湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

師走の一日を実感しつつ

2008-12-26 06:31:38 | 引きこもり
私の担当した引きこもり元青年の元奥さんが、服毒自殺未遂の状態で入院していたが、一昨日退院し実家に戻られた。私はふたりともに交友があったので、親御さん経由で了解を取り、昨日お見舞いに行ってきた。体調回復は順調だが、まだあれこれ話す状態ではないので、短時間で失礼した。その後、久々に男性の方にも会って来たが、シビア。それが個性であるが、痛々しい心がところどころに顔を出していた。しかし時の流れは速い。彼の髭はだいぶ白髪が混じってきた。

池袋から新宿に出て、ある障碍者団体の研究会の国際セミナーの申込をしてきた。この日、職業リハビリテーション学会系のセミナーとダブル・ブッキングとなるのだが、プログラムを見て渡り歩くつもりでいる。片方は社会的企業の国際状況の情報入手と、ワークシェアのネットワークを推進する事例が得られそうなのだが、片方は神奈川県の具体的な動きと発達障碍に特化した就労支援の事例とのリンクを含めて、これも欠かすことが出来ない話なのだ。分身の術ともいかず、こういうとき零細企業経営のような分業が出来ない悲しさがある。

茅ヶ崎からも新宿からも大差ない母の入院先へと回った。午前中、家族を呼び出しての栄養指導が組まれていたが、内容を知っていることと、母の友人がヘルパーさんに化けて出てくれるとのことで、逃げ出した。9時半までに病室になどと朝型人間基準で言われても、7時半に家を出るなら、有意義に使いたかった。この栄養指導はパンフレットがあって、その読み方の説明のようなものなのだ。医療関係者は自分の予定を押し付ける。忙しいのは分かるが、家族との日程交渉を踏まえないのは失礼というものだ。医療の非対称的関係が透けて見える。

母の回復は順調だが、諍いのしこりが残っていた。移動先の消化器外科の4人部屋は、静かだった。しかしナースセンターで移動先を聞くとき、腫れ物にさわるような応答は、なんとも…。

病室には午前中の母の友人とは別の友人のお客さんがいらしていた。母の友人にしては珍しく高齢者介護やダウン症児イベント・バックアップなどの活動をされていて、母をついのけ者にして話をしてしまうのだった。しかし、市民活動はさまざまな参加レベルがある。企業的経営手法を導入して解決力を高める話が論じられるが、古い表現だが「ゲタ履き参加」、ひょいと参加できる気軽さ、敷居の低さも市民活動の命なのだ。この広い裾野を見失うと、市民活動は地域サービス企業の営利活動の隠れ蓑に没してしまう。ここは敏感であるべきと思っている。企業との協働と言っても原動力の質の違いは保つべきことだ。

母は赤い羽根に熱くなるセンスは、お祭り屋だと酷評。私もスポーツファンとか県人会などの熱気にファシズムの根を感じてしまうのだが、病室の会話ではないから、母の友人の話をつつきながら、片方で抑制してしまった。

母より少し若い方だが、茅ヶ崎サポセンで捕まりそうだ。少々頭が痛い。

病院は、今日朝10時から担当医の術後経過と退院後の見通しの話し合いがある。家族親族強制参加である。平日のふつか間午前中に日程が開けられる人がどれほどいるのか。これが自覚が無い。分業調整屋が病院内にいないのがいけないのだ。

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病院から30分、夜間傾聴のレギュラー、##君のお宅を訪問した。中身は書けないが、##君の見通しが少し開けてきたのは嬉しい。あせるともつれる。君は自分を語れる。それは、だからこそ苦しいのだが、それは実は、すごいことなのだ。(こういう物言いは、いけないのだが。)

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横浜駅のBig Issue 販売員さんと会えないで困っている。新刊を図書館寄贈しているので、差し替えが出来ないのだ。もう1ヶ月になる。今回も空振り。

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日がとっぷりと暮れた闇の中、父の好きなチラシ寿司を抱えて特養に飛び込んだ。施設では食中毒の危険があるので、生もの食品の持ち込みは禁じられているのだが、今回は家族が直接食べさせるという条件の下で許可されていた。

前々日、父の転倒の件で呼び出されていたので、こう頻繁に通わなくてはならないのなら、預ける意味が無い。今回も、転倒の件で父の衰えが見える話に、寒空に立つような気持ちになっていた。腰掛ける際、椅子やベッドサイドとの距離感がつかめないために、転倒したりずり落ちてしまう。車で言えば車幅感覚に当たる身体感覚が後退しているのだ。

現場責任者の方は夕食後の支度の片手間で、なかなか話が煮詰まらなかったが、ケアマネさん以外に、家の状況を伝えることが出来た。しかし、帰りはバスが無い。父のうまそうにチラシ弁当を食う様子を見ながらどうしたものかと考えていた。

結局洗濯物を抱えているので、タクシーを使ったが、これでは身が持たない。特養には、年内あと1日来るが、後は来年になると伝え、父の個室の扉を閉めるとき、「こけるなよ」と念じていた。「扉閉めちゃだめ!倒れても見えないでしょ!」と、職員さんに怒鳴られて、それも断ち切られたのだが。

洗濯しながら自炊。訪問レポートを書いてメールしたら23時を回っていた。覚悟して仮眠を取った。寝たら傾聴電話が鳴ろうが、暴漢が飛び込んで来ようが寝ているからだ。午前3時前、ここに書けない方の連絡が入り、20分後、朝訪問した彼からお礼のメールが飛び込んだ。

緑内障の右目が最悪。資料整理を中断して、お茶を飲んだ。病院への出発まであと1時間半。夜の授業までの間、病院外来のソファで仮眠することに。用事をまとめない医療関係者に苛立ちを感じつつ。

夜間傾聴:&&君(仮名・元青年<中年と書くかね?)
     ほか1名

p.s. ●「自閉症の社会学」入手

(校正1回目済み)
コメント
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