大森君(仮名)のお母さんのネットワークからの紹介で、不登校を続けている小5学齢の男の子の夏休みについて、相談を受けていた。昨日初めて彼と電話で話をした。子どもの城などのプログラムには参加していたらしい。
話し込んでいるうち、「おじさん、電話代大丈夫なの?」と心配されてしまった。この言葉が出るときは、「飽きたから、もうやめよう」とか「私はあなたを受け入れるのをやめたよ」という遮断の表現であることがままある。特に大人と子どもとか、教員と生徒というような非対称の対話は、注意していないと相手の足を踏んだまま対話をしていることがある。重さに気づかず、相手の疲労を生んでいることがある。
まずいなと思いつつ、「そうだね、一休みしようか」と応答したところ、「僕は、一生懸命話をしているのに、つきあうの嫌なんでしょう」と切り替えされた。思わず吹き出してしまった。なかなか鋭敏な感性をもっている。大人に対して切り返すことが出来る子は、少数派。大概は、ふっと回路を閉じて終わってしまう。この彼の力が同世代の子との溝を生んでいるのかもしれない。
青年の敏感さとひと味違う鋭敏な命に触れた気がして、「電話ではなく、会おうか」と応答した。「いいよ」という彼の承諾を得て、改めて日程調整して彼の家にお邪魔することになった。
塾をやっていた頃の、湧き上がるような気持ちが吹き抜けていくのを感じていた。青年達の話のときは、あらゆるものが塊の手ごたえを感じさせたが、小学生の場合はやはり思いが柔らかいのだ。微妙なところだけれど、古巣を覘いたような気がしていた。
親御さんとの話で、私が以前、馬込<>東京タワーのナイトハイクを企画したとき、バックで支えてくれた若手のひとりであったことがわかり、びっくりした。きっと会えば、名前と顔が一致するに違いないのだった。
足の怪我の後遺症があるから、昔、好きだった自然観察の藪こぎや、鍾乳洞案内は出来ない。ならば、もう少し人間社会に近づいたエリアで、一日お付き合いしてみようかと思い始めている。ただ、茅ヶ崎の**さんからも、同様なはなしが出ているが、まとめることは、やめた方がいいように思った。彼が「なんとなく式のタイプ」ではなく、双方、悩みを抱えて家にいる子である。束ねられることには抵抗を持つだろう。必然なく私の都合に合わせることになるからだ。ましてや、私との出会いが、これからも継続し関わるという前提に無いのだから、当人と継続してテレコムできれば最高という範囲で限界を守らせてもらうことにした。
大森君(仮名)のお母さんが段取りを整えてくれるというので、彼とお見合い(笑)をさせてもらうことになった。場所は品川にセットしてもらうことになった。
さて地元、**君の方だが、今日連絡をとることにしよう。
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お盆開けに、平塚の県合同庁舎にいこうと思っている。秋口以降の行政懇談の候補依頼なのだ。サンシティさんにも、西湘の様子ということで、PJがお邪魔できないか企画調整相談を持ちかけようと思っている。茅ヶ崎の下地つくりの件だ。
このお盆の空白は、私は「わーく」の放送のほうの技術的な基礎をテストしていく。おしゃべり実験は、さすがにひとりでは間が確認できないので、協力者を作らねばならない。ここにはふたつの形がある。本人会の共同性を移植する試み、単独個人の表現に重点を置いた視覚的構成の収録実験だ。この「視覚的」というところが、まだ未踏の問題が山積しているところなのだ。
今日も夜間傾聴は、ぴたり音が止まったままであり、昼間予告しておいた旗の台君(仮名)と、最近の東京南部の様子を教えてもらって過ごしていた。
茅ヶ崎図書館に「自閉症スペクトラム児との暮らし方~英国自閉症協会の実践ガイド~」が入ったので借りたが、これはざっと目を通すだけにして、秋口に買おうと思っている。しかし誰だろう、図書館に希望図書として出したのは?Tさんかな?と。
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夜間傾聴:なし…
旗の台君(仮名)に訪問調整
(校正2回目済み)
話し込んでいるうち、「おじさん、電話代大丈夫なの?」と心配されてしまった。この言葉が出るときは、「飽きたから、もうやめよう」とか「私はあなたを受け入れるのをやめたよ」という遮断の表現であることがままある。特に大人と子どもとか、教員と生徒というような非対称の対話は、注意していないと相手の足を踏んだまま対話をしていることがある。重さに気づかず、相手の疲労を生んでいることがある。
まずいなと思いつつ、「そうだね、一休みしようか」と応答したところ、「僕は、一生懸命話をしているのに、つきあうの嫌なんでしょう」と切り替えされた。思わず吹き出してしまった。なかなか鋭敏な感性をもっている。大人に対して切り返すことが出来る子は、少数派。大概は、ふっと回路を閉じて終わってしまう。この彼の力が同世代の子との溝を生んでいるのかもしれない。
青年の敏感さとひと味違う鋭敏な命に触れた気がして、「電話ではなく、会おうか」と応答した。「いいよ」という彼の承諾を得て、改めて日程調整して彼の家にお邪魔することになった。
塾をやっていた頃の、湧き上がるような気持ちが吹き抜けていくのを感じていた。青年達の話のときは、あらゆるものが塊の手ごたえを感じさせたが、小学生の場合はやはり思いが柔らかいのだ。微妙なところだけれど、古巣を覘いたような気がしていた。
親御さんとの話で、私が以前、馬込<>東京タワーのナイトハイクを企画したとき、バックで支えてくれた若手のひとりであったことがわかり、びっくりした。きっと会えば、名前と顔が一致するに違いないのだった。
足の怪我の後遺症があるから、昔、好きだった自然観察の藪こぎや、鍾乳洞案内は出来ない。ならば、もう少し人間社会に近づいたエリアで、一日お付き合いしてみようかと思い始めている。ただ、茅ヶ崎の**さんからも、同様なはなしが出ているが、まとめることは、やめた方がいいように思った。彼が「なんとなく式のタイプ」ではなく、双方、悩みを抱えて家にいる子である。束ねられることには抵抗を持つだろう。必然なく私の都合に合わせることになるからだ。ましてや、私との出会いが、これからも継続し関わるという前提に無いのだから、当人と継続してテレコムできれば最高という範囲で限界を守らせてもらうことにした。
大森君(仮名)のお母さんが段取りを整えてくれるというので、彼とお見合い(笑)をさせてもらうことになった。場所は品川にセットしてもらうことになった。
さて地元、**君の方だが、今日連絡をとることにしよう。
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お盆開けに、平塚の県合同庁舎にいこうと思っている。秋口以降の行政懇談の候補依頼なのだ。サンシティさんにも、西湘の様子ということで、PJがお邪魔できないか企画調整相談を持ちかけようと思っている。茅ヶ崎の下地つくりの件だ。
このお盆の空白は、私は「わーく」の放送のほうの技術的な基礎をテストしていく。おしゃべり実験は、さすがにひとりでは間が確認できないので、協力者を作らねばならない。ここにはふたつの形がある。本人会の共同性を移植する試み、単独個人の表現に重点を置いた視覚的構成の収録実験だ。この「視覚的」というところが、まだ未踏の問題が山積しているところなのだ。
今日も夜間傾聴は、ぴたり音が止まったままであり、昼間予告しておいた旗の台君(仮名)と、最近の東京南部の様子を教えてもらって過ごしていた。
茅ヶ崎図書館に「自閉症スペクトラム児との暮らし方~英国自閉症協会の実践ガイド~」が入ったので借りたが、これはざっと目を通すだけにして、秋口に買おうと思っている。しかし誰だろう、図書館に希望図書として出したのは?Tさんかな?と。
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夜間傾聴:なし…
旗の台君(仮名)に訪問調整
(校正2回目済み)