湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

入院期間は年越しまで延長となった

2008-12-16 07:22:50 | 引きこもり
母の入院に付き添って大学病院へ。

その出発の時点から、父の件が足を引っ張る。父をひとり留守番させれば、階段落下は目に見えている。家具を倒しての転倒が起きる。前日からのショートステイが出来なければ、当日のデイサービスやショートステイで送り出さざるを得ない。この送り出しの時間がデイなら午前9時、ショートなら午前10時となる。病院到着が午前中だと、間に合わない場合が出てくる。

今回もその例だった。迎え直前のバスに乗らないと、乗継ぎで予定時間に間に合わない、融通の利かないわずか数分の戦いだった。朝の階段介助のヘルパーさんも都合がつかず、父の宗教団体の信者さんも都合がぎりぎり、階段介助と父の送り出しを済ませた後、やはりバスで数分のゆとりしかなかった。

早めに父を階段から降ろし、玄関で椅子に座らせ待機するが、緊張するからか、済ませたばかりの排尿を要求するので、自分の準備が出来なかった。これは予想されていたことなので、実害はなかったが、ハプニングが起こればすべてが崩れてしまう危うい事態だった。

再度父を座らせている横で、母が先にバス停に出かけていく。私のほうが足が速い。その時間差を見越していた。父を送り出した後、信者さんに鍵を玄関ポストに投げ入れてくれれば、私は自分の鍵で開けることができる。送迎車と道の途中で会いながら、会釈でバス停に向かい、先に到着している母と合流して、丁度到着した路線バスに乗ることが出来た。

急ぎ足で駅の売店でパンを買い込み、混雑している車内で食事をすませ、かさの多い荷物を抱きかかえて乗継ぎ、何とか病院に5分前に到着した。渋滞があったらアウトだった。ことが入院だから、診察ではないので、その辺は多少気楽だったが、先方はすでに研修医が採血と問診の為に控えていた。

母の部屋はゆとりのある4人部屋。カーテンの間仕切りで、全くお互いは見えない。TVは勝手に観ることができる。看護師は師長を含めて、皆若いが、手馴れているところが、地元病院と明らかに違っていた。自分のパートは自分の責任で答えるという点が通っていた。単純な質問ですら、責任のなすりあいで苛立つということがないのは、範囲外は無視という切断があっても、取り継ぐので、納得がいく。

母は再び18日朝8時の手術(オペ)に戻されていた。平日、年休を取って立ち会うものには、この頻繁な変更は手痛いだろう。問いただすと、重症患者が優先なのでという。年休変更の重さを彼らは知らない。命を盾に利用者を切り捨てている。これは「止むをえないと、当たり前」の差で、医師の越権を感じる。

看護師から入院説明を聴く。「家から遠いからと患者を投げ出すな」ということが、話の中心のようだったが、失礼である。私には入院期間が不確定なことの方が気になっていた。約3週間、年明けまで母は入院であり、すでに組んでおいた父の一時入所予定の終了日は、その枠になんとか間に合った。勿論、徘徊と転倒で中途解約の事態になる可能性も大きいので、伏線の相談は、ケアマネさんと相談していた。

今日一日、父の行動の見張りが済めば、2泊3日のショートステイがあり、母の手術日を挟んで3日間、母の付き添いに専心できる。しかし前日の夕方の手術説明に家族関係者の集合を、手術の数日前になってかけるのだから、勝手である。日程はわからずとも、最低限、いつから何日間、どのような段取りで通院しなくてはならないかということの説明が欠けている。「手術説明には、必ず関係者が参加するように」という言葉には、さすがにクレームをつけた。医療は介護と連携が必要、介護は家族が不可欠。話が一方的で、ネットワークの自覚にかけるのではないですかと言った。研修医はむっとした顔。私は「どうですか」と応答要求のダメ押し。「ではこれで」と、医師は応答を避けて逃げ出した。予後の「診療の必要情報は確実に流してください」と看護師に伝える。緊張する看護師は、それでも話の流れの中で、特に日程が父の介護日程に直結している事情を知り、納得する。勝手なもので、あまり納得しないで欲しいという気持ちもあるのだが。

時計は14時を回っていた。相模大野校から会議欠席へのきつい注意メールが入っていた。応答を書きながらバス停着。先に近所で買い物を済ませておかないと、父が帰ってくると外出できなくなる。補充の買い物をすませて家の前に戻ると、すでに階段介助のヘルパーさんが車の中で待っていた。慌しく家を開くと、5分ほどして、送迎車から到着の確認電話が入り、電話を切ると、すぐに父が帰ってきた。

父を受け取ると送迎職員は帰ってしまう。ヘルパーさんと、父を居室に上げようとすると、父がまた排尿要求、次が冷蔵庫に行くのだと言い出す。ホームの食事がまずくて食べずに残したという。ともあれ、父をベッドまで送り込んで、ヘルパーさんを帰したところで、怒りがわいてくる。今日は母の入院日である。片言の問いかけもなく空腹が優先なのかと。

軽食を準備して父に届ける。紙パンツを脱ぎ捨て、下半身裸でポータブルトイレに座った父が、軽食をせかせて食べようとする姿に、怒りも萎えてしまう。結局夜寝るまで、父は母の不在に気づかなかった。この間、危険行為2回、身が床に崩れること3回、ベッド落下1回。乾燥肌防止用クリームチューブを踏み潰して、汚れた足で歩き回り、床を広範に汚してしまう。爆発かのようなTVの大音量の調整に出動すること2回。夕食を食べることができたのは21時を回っていた。

夕食の片付け、洗濯を終えたのが23時前。翌朝の食事と着替えの準備をして、父のベッドメイクと紙パンツ交換、ポータブルトイレの洗浄を終えて介護の一息となる。一息とは、夜間の排尿・徘徊があるからだ。別れた妻が存命だとしても、離婚話になっていただろうとため息がでる。介護は家族のキャパを超えていることの自覚が必要。障碍者を持つ家庭の介護も、この日々の時間と都合のつばぜり合いに晒されているのだと思う。この状態の上に課親の会の自主活動は積まれている。

夜間傾聴を再開した。今回の自殺未遂した元妻を思う引きこもり元青年が行き詰っていると、同僚が主治医に連絡を取った旨の電話が入った。どうやら見舞いは限定的だ。

X’Masプレゼント用カレンダーが届いたが、本物を見てがっかり。子供用ではない。野暮ったい。仕方なく自分で引き取ることに。前に私の好きなガブリエル・バンサンの「アンジュール」の洗練されたデッサンの第二段にと「マリオネット」も考えてみたが、廃刊なのか買えない。まあ、まだ年齢が無理かなと思ったり、ならばパブロ・ピカソのデッサンはどうかと考えたり、しているうちに、3時間ほど、いつの間にか、うたた寝していた。明け方******君を受けて、傾聴は一段落。

まもなく朝食。食べさせたらともかく寝る。

夜間傾聴:******君(仮名)
     同僚(傾聴にあらず)

p.s. JDDの配布資料のコピーをくれと同僚に言ってがっかり。彼は気が向かず、いかなかったのだった。無念。


(校正2回目済み)


コメント
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