湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

母の入院まであと1日/地域参加を促すネットと既存ネットの連携企画を

2008-12-14 06:52:03 | 引きこもり
来客が多い。しかも父の宗教団体の若者が突然父に会いに来る。近所の靖国信奉のもと高校教員の一家もほめちぎられて、老夫妻が亡くなっていったことを思い出した。組織行動なので訪問時間に起きたことが、翌日にはその地区の信者には皆伝わっている。

数名のレギュラーの方の階段昇降補助以外は、見舞いという聖書と冊子を読み合わせ、時間奉仕だから、介護からすれば、父の気分転換になりこそすれ、母にとっては家事負担と仕事中断でしかない。

父がひとりで歩かずに、特に家族の外出時、静かにベッド上にいてさえしてくれれば、これほどに多数のひとの手をやかせずに済んだ。おしめの受容が出来ないために、家族が飼い殺しになっている。何よりその当人が、病気の自分を省みずに、家族に憎しみと反発を向けてくる矛盾に、母が苛立ちを募らせている。そこに加えて表層的な激励の言葉を「父に」かけている来客が、煩わしくてならないのだ。

「老老介護が殺し合いになるのは、わかるわ」と母が矛先を私に向けてくるが、私もそう思う。しかしそれが、地縁・血縁社会の崩壊という社会的要因が背景にあることや、社会保障の貧しさがことを顕在化していることがわかる。大家族に支えられたとて、嫁姑の確執はある。だから地縁・血縁賛美をするつもりはないが、地域社会の支援がないから、矛盾が家族にしわよせされてくる。徘徊者・加害や自傷者を切り捨てる施設がある矛盾、施設への貧しい社会保障が弱者選別につながっている現状を知る者が、直情的な怒りに身を焼くことはないが、たしかに心のマグマは溜まっていく。しかし怒りの沈黙が偽善とは思わない。たとえ認知症による判断の後退がなかったにせよ、極悪人にも介護は必要である。また、宗教者の協力の背景の人間関係のしばりから、その宗教を信奉しようとは思わない。介護の遂行と、社会改革が必要なこと、これは心の問題に隠蔽できない。宗教者が脳裏(心)の安定をいうなら、彼らは家族の負担への想像力を高めるべきだろう。目の前の現実を、各人の頭で、意志を持って立て。

入院前、確認すればするほど、用事は膨らんでいく。母の入院日数が確定できないために、介護スケジュールの選択肢が多岐にわたり、複雑化を余儀なくされている。その流れが変わるほど、入院時の支度や費用配分、父の強制退所を含む事前の緊急対策に、準備は揺り動かされていく。年末年始はサバイバルじみてくる。靴下に名前の縫い取りをするサバイバル、家族の衣類と処方常備薬を入院前に整えるサバイバル、冷蔵庫管理再チェックのサバイバル、職員が手薄になる時期の緊急医療・介護の隙間への対応の検討など、母との確認は際限がない。しかし気が付くと、男はどうしてこうも邪魔者でしかないのだろう。力技以外に利用価値がないのだろうか。女性側の家事からの排除があるのは否定しないが、例えれば、必要なのはトラックではなく軽自動車・ミニバイクなのである。ダンプや電柱ではない。

私の同僚からは、この時期、一般営業職ではないから忘年会や旅行の話は出てこない。冬期が忙しい因果な商売だが、それでも分かっているはずの少数の知人から、なぜ旅行できないかとそれでも電話がかかる。勿論、男ばかりである。販売勧誘電話なら不快を感じつつも切れば済む。しかし知人遮断は、アフタケアがいる。それが面倒だ。昨日2回、4本のバスを逃した。定年間際の小学校・高校教員ばかりである。

自殺未遂の女性の見舞いも、彼女の退院後、母の入院と、父の一時入所後にさせてもらった。心の問題を抱える場には、見舞いの行為の影響もある。常に家族等への打診を踏まえなくてはならない。私は女性の予後と共に、引きこもっていた夫(私の元相談当事者)の様子が気になる。幼児の保護の経過も知っておきたい。

JDD(発達障害ネットワーク)の参加の余地は、結局全くなかった。父が興奮して、昨日は3回転げ落ち1回転倒、階段踊場に5回も現れた。衣類・紙パンツの詰め込み騒ぎの始末は、父の再現防止策も打たなくてはならない。ダミーを置いておかないと、押入れから箪笥まで開けてかき回されてしまうだろう。

追われるせいか、私にも「トイレ中の携帯チェック」が始まった。予定表と、メモが虚しい作業を大量に含む日課のチェックにフル回転する。トイレの独り言が、すぐ隣に家を建てた一家が、間違えて返事するほど接近した隣人の部屋へと漏れてしまう。不動産屋がいけないのだが、先方も文句に呆れているだろう。

母が年賀状を書き終えた。「私が書くのは授業報告書」と、私が年賀状強制をかわすものだから、「うだつのあがらない息子」と愚痴る。うだつあがっても仕方ないのが福祉と教育の仕事なので、それより活動の後退が困ると応答。「馬鹿だねえ,髭面して」と母はア・プリオリなため息をつく。これが母のアイデンティティなのだと、横文字ではなく、やたらカタカナが脳裏を転がっていく。(福祉で、うだつが上がったら、こわいと思うが。)

先日の地域就労支援PJ月例会に再燃した小箱ショップ案は、適案であるかは別として、それはそれとしてバックアップになるオンライン販路をさぐっている。現行の福祉系店舗は、そこが利用者(障碍者)へのサービスという法的な位置づけがあるために、利潤を上げるということに鈍くなる。立地条件が経営不振のスーパーに依存していることは、小箱ショップも自転車配送とともに変わらない。しかし楽天市場やYahoo!のような場への出店は月額2万円を超す利用料を支えなくてはならないし、個人HPは企画・広告に専心せねば、売り上げが格段に差がつく。飲食物物販は別資格がいる。

通販フリーソフトを大手環境と別個に設置管理するのが現実的と思う。しかし私の余力はここまで。引きこもり青年たちの生活就労支援をカウンセリングの枠を超えて、別団体との地域協働の絵へと現実化する手立てを考えて行きたい。自転車配達業の可能性の事例収集。自転車リサイクルの公共自転車制度の中の公共事業に仕事作りをする、現行街づくりとの接点取材と構想。路上生活者向けの春先の雨期を見越した放置傘獲得策も冬期講習の合間に探っておきたい。

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p.s.介護用品で思わぬ出来事にぶつかった。ラテックス(作業手袋)が私の手だと大きくて、破れてしまうのだ。メーカーの品質差が露骨に出てくる。ラテックスの補充交換終了。母入院まであと1日。午前6時前、父が起き出す。足を引きずる大きな足音。警戒再開。


夜間傾聴:******君(仮名・親)
     □□さん(仮名・親)
     中延君(仮名・訪問しなくては、ね。)

(校正3回目済み)

コメント
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