父が初めての、他特養ホームの入所テストを受けに出かけ、居室の清掃や防水シートの張替えなどを済ませていると、母が父のパソコン一式を撤去したいと言い出した。すでに電話回線は撤去してあるので、通信端末機能は無くなっていた。しかしパソコンは、父の看板(インテリア)なのである。撤去すれば変化が目に見える。母の入院前のいざこざは、もう沢山だった。気に入らないパジャマは出掛けに脱がされて、洗濯物の山の中に新品の蛍光色が目立っていた。母は、すっかり八つ当たり気味になっていた。
ごたつきがあると、介護の質に穴が開く。眼鏡を忘れて父は出かけていた。それだけではない、入れ歯の上側がベッド下に落ちていたのだ。父は遠視に老眼という状態で、加えて新聞雑誌がそばにあっても読む気力が無い。だが食事のときは、眼鏡が欲しいだろう。ましてや入れ歯は論外である。すぐに届けることになったが、ホームは不便なところにある。タクシーは、ひとりもふたりも料金は一緒なので、嫌がる母を無理に乗せて、臨時のホーム見学の往復をしてきた。
母が怒り出した。自分の入院先は「4人部屋」である。なのに「勝手な」父がなぜ「個室」なのかという理屈だった。こうなると話は無茶苦茶になる。大学病院の個室選択を「勿体無い」と取りやめたのは母自身だったからだ。「尿振りまいて歩いてごらんよ、個室になるから」と、私も捨て鉢になる。この状態は次のトラブルにつながりかねない。帰りの車内、私たちふたりは、むっつり無口。私の脳裏は、実は作戦をあれこれひねっていた。
作戦その1.昼食を丁寧に作ることにした。やれば仕事の準備時間が削られる。しかし、この状況には気分転換が必要なのだった。ラ・フランスと、ほたてダシの高齢者向け「『ようなし』粥」にクコ(苦酷?)を散らした。かりかりに揚げたベーコンの破片と、加熱した緑のゆでアスパラガスをその場で作って、体よくトッピングした。酸味を白ワインを隠し味に使った。
ところが母は浮かぬ顔で手をつけない。「今から病人扱いか」というのだった。
うまく行かないものである。食事後、家事作業は掃除と洗濯に入り、私が家の中を走り回っていると、「出かけてくる」と母が言い残して玄関を出て行った。母の携帯電話は充電器に残ったまま。しかも鍵を持っていかなかった。私も巡回の時間が迫っていた。足止めに巡回日送りはもう出来ない状況に追い込まれていた。
張り紙すれば、家が留守なのを自白しているようなもの。窮すれば通ず。ポストの夕刊に鍵の在り処などの伝言を挟み込んだ。異常に気づくように夕刊に輪ゴムをかけた。
今回は橋本に出る前に本厚木に用事があった。乗継ぎを間違えると大幅な遅刻になる。ストレスが溜まる遅延バス路線を経ていた。渋滞の影響が軽かったのが幸い、雨の中待たされるのは御免。なんとか巡回を済ませて、帰りの相模線に乗ると、猛烈な眠気と倦怠感が襲ってきた。
香川を過ぎる頃、電話に起こされた。母だった。「粥を温めなおしてあるから、外食せずに戻って来い」というものだった。母は無事家に入れたらしい。しかし、この「粥」は昼に母にと作ったもの。立ち寄り先の吉野家よりはましかと、むっつりしながら帰宅した。
茶の間の畳に横たわり、いつになく行儀悪くTVを観ている母の傍らに、買いなおした父のパジャマがあった。座卓には奮発したらしい上等の幕の内弁当が置いてあり、「粥」はなかった。電話は母の罠だったのだ。粥は自分で食べたらしい。母の前で、罠にはまって食べるのは癪に障った。弁当を自室に持ち込み、平らげた。糖尿病だからこの程度の分量で我慢と自分に言い聞かせつつ、図書館から借りてきた書籍を開いた。あと1時間。夜間傾聴の開始時刻が迫っていた。
夜間傾聴:多摩センター君(仮名・巡回すませたばかりなり)
同僚(傾聴?本厚木からのお宅にお邪魔したばかりなり)
##君(仮名)
緊急飛び込み1件>いのちの電話に引き継ぐ
最後の明け方の飛び込みは、ある引きこもり元青年のフィアンセのもの。悲しみ。苦しみの波紋は連鎖していく。
------
「発達障害の子どもたち」が図書館期限切れを起こしていた。今日、父を受け取った後、寒川へ。子どもネットワークの夜の会合に間に合うか?
(校正2回目済み)
ごたつきがあると、介護の質に穴が開く。眼鏡を忘れて父は出かけていた。それだけではない、入れ歯の上側がベッド下に落ちていたのだ。父は遠視に老眼という状態で、加えて新聞雑誌がそばにあっても読む気力が無い。だが食事のときは、眼鏡が欲しいだろう。ましてや入れ歯は論外である。すぐに届けることになったが、ホームは不便なところにある。タクシーは、ひとりもふたりも料金は一緒なので、嫌がる母を無理に乗せて、臨時のホーム見学の往復をしてきた。
母が怒り出した。自分の入院先は「4人部屋」である。なのに「勝手な」父がなぜ「個室」なのかという理屈だった。こうなると話は無茶苦茶になる。大学病院の個室選択を「勿体無い」と取りやめたのは母自身だったからだ。「尿振りまいて歩いてごらんよ、個室になるから」と、私も捨て鉢になる。この状態は次のトラブルにつながりかねない。帰りの車内、私たちふたりは、むっつり無口。私の脳裏は、実は作戦をあれこれひねっていた。
作戦その1.昼食を丁寧に作ることにした。やれば仕事の準備時間が削られる。しかし、この状況には気分転換が必要なのだった。ラ・フランスと、ほたてダシの高齢者向け「『ようなし』粥」にクコ(苦酷?)を散らした。かりかりに揚げたベーコンの破片と、加熱した緑のゆでアスパラガスをその場で作って、体よくトッピングした。酸味を白ワインを隠し味に使った。
ところが母は浮かぬ顔で手をつけない。「今から病人扱いか」というのだった。
うまく行かないものである。食事後、家事作業は掃除と洗濯に入り、私が家の中を走り回っていると、「出かけてくる」と母が言い残して玄関を出て行った。母の携帯電話は充電器に残ったまま。しかも鍵を持っていかなかった。私も巡回の時間が迫っていた。足止めに巡回日送りはもう出来ない状況に追い込まれていた。
張り紙すれば、家が留守なのを自白しているようなもの。窮すれば通ず。ポストの夕刊に鍵の在り処などの伝言を挟み込んだ。異常に気づくように夕刊に輪ゴムをかけた。
今回は橋本に出る前に本厚木に用事があった。乗継ぎを間違えると大幅な遅刻になる。ストレスが溜まる遅延バス路線を経ていた。渋滞の影響が軽かったのが幸い、雨の中待たされるのは御免。なんとか巡回を済ませて、帰りの相模線に乗ると、猛烈な眠気と倦怠感が襲ってきた。
香川を過ぎる頃、電話に起こされた。母だった。「粥を温めなおしてあるから、外食せずに戻って来い」というものだった。母は無事家に入れたらしい。しかし、この「粥」は昼に母にと作ったもの。立ち寄り先の吉野家よりはましかと、むっつりしながら帰宅した。
茶の間の畳に横たわり、いつになく行儀悪くTVを観ている母の傍らに、買いなおした父のパジャマがあった。座卓には奮発したらしい上等の幕の内弁当が置いてあり、「粥」はなかった。電話は母の罠だったのだ。粥は自分で食べたらしい。母の前で、罠にはまって食べるのは癪に障った。弁当を自室に持ち込み、平らげた。糖尿病だからこの程度の分量で我慢と自分に言い聞かせつつ、図書館から借りてきた書籍を開いた。あと1時間。夜間傾聴の開始時刻が迫っていた。
夜間傾聴:多摩センター君(仮名・巡回すませたばかりなり)
同僚(傾聴?本厚木からのお宅にお邪魔したばかりなり)
##君(仮名)
緊急飛び込み1件>いのちの電話に引き継ぐ
最後の明け方の飛び込みは、ある引きこもり元青年のフィアンセのもの。悲しみ。苦しみの波紋は連鎖していく。
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「発達障害の子どもたち」が図書館期限切れを起こしていた。今日、父を受け取った後、寒川へ。子どもネットワークの夜の会合に間に合うか?
(校正2回目済み)