方箋薬だとは知らなかった。初めて買う薬局で断られてしまった。)バリケード設置について、母と再確認。父の緊急時、セコム非常用ボタンを使うことを確認。私への連絡は、その方が中断し帰宅しやすいからだ。119は勿論のことだ。

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マーガレット・ワイズ・ブラウンとレナード・ワイスガードの古典絵本「たいせつなこと」を友人の娘さんのクリスマス・プレゼントに加えることにした。価値観の宗教的転倒が見られるものの、この絵本は年齢が上がっても、それなりの読みが出来る。

●「たいせつなこと (ほんやく絵本) 」
●「The Important Book(英語版)」

あとはがらりと雰囲気が違うが、五味太郎氏のものかな。

夜間傾聴:町田さん(仮名)
     ******君(仮名)
     橋本君(仮名)

(校正1回目済み)
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父の転倒で混乱しています、後ほど

2008-12-07 09:37:52 | 引きこもり
すみません。
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引きこもり青年の社会復帰活動と路上生活者支援の質の違いを感じた一日

2008-12-06 08:19:21 | 引きこもり
父の身辺の介護のヘルパーさんが1時間入る時間帯、従妹から老夫婦の訪問の件でお礼の長電話が入った。この手の電話は苦手。事情を説明し切ろうとするが察してくれない。来客中と断って切ったものの、「清拭」を「正式」と勘違いして奇妙な説得を始める従妹は、介護からいかに縁遠いかがわかる。

単純に1時間、家族の介護の代行を頼むのではなく、素人にはうまく行かない作業や、複数名の方がうまく行く作業(枕元の家具移動を必要とする清掃など)を事前に選択して依頼する。ここがうまく行くかどうかは、ヘルパーさんの資質に依存している部分が大きい。現在のヘルパーさんは、家電の利用流儀が違っていて、やっとその理由が独居高齢者のところを回っている方であると事業所社長の話を聞いて納得した。利用できる機器も、節約が先に回って合理的ではないのだ。

天候がおかしく、雨雲が走り南風が庭の汚物入れのペール缶を倒し、雷雨となった前線通過のとき、紙パンツなどの消耗品の買出しが必要となり困った。通販を思い出し助かった。配達の「18時過ぎ」には母が帰ってきている。平塚労基署とハローワークを回って、ある青年の依頼を処理していた。バイト先の事業所閉鎖の件だった。駅前から離れているところばかりなので重装備で出かけたところ、あっさり雨があがってがっかり。

Big Issue 東京事務所のIさんとの話し合いには少し時間のゆとりがあったので、補充食材を購入。魚の切り身とわかめを抱えたおっさんというのは、そうざらにはいないだろう。元湘南販売のTさん同席で再開への道を探ったが、難しい。引きこもり青年の社会復帰支援とは、やはり様相が違う。様々な人間関係や金銭トラブルの破綻が背景に潜んでいる。ここまでこじれる前に、生活と人生設計を育てて流れを作っていく必要を感じる。

Iさんとは、路上生活者の雨天収入確保と地域連携を課題に放置傘のアイデアをどう膨らませるかという件について、依頼したのと同時に、自転車リサイクルの件で、Big Issue のネットワークからの情報を得られないかと模索したが、主だった情報は得られなかった。今回はむしろ、佐野代表と話し合った件が、東京事務所に改めて届いた点だ。当座必要な冊子を入手するために、横浜販売の方との連絡法を知ったことや、彼らの情報網への一部参加の窓が開いた件が大きかった。引きこもり青年が家族の支援を失ったとき、ネットカフェや路上にはみ出していく。その部分への介入支援の手がかりになるからだ。

しかし、この年越しをどうするかということについては、カトリック教会のHL支援網が支えているのだろう、要望の少なさにちょっと肩透かしを感じていた。

この話し合いの中で、前述の青年の場合も、もし東京都や横浜市で起きたトラブルなら、手立ての選択肢がもっと拡げられていただろうと、この話し合いの中で地域差を感じていた。支援者の厚みと公共支援環境が違うのだ。しかし、活動に理解のある労働法関連の弁護士ルートは、もっと太くしておかなければ、私のような地域支援者の分業部分が忙殺されてしまうことも感じる。地域支援者は当事者・家族・地域社会の接点に立っている。その横断的な伴走仲介・地域活動育成の性格を生かすために、今回のBig Issueのように、協力の接点作りと協力網を作っていかなくては、力が身につかない。逆に言えば横断的な視座を持った方と出会わなければ、これからの活動は難しいのだ。その状況認識があるかどうかが問題ありといわざるを得ないのだ。

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帰宅して遅い夕食を作っていると、父の怒鳴り声がした。母が手術の話を切り出したら、「俺はどうなるのだ」と言い出したらしい。母にはその自己中心的な労りのなさが癪にさわって怒りをぶつけ、父が怒鳴りだしたという経過。もう期待する段階ではないというのにと私は感じている。母の孤独とエゴが父の鳥瞰の視座を失ったもののエゴと衝突している。泥沼化しないうちに引き分けている自分の無力を感じる。母を茶の間に誘い、調理を速めて父に出す。母は勝手に自分の分を取って食べ始めていた。父を守る私が気に入らないのだった。正直言って父に加担する気には、なれない。安定した状態で父を特養に一時入所させ、母の安定を図ることが必要だった。来週早々から動きが始まる。時間を置いて母に再確認させたのだった。

今回の依頼の青年は、以前の伊勢原君(仮名)の保護に当たった沼津の**さんの依頼によるものだった。すこしずつ依頼の入り方が変わってきたことを感じる。いわゆる不登校・引きこもり分野の活動からというより、地域福祉関連からの個人的ルートが少し開いてきているように思うのだ。しかしそれも地元に根付く方向にはまだ至らない。どうしたものかと思いつつ、**さんと青年に中間報告のメールを書いていた。

夜間傾聴:##君(仮名)
     中延君(仮名)
     町田さん(仮名・こちらから)

大津和夫さん講演依頼は可能かとBig IssueのIさんに打診。活動を理解してくれたからとの応答。得体の知れない個人はだめかなと改めて思う。精神の領域からだったら接点がもてるはずなのだが。悩み。

以上

(校正1回目済み)
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一区切りの一日

2008-12-05 08:33:55 | 引きこもり
母の入院先との細部調整。診断書申込。しかし遠い。途中、父の一時入所する特養から連絡あり。徘徊したら、あかんよとのテスト基準の言。9・10日と父、泊まりで、新規入所テスト。むしろ転倒が気になる。基準満たさねば、私も特養で徘徊することになるのかと。

家業代理から社長へと変更。実体も実態もないなあとため息。市民活動の名刺があって、家業の名刺が無い不思議。相手は私が子どもの頃から知っているおっさん。やりにくい。先方の方が髪が多いのはなぜ。

ともあれ、あちこちで一区切りの一日。Big Issue 東京事務所のIさんと、今日会う。湘南販売のTさんも同席。いろいろ難しい経過があるようで、難航しそうな予感。

父の様子がおかしい。舌のもつれか。また血栓が跳んだ気配。午前中、病院検査。様子見とバファリン、この病院得意の研修医かなと。帰宅後、猛烈な食欲。介護者がげんなりする。

さわら1本、店頭にみる。1mほど。予約の札あり。ため息つきつつ、となりの切り身を買う。なにやら一日中、脱力の一日。



<気になる記事>
●「「派遣切るな」2千人 怒りと不安、東京・日比谷」
●「「非正規切り」の失業手当、正社員と同等に 厚労省方針」
●「高齢者・障害者の人権110番:弁護士会があす開設 /東京」
●「「ネットカフェが住所」9件 蕨市、3月以降 「生活の根拠」認める/埼玉」

<予約書籍から>
●「思春期のアスペルガー症候群 (こころライブラリー イラスト版) 」佐々木正美・著
●「非定型うつ病」貝谷久宣・著
●「発達障害ガイドブック―保護者と保育士・教師・保健師・医師のために 自閉症スペクトル、広汎性発達障害、高機能自閉症、アスペルガー症候群、AD/HD、学習障害」
●「自殺願望のある患者へのケア ~自殺予防先進国スウェーデンの対策マニュアル」
●「精神保健福祉白書〈2009年版〉地域移行・地域生活支援はどう進むのか」
●「障害者就労支援活動事例集 (障害のある人の働きたいを支えるシリーズ) 」東京都社会福祉協議会編
●「福祉、教育、労働の連携による知的障害者の就業・生活支援―連続性のあるチーム支援モデルの提案 知的障害者就労支援研究報告書」東京都社会福祉協議会編


夜間傾聴:******君(仮名・親)
     Oさん(仮名・こちらから)

p.s. OさんからTELあり。ブログを読んでいらしたとは。銭湯の窯の火の上でお話していたような、奇妙な感覚。四捨五入60年、ぶらり活動していたわけではないので、もしかしたら敷居を低く出来れば、橋渡し屋になれるかなと。できることは限られていますが…。

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