9日の集まりが、やっと終わった。レギュラーのみなさんにも、無理を重ねさせてしまったようで申し訳なかった。特に**さん、本人活動の必要性について論じる部分、最後、時間との戦いの中、フォローしてくださった。感謝しています。
今回は午前が、月例会の秋口企画の議論し残し部分の議論であり、午後が「私の最前線」シリーズの発表だった。今、ショップ展開の具体例が立ち上がっている関係もあって、これを関係者の方と煮詰めておく必要があった。日本財団の補助金申請が8月末日であることが大きかったのだが、働こうとしている本人の直接支援と資金調達をしている方の出席があったこともあって、互いの立場の調整が出来たことは今回の収穫だった。これで秋口からの活動の焦点となる「地域連携の出発点」が生み出された。
しかし、午前・午後に関係者の方が別れて出席された関係で、準備していた発表の大半は公開することが出来なかった。このテーマが流れ、中止となったのはPJ以前を入れれば2回目、2年半が無為に流れていた。前回は支えていた子の命の危機が重なったことと、提案の就労支援窓口業務の誘致が軽度の方が中心になることで、時期尚早判断を下した団体との再調整の最中であり、その影響下、新規論議が出来ない状況で出席者がなく流会し、一方危機下の子が内臓疾患の持病で急死した状況だった。
私の提案した構想に最後の夢をかけて参加していた子だった。この構想に参加した子が、それぞれの事情で3名とも若い命を失っている。ある子は研究者への復帰の夢破れて服毒死、もうひとりの方は親御さんからの自立をかけた戦いに疲れ投身自殺という、発表の前後に異常事態が起きていただけに、今回の、本人活動を基礎にすえた活動への要となる活動の提案として、再提出の場が再び流れていったことにずっしり重さを感じている。
「直接会うことが大事」というロジックがテレコム提案には必ずつきまとう。しかし直接会わないのではなく、「直接会って行う表現にテレコムが登場する」ことが、先入観から伝わらない空転の虚しさが常にある。たとえそのままテレコム限界論に立っても、いのちの電話が細い糸でも、極限の心をつないでいる。そういうテレコムの力への無理解があるのだ。
今回の場合は救われることに、湘南の地域に散った青年たちへの働きかけの拠点への手がかりが具体的にスタートしたことだ。共同使用の形で場所を使う。先方のショップのFCの了解が降りれば、着工への道が開ける。
午後の議論は、前半が人の集まりの足並み調整も考えたDVD上映による、「リカバリー」という、障碍そのものを肯定的にとらえ、得意なことでお互いがつながる就労の先進的な事例を提案し、後半で本人活動促進の活動提案という予定でいた。しかし発表が、地元拠点形成への煮詰めた論議の後の残り時間となったために、先入観の悪夢を蒸し返さぬためにも、前者の画像を流すことを優先して、提案を温存することにした。この拠点の運営提案の中にもいずれ提出可能と見たからだった。
だから上映は緊張の糸が解けた状況となった。釈迦に説法ということもあるが、「能力判定とマッチング」という就労配置の発想の常識のおかしさを浮かび上がらせる。だから、人の輪の中に働くことの力を伝える画像の価値を受け止めてくれた**さんには、特に感謝している。しかし同時に、話の弛緩が広がったことも事実で、これが本題の提案に及ぶことを避けた。新たな「観念的」のレッテルが生まれることは避けられないだろう。パワーポイント画像は封印されてしまった。「やむなし」という毒を飲み込んでいる。
次回の「私の最前線」は、このショップ展開の関係者の語りになるだろう。茅ヶ崎がやっと動き出した気がしている。質の違う活動の出会いとそれを活かした提案の登場という動きだ。類似の複数の場所の動きも活性化するだろう。行政枠のなかで推進される就労支援活動が、こうした民間の活動とリンクするために、公開された議論が必要となるだろう。しかし、その核となる部分は「本人活動」が新たな若者を牽引する力を蓄積しなければ、支援者の持続切れ弛緩の再来を呼び起こすだろう。ここを柔軟なシステムとして、提案を組み込んでいく仕事が必要だ。そうでなければ、職場配置に偏した就労支援活動に、行政システムが変質していく可能性が大きい。民間の構想力の勝負なのだ。提案しようとしている「わーく」は、この大きな構想の中に組み込まれるエンジンだから、構想が優先される。今回の状況は、そういう事なのだと理解している。
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夜間傾聴:******(親)
中延君(仮名:週明けに会うことに)
大森君(仮名)の親御さん(夜間ハイクの再現を臨まれペンディング)
p.s. 父が一昨日の朝5時前、血相を変えて階段を降りてきて、母の寝室に怒鳴り込んだ。夢を見たのだった。階段でころべば命取り。問題は寝ぼけたと父が思わないこと。私の制止に殴りかかる寸前まで行く始末。この騒動が近所の反感をかっている。昨日当人はへこんでいたが、これで5回目。ひとの生が、このような荒れた形で終焉に向かっていることにどう対処できるだろうか。知恵が欲しい。ぐるぐると脳裏の小さな空間を意識がめぐっている。
(校正2回目済み)
今回は午前が、月例会の秋口企画の議論し残し部分の議論であり、午後が「私の最前線」シリーズの発表だった。今、ショップ展開の具体例が立ち上がっている関係もあって、これを関係者の方と煮詰めておく必要があった。日本財団の補助金申請が8月末日であることが大きかったのだが、働こうとしている本人の直接支援と資金調達をしている方の出席があったこともあって、互いの立場の調整が出来たことは今回の収穫だった。これで秋口からの活動の焦点となる「地域連携の出発点」が生み出された。
しかし、午前・午後に関係者の方が別れて出席された関係で、準備していた発表の大半は公開することが出来なかった。このテーマが流れ、中止となったのはPJ以前を入れれば2回目、2年半が無為に流れていた。前回は支えていた子の命の危機が重なったことと、提案の就労支援窓口業務の誘致が軽度の方が中心になることで、時期尚早判断を下した団体との再調整の最中であり、その影響下、新規論議が出来ない状況で出席者がなく流会し、一方危機下の子が内臓疾患の持病で急死した状況だった。
私の提案した構想に最後の夢をかけて参加していた子だった。この構想に参加した子が、それぞれの事情で3名とも若い命を失っている。ある子は研究者への復帰の夢破れて服毒死、もうひとりの方は親御さんからの自立をかけた戦いに疲れ投身自殺という、発表の前後に異常事態が起きていただけに、今回の、本人活動を基礎にすえた活動への要となる活動の提案として、再提出の場が再び流れていったことにずっしり重さを感じている。
「直接会うことが大事」というロジックがテレコム提案には必ずつきまとう。しかし直接会わないのではなく、「直接会って行う表現にテレコムが登場する」ことが、先入観から伝わらない空転の虚しさが常にある。たとえそのままテレコム限界論に立っても、いのちの電話が細い糸でも、極限の心をつないでいる。そういうテレコムの力への無理解があるのだ。
今回の場合は救われることに、湘南の地域に散った青年たちへの働きかけの拠点への手がかりが具体的にスタートしたことだ。共同使用の形で場所を使う。先方のショップのFCの了解が降りれば、着工への道が開ける。
午後の議論は、前半が人の集まりの足並み調整も考えたDVD上映による、「リカバリー」という、障碍そのものを肯定的にとらえ、得意なことでお互いがつながる就労の先進的な事例を提案し、後半で本人活動促進の活動提案という予定でいた。しかし発表が、地元拠点形成への煮詰めた論議の後の残り時間となったために、先入観の悪夢を蒸し返さぬためにも、前者の画像を流すことを優先して、提案を温存することにした。この拠点の運営提案の中にもいずれ提出可能と見たからだった。
だから上映は緊張の糸が解けた状況となった。釈迦に説法ということもあるが、「能力判定とマッチング」という就労配置の発想の常識のおかしさを浮かび上がらせる。だから、人の輪の中に働くことの力を伝える画像の価値を受け止めてくれた**さんには、特に感謝している。しかし同時に、話の弛緩が広がったことも事実で、これが本題の提案に及ぶことを避けた。新たな「観念的」のレッテルが生まれることは避けられないだろう。パワーポイント画像は封印されてしまった。「やむなし」という毒を飲み込んでいる。
次回の「私の最前線」は、このショップ展開の関係者の語りになるだろう。茅ヶ崎がやっと動き出した気がしている。質の違う活動の出会いとそれを活かした提案の登場という動きだ。類似の複数の場所の動きも活性化するだろう。行政枠のなかで推進される就労支援活動が、こうした民間の活動とリンクするために、公開された議論が必要となるだろう。しかし、その核となる部分は「本人活動」が新たな若者を牽引する力を蓄積しなければ、支援者の持続切れ弛緩の再来を呼び起こすだろう。ここを柔軟なシステムとして、提案を組み込んでいく仕事が必要だ。そうでなければ、職場配置に偏した就労支援活動に、行政システムが変質していく可能性が大きい。民間の構想力の勝負なのだ。提案しようとしている「わーく」は、この大きな構想の中に組み込まれるエンジンだから、構想が優先される。今回の状況は、そういう事なのだと理解している。
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夜間傾聴:******(親)
中延君(仮名:週明けに会うことに)
大森君(仮名)の親御さん(夜間ハイクの再現を臨まれペンディング)
p.s. 父が一昨日の朝5時前、血相を変えて階段を降りてきて、母の寝室に怒鳴り込んだ。夢を見たのだった。階段でころべば命取り。問題は寝ぼけたと父が思わないこと。私の制止に殴りかかる寸前まで行く始末。この騒動が近所の反感をかっている。昨日当人はへこんでいたが、これで5回目。ひとの生が、このような荒れた形で終焉に向かっていることにどう対処できるだろうか。知恵が欲しい。ぐるぐると脳裏の小さな空間を意識がめぐっている。
(校正2回目済み)