入谷さんの御宅に行ってきた。入谷さんのお母さんは恐縮されていたが、これが私の仕事。しかし私の出番はなかった。話はきれいにまとまっていたからだ。拍子抜けして座間に出た。相模大野の本校に行き、簡単なレポートを出す。藤沢のビックカメラで卓上マイクを散策して、茅ヶ崎に戻った。時間にゆとりがあったので、病院で「メタボ検診」を済ませ、ヤマダ電機でICレコーダーを見ていると、サポセンの知人が後ろから肩を叩いた。私は「わーく」の取材機器の値段をチェックしていたのだが、流行でもなんでもない売り場で何をさがしているのかよく理解できていない風だった。就労支援や障碍者の情報は話題に出てこない。ともかくお盆時間が流れている。この方が理事をしているNPOサポートちがさきは、市の指定管理者の件でお盆休みどころではない状態だと思う。しかし、今の私は「強制的お盆休み」の状態と言っていいとお預け状態を嘆いていた。
しかしその状態も、帰路、昨日***と会った近所のバス停に下りようとした途端、吹き飛んでしまった。虚ろな眼差しをした父が、杖に頼りながらバスに乗り込もうとしていたからだった。出会えてよかったのだ。徘徊だった。
父を制止してバスをやり過ごして父に事情を聴いた。「とこやに行く」という。20時ちょっと前の出来事である。以前も「とこや」といい、実は内緒でラーメンを平らげていた。スープが飲みたいのだった。今回もその手かなとおもっていると、「出勤だから」という。徘徊は本物だった。
父は定年前に退職してもう30年近くになる。「出勤」という父の声は宙を彷徨っている。「とこやは、もう閉まっているから、明日にしよう」と声をかけ、家に戻そうとするが、今度は足が持たない。健常者の足なら1分たらずの距離が1時間はかかる。金網をつかんだり、塀に寄りかかったりしながら、じわじわと戻るのだが、帰りは疲れが出てしまう。転倒を避けるために脇に寄り添い、携帯で母を呼ぶ。買い物の醤油瓶やらスイカの重みが指に食い込んでいたからだ。母に付き添いを頼んで、急いで荷物を玄関先に置き、椅子を持ち出して、父のところに戻った。
母は背負っていけという。冗談ではない80kg弱の体重を距離背負って行けるほど猛者ではない。父はタクシーを呼んでくれと言い出した。椅子で休ませながら1時間、帰宅した頃には、豆腐が温まってしまった。
父を膝詰め談判し、黙って出かける危険を説いた。父は2回、近くの路地を道を過って曲がろうとした。曲がってしまえば、世界は迷路。父は混乱して帰れないだろう。携帯電話が使えないから、非常用ボタンを携帯していてくれないと、迷惑は周囲に及んでしまう。
夕方、母が父と争っていた。「月曜日だから出勤だ」と言ってきかない父に手を焼いていたのだった。父は諦めて横になると、すぐに寝息をたてて眠り込んでしまったのだという。母が入浴している最中に父が抜け出したのだった。
墓参は久々に母を連れ出すことを予定していた矢先、父の徘徊が起きた。我が家の墓地は不便なところにある。父が祖父母を叱り付けて、墓は偶像崇拝とわざわざ遠方に墓を移してしまった経過がある。その父が母の足止めをしている。私が叱り付けた父は、数分立たぬうちに眠っていた。
今、朝4時30分。父が寝言を言ってベッドから落ちた。様子を見に行った。憎しみではなく怯える夢を見ていた。茶の間に下りようとする父を制止して、ベッドカバーが引きちぎられた。終わりの無い一日が始まっている。
------
中小企業同友会の障害者部会が主導する大会が9月にある。2日間参加費1万3千円。出なければならない。しかし出費である。これから「わーく」は無茶承知で企業周り取材を始めていく。経営者団体と支援者団体の様子の違いは歴然としている。他にも参加する学会があるので、どうしたものかと頭を痛めている。
藤田康文氏の著書「もっと伝えたい」の紹介文を書いている。「わーく」の解説の冊子の中に収録しようと思う。整理したらブログに載せる予定。
--- 今日は10時ごろ家を出て墓参。弟と日が合わない。彼は藤沢の墓苑に行く。
夜間傾聴:大森海岸君(仮名;久しぶり>傾聴だろうか、困っていない)
(校正1回目済み)
しかしその状態も、帰路、昨日***と会った近所のバス停に下りようとした途端、吹き飛んでしまった。虚ろな眼差しをした父が、杖に頼りながらバスに乗り込もうとしていたからだった。出会えてよかったのだ。徘徊だった。
父を制止してバスをやり過ごして父に事情を聴いた。「とこやに行く」という。20時ちょっと前の出来事である。以前も「とこや」といい、実は内緒でラーメンを平らげていた。スープが飲みたいのだった。今回もその手かなとおもっていると、「出勤だから」という。徘徊は本物だった。
父は定年前に退職してもう30年近くになる。「出勤」という父の声は宙を彷徨っている。「とこやは、もう閉まっているから、明日にしよう」と声をかけ、家に戻そうとするが、今度は足が持たない。健常者の足なら1分たらずの距離が1時間はかかる。金網をつかんだり、塀に寄りかかったりしながら、じわじわと戻るのだが、帰りは疲れが出てしまう。転倒を避けるために脇に寄り添い、携帯で母を呼ぶ。買い物の醤油瓶やらスイカの重みが指に食い込んでいたからだ。母に付き添いを頼んで、急いで荷物を玄関先に置き、椅子を持ち出して、父のところに戻った。
母は背負っていけという。冗談ではない80kg弱の体重を距離背負って行けるほど猛者ではない。父はタクシーを呼んでくれと言い出した。椅子で休ませながら1時間、帰宅した頃には、豆腐が温まってしまった。
父を膝詰め談判し、黙って出かける危険を説いた。父は2回、近くの路地を道を過って曲がろうとした。曲がってしまえば、世界は迷路。父は混乱して帰れないだろう。携帯電話が使えないから、非常用ボタンを携帯していてくれないと、迷惑は周囲に及んでしまう。
夕方、母が父と争っていた。「月曜日だから出勤だ」と言ってきかない父に手を焼いていたのだった。父は諦めて横になると、すぐに寝息をたてて眠り込んでしまったのだという。母が入浴している最中に父が抜け出したのだった。
墓参は久々に母を連れ出すことを予定していた矢先、父の徘徊が起きた。我が家の墓地は不便なところにある。父が祖父母を叱り付けて、墓は偶像崇拝とわざわざ遠方に墓を移してしまった経過がある。その父が母の足止めをしている。私が叱り付けた父は、数分立たぬうちに眠っていた。
今、朝4時30分。父が寝言を言ってベッドから落ちた。様子を見に行った。憎しみではなく怯える夢を見ていた。茶の間に下りようとする父を制止して、ベッドカバーが引きちぎられた。終わりの無い一日が始まっている。
------
中小企業同友会の障害者部会が主導する大会が9月にある。2日間参加費1万3千円。出なければならない。しかし出費である。これから「わーく」は無茶承知で企業周り取材を始めていく。経営者団体と支援者団体の様子の違いは歴然としている。他にも参加する学会があるので、どうしたものかと頭を痛めている。
藤田康文氏の著書「もっと伝えたい」の紹介文を書いている。「わーく」の解説の冊子の中に収録しようと思う。整理したらブログに載せる予定。
--- 今日は10時ごろ家を出て墓参。弟と日が合わない。彼は藤沢の墓苑に行く。
夜間傾聴:大森海岸君(仮名;久しぶり>傾聴だろうか、困っていない)
(校正1回目済み)