三日前の件で、父の入院手続きを終えた足で、彼の家に本人の了解を取りに出かけ、母親とともに高校の担任と会いました。今回は気持ちを伝えたこと、彼の件と他の事例を伝える役割を担任に了解してもらうところまで話を「伝える」ことができました。今回のことは彼の個人的なことであり、同時に世代の問題として時代を背景とした社会の問題であることから、広い目で判断をして欲しいという要望をだしています。ここ数日が山場。彼の闇に本校専任*とともに寄り添います。
父は1週間から10日間の検査入院となりました。正直のところ、ほっとしています。ベッドから寝巻きまでびっしょりと濡れて悪臭を放っている部屋を、雨天の湿気の方がましと窓をあけて、清掃。入院の準備を整えているうちに夜が明けました。母には先に仮眠を取ってもらい、午前中の検査に立ち会ってもらうことにしました。検査は午前8時過ぎから。
母はバスの関係から30分ちょっと遅れて病院に到着。ここでお粗末な医療現場の状況認識に晒されました。医師から到着するなり「救急車をコンビニのように使うな」ときつく戒められたというのです。「救急隊員も深夜、大したことがないのにと怒りをもっている」というのでした。足のもつれは進行中の片麻痺から来ており、真正面にまるで棒のように倒れる状況が「大したことではない」のかと母が反論。医師は外傷が軽度、脳梗塞でもない。応答がしっかりしていて正しいこれが救急ですかというという。前回も父は手が滑って崩れただけと言い張った。今回は「ベッドから滑り落ちた」と現場で主張。
現場ではベッドから落ちるなら体位が90度違っていること。くるぶしから先がトイレの中にあり、片足はスリッパをひっかけていること、壁越しの隣接したところに私がおり、父が立ってころぶまでの数秒の足音、大きな転倒音を聞いているし、狭い隙間、サイドボードに身体をぶつけていることから、動かさずに救急連絡を取ったいきさつを現場で救急隊員と確認していること、加えてこれをメモしておきました。前回の教訓です。
母はこの私のメモを見せながら、「病院に押し込めればいい」とか「救急車をコンビニに」という発言の撤回を求めました。応答は一切なし。検査をするから1週間から10日入院させるということと「個室になる」ということを言い出したため、病棟の空きを確認してくださいと請求。病棟確認の上、相部屋に入りました。医師の数が足らないのは承知していますから、そのままでは比較になりませんが、病棟はがら空き。
私は母が戻ってきてから、入院の支度を持って病棟へ。今度は看護師が「規則を守ってもらいます」とか「病院は老人ホームではありません」と言い出して、再び発想の論拠を正す話に。ここでは5年前、生前の祖母が入院していたところで、補聴器のコードが首に巻きつき危ない状態だったことや、水のみが前日の夕食の残り物が混じり腐敗が始まっていたことで抗議したことがあります。私の入院中も清掃業務のものが深夜おしめを代えに来たり、同室の他の患者の薬が配られたり、そのほか大きな事故につながりかねないことが、何回も起きていました。
それだけに、「軽症」なのに「個室」で「検査」という不可解な論法や、「コンビニ」「老人ホーム」というレッテル貼りが、母の30分の遅刻を直因に暴発するというお粗末さ。まだらの認知症から要介護3となり、進行が進んでいるというのに、本人の状況説明を鵜呑みにし、家族の聴取を曖昧にするという、医療関係者としてはお粗末過ぎる状況が起こりました。深夜明けの70代の母が遅刻したことが、感情的な発言となり、主治医からの紹介状に書いてある事「半身麻痺の進行」があって転倒したのに「軽症なのに救急車を呼んだ」という論を公然と言っている。信じがたいことがおきていました。脳溢血の可能性が強い者だから、動かさずに救急車を呼んだ。しかも電話の会話で、応答があり外傷がないことは伝えたうえで判断を求めた上で呼んでいることや、現場確認しているのに「救急隊員の怒り」という憶測を入れたこと、寒々とした医療現場がここにあります。
父が夜あばれたとき、利き手を拘束することを認めるという念書に署名捺印を求まられ、拒否しました。これは必須条件という病院側と、今日もこれから出かけてつばぜり合いとなります。ともあれ、父は子ども返りしたような顔をして柵に囲われたベッドの上に寝ていました。入院はともあれ家族には、貴重な休息時間となりました。夜明け、母は寝息を立てぬほどに寝入っています。
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田村十字路でバスを降り、タクシーに乗り換えて寒川図書館の期限になった書籍を返して、食事を丸一日とっていなかったので「喫茶友達」でドライカレーを食べる。主宰者のOさんと近況の情報交換の雑談をして、相模線経由で横浜・石川町へ。「派遣労働法その2」研修を済ませて、大船構内で買い物。帰宅したら22時を回っていました。
月末のレポートをメールし、新企画の提案書(たい焼き屋さんの一角の利用について)を書いている最中に、7時から庭師のFさんが庭に入ってくる状態の中で、この記事を書いています。後は生田緑地ドタキャンの本人からのメールを書いて終わり。午後からが夏期講習の補佐が入ります。そんなわけで、今日はここまで。
夜間傾聴:生田緑地君(仮名)
******君(仮名)
(校正2回目済み)
父は1週間から10日間の検査入院となりました。正直のところ、ほっとしています。ベッドから寝巻きまでびっしょりと濡れて悪臭を放っている部屋を、雨天の湿気の方がましと窓をあけて、清掃。入院の準備を整えているうちに夜が明けました。母には先に仮眠を取ってもらい、午前中の検査に立ち会ってもらうことにしました。検査は午前8時過ぎから。
母はバスの関係から30分ちょっと遅れて病院に到着。ここでお粗末な医療現場の状況認識に晒されました。医師から到着するなり「救急車をコンビニのように使うな」ときつく戒められたというのです。「救急隊員も深夜、大したことがないのにと怒りをもっている」というのでした。足のもつれは進行中の片麻痺から来ており、真正面にまるで棒のように倒れる状況が「大したことではない」のかと母が反論。医師は外傷が軽度、脳梗塞でもない。応答がしっかりしていて正しいこれが救急ですかというという。前回も父は手が滑って崩れただけと言い張った。今回は「ベッドから滑り落ちた」と現場で主張。
現場ではベッドから落ちるなら体位が90度違っていること。くるぶしから先がトイレの中にあり、片足はスリッパをひっかけていること、壁越しの隣接したところに私がおり、父が立ってころぶまでの数秒の足音、大きな転倒音を聞いているし、狭い隙間、サイドボードに身体をぶつけていることから、動かさずに救急連絡を取ったいきさつを現場で救急隊員と確認していること、加えてこれをメモしておきました。前回の教訓です。
母はこの私のメモを見せながら、「病院に押し込めればいい」とか「救急車をコンビニに」という発言の撤回を求めました。応答は一切なし。検査をするから1週間から10日入院させるということと「個室になる」ということを言い出したため、病棟の空きを確認してくださいと請求。病棟確認の上、相部屋に入りました。医師の数が足らないのは承知していますから、そのままでは比較になりませんが、病棟はがら空き。
私は母が戻ってきてから、入院の支度を持って病棟へ。今度は看護師が「規則を守ってもらいます」とか「病院は老人ホームではありません」と言い出して、再び発想の論拠を正す話に。ここでは5年前、生前の祖母が入院していたところで、補聴器のコードが首に巻きつき危ない状態だったことや、水のみが前日の夕食の残り物が混じり腐敗が始まっていたことで抗議したことがあります。私の入院中も清掃業務のものが深夜おしめを代えに来たり、同室の他の患者の薬が配られたり、そのほか大きな事故につながりかねないことが、何回も起きていました。
それだけに、「軽症」なのに「個室」で「検査」という不可解な論法や、「コンビニ」「老人ホーム」というレッテル貼りが、母の30分の遅刻を直因に暴発するというお粗末さ。まだらの認知症から要介護3となり、進行が進んでいるというのに、本人の状況説明を鵜呑みにし、家族の聴取を曖昧にするという、医療関係者としてはお粗末過ぎる状況が起こりました。深夜明けの70代の母が遅刻したことが、感情的な発言となり、主治医からの紹介状に書いてある事「半身麻痺の進行」があって転倒したのに「軽症なのに救急車を呼んだ」という論を公然と言っている。信じがたいことがおきていました。脳溢血の可能性が強い者だから、動かさずに救急車を呼んだ。しかも電話の会話で、応答があり外傷がないことは伝えたうえで判断を求めた上で呼んでいることや、現場確認しているのに「救急隊員の怒り」という憶測を入れたこと、寒々とした医療現場がここにあります。
父が夜あばれたとき、利き手を拘束することを認めるという念書に署名捺印を求まられ、拒否しました。これは必須条件という病院側と、今日もこれから出かけてつばぜり合いとなります。ともあれ、父は子ども返りしたような顔をして柵に囲われたベッドの上に寝ていました。入院はともあれ家族には、貴重な休息時間となりました。夜明け、母は寝息を立てぬほどに寝入っています。
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田村十字路でバスを降り、タクシーに乗り換えて寒川図書館の期限になった書籍を返して、食事を丸一日とっていなかったので「喫茶友達」でドライカレーを食べる。主宰者のOさんと近況の情報交換の雑談をして、相模線経由で横浜・石川町へ。「派遣労働法その2」研修を済ませて、大船構内で買い物。帰宅したら22時を回っていました。
月末のレポートをメールし、新企画の提案書(たい焼き屋さんの一角の利用について)を書いている最中に、7時から庭師のFさんが庭に入ってくる状態の中で、この記事を書いています。後は生田緑地ドタキャンの本人からのメールを書いて終わり。午後からが夏期講習の補佐が入ります。そんなわけで、今日はここまで。
夜間傾聴:生田緑地君(仮名)
******君(仮名)
(校正2回目済み)