先日、眼科に右目の検査を受けに行ってきた。金曜日(8/8)に再度来るようにと指示されたが、翌日の8/9の「シリーズ・私の最前線」のパワーポイント画像が前日にも仕上がらず、検査を日送りしたら、お盆休みに入ってしまった。歪みは無いが視野の中央に大きなぼんやりとしたゴミが泳いでいて、周辺も薄い曇りガラスがかかったような状態なので、ほとんど左目だけで物を見ている。その左目にも影が泳ぎ始めたので、焦って診察を受けたのだった。視野の中央に邪魔物があるので、右目は使い物にならない。お盆明けに治療に入る。
9日の集まりは、午前にAさん、午後にBさんが飛び込んだ。ふたりとも秋口からの展開のキー・パーソンとなる方たちなので、午前中の延長月例会の話し合いを午後も優先させた。結果、そこから収穫が得られたものの、準備していた発表の方は、時間切れになってしまった。テレコム筋の構想は評判の悪い屁理屈のようで、改めて日を作ってもPJレギュラーの方たちの負担となるので、就労を閉じた能力判定と適応の枠組みから解放する「リカバリー」「ACT」という実践の紹介と、「たまり場の循環系『わーく』編集部活動」という「本人活動の活性化と就労地域ネット」の提案のふたつの大テーマのひとつを残す二者択一をすることにした。「わーく」を中途で話を終えたとき、次が無いことが見えていたので、前者の「就労活動にとってのひとの輪と本人活動の重要性」の話のほうを、それも時間の関係で、DVDを説明なしに流すことを選んだ。弛緩した時間が流れ、参加者の方は飽きただろうと思う。封印した「わーく」は当分開くことが出来無いが、準備したパワーポイント画像を仕上げておくことにした。
昨日、茅ヶ崎市立図書館に行って書籍の入れ替えをしたあとは、この画像仕上げで一日を終えた。機会あれば説明できる状態にしておこうと思ったのだった。
しかしこういうときに限って、介護に事件が起きるものなのだ。
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父が日曜学校(?)に出かけるのに、間際まで支度せず迎えがやってきた。このとき、セコムの携帯非常用ボタンと玄関の鍵を組んだストラップを父が、し忘れたのだった。このため、父の帰宅まで足止めを食らってしまった。大森君(仮名)の親御さんと会う約束が流れ、父の帰りを待った。父は快活に大声で笑い、肩を支えてもらって宗教の信者の若者とふたりで車を降りてきた。一方、私は玄関先に父が座って私の帰宅を待つ椅子をだして、張り紙を玄関に貼って、最低限のことだけをして帰宅するつもりで玄関の扉に鍵をかけている矢先の私にかちあった。
父には「危険の少ない薬の服薬自己管理」と「保身用スイッチと戸締り鍵の常時携帯」のふたつは、最低限自分でやって欲しいものとして、常日頃から言っていた。それなのに、注意した矢先に薬を忘れ、スイッチを放り出してしまう。これをやめてくれと書いた張り紙をもって、笑顔の父を迎えた。父の非協力の結果、留守をして出かけられなくなっていた。庭先で、「いい加減にしてくれ。身を守るスイッチと鍵を忘れるな」と叱り付けた。これがいけなかった。父が逆上し、怒鳴り合いとなり、父は私を振り切って、よたよたと茶の間に上がった。
バスに乗り遅れて、結局駅まで歩いたのだが、図書館と買い物を済ませて、慌しく家に戻ると失禁した状態で父がトイレの前の廊下に倒れていた。血圧が上がっていたのではと焦ったが、茶の間を見て事態がわかった。降圧剤をまとめて飲んでいた。父の自主管理分は1回分をセットにしてあり、朝夕だけの服薬なのに、昼の分がないと、父の手元から離していた薬をわざわざ探し出して、組み合わせがわからないまま飲んでいたのだった。脳溢血の可能性はなくなっていたので、下の始末を済ませ119と相談した。その結果、家の近くでは音をたてずに救急車が来てくれた。救急外来へは私が確認をとっておいたので、病院への搬送はすんなりと済んだ。救急外来の医師に状況を話したが、薬が強いものではないし時間が経っているので、胃洗浄をせずに様子見をすることになった。ベットで点滴をして安静を取ったあと、日暮れにタクシーで父を担ぎ上げて帰宅した。貧血のような状態だったらしい。骨折もなし。しかし丈夫にできている。
大幅に遅れた夕食を父は食べると言ってきかないので、材料でカロリーをしぼって残り物の材料で冷やし中華を作って食べさせた。食事をたいらげると父は、たちまちのうちに寝息をかいて、茶の間のTVの前でで眠ってしまった。冷や汗をかきつつ、食器を洗っているところに、母が帰ってきた。さすがに母も動揺した。母とは連絡が取れないでいた。何のことはない、母の携帯はベッドの枕の下。連絡しても通じないはずなのだった。
気分は最悪である。しかしこの情況に飲まれれば、後が無いのだった。コーヒーを入れて、次に取り出す予定の無い「わーく」解説のパワーポイント画像の仕上げをした。9日のレポートを書き、秋口から開く地域連携拠点のなかに、「わーく」が使えないか検討を始めた。テレコムの価値がわかるひとに出会えれば、状況が変わる。それまでには、自分が出来る限りの準備を整えておきたい。
「べてるの家」も「Big Issue」もポッドキャスティングは始めている。私のところは、自閉症スペクトラムの子にも道を開くために、静止画像スライドショー型の携帯ネットワークを探っているのだ。これからはそのコンテンツに実現の可能性を探っていく。導入によって動く状況を今、パワーポイントにまとめたのだ。いずれ出番があると信じている。
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父を支えて2階の寝室へ。父が歩けて背負わずに済んでほっとしている。
午前4時45分、隣の家から大声(父の真似だった)、雨戸が叩きつけるように開いた。ある青年の庭先の父子喧嘩への不快感の表明だった。
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夜間傾聴:******君(本人<これは嬉しかった!)
橋本君(仮名)
---- やっと閑古鳥から解放された。
(校正2回目済み)
9日の集まりは、午前にAさん、午後にBさんが飛び込んだ。ふたりとも秋口からの展開のキー・パーソンとなる方たちなので、午前中の延長月例会の話し合いを午後も優先させた。結果、そこから収穫が得られたものの、準備していた発表の方は、時間切れになってしまった。テレコム筋の構想は評判の悪い屁理屈のようで、改めて日を作ってもPJレギュラーの方たちの負担となるので、就労を閉じた能力判定と適応の枠組みから解放する「リカバリー」「ACT」という実践の紹介と、「たまり場の循環系『わーく』編集部活動」という「本人活動の活性化と就労地域ネット」の提案のふたつの大テーマのひとつを残す二者択一をすることにした。「わーく」を中途で話を終えたとき、次が無いことが見えていたので、前者の「就労活動にとってのひとの輪と本人活動の重要性」の話のほうを、それも時間の関係で、DVDを説明なしに流すことを選んだ。弛緩した時間が流れ、参加者の方は飽きただろうと思う。封印した「わーく」は当分開くことが出来無いが、準備したパワーポイント画像を仕上げておくことにした。
昨日、茅ヶ崎市立図書館に行って書籍の入れ替えをしたあとは、この画像仕上げで一日を終えた。機会あれば説明できる状態にしておこうと思ったのだった。
しかしこういうときに限って、介護に事件が起きるものなのだ。
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父が日曜学校(?)に出かけるのに、間際まで支度せず迎えがやってきた。このとき、セコムの携帯非常用ボタンと玄関の鍵を組んだストラップを父が、し忘れたのだった。このため、父の帰宅まで足止めを食らってしまった。大森君(仮名)の親御さんと会う約束が流れ、父の帰りを待った。父は快活に大声で笑い、肩を支えてもらって宗教の信者の若者とふたりで車を降りてきた。一方、私は玄関先に父が座って私の帰宅を待つ椅子をだして、張り紙を玄関に貼って、最低限のことだけをして帰宅するつもりで玄関の扉に鍵をかけている矢先の私にかちあった。
父には「危険の少ない薬の服薬自己管理」と「保身用スイッチと戸締り鍵の常時携帯」のふたつは、最低限自分でやって欲しいものとして、常日頃から言っていた。それなのに、注意した矢先に薬を忘れ、スイッチを放り出してしまう。これをやめてくれと書いた張り紙をもって、笑顔の父を迎えた。父の非協力の結果、留守をして出かけられなくなっていた。庭先で、「いい加減にしてくれ。身を守るスイッチと鍵を忘れるな」と叱り付けた。これがいけなかった。父が逆上し、怒鳴り合いとなり、父は私を振り切って、よたよたと茶の間に上がった。
バスに乗り遅れて、結局駅まで歩いたのだが、図書館と買い物を済ませて、慌しく家に戻ると失禁した状態で父がトイレの前の廊下に倒れていた。血圧が上がっていたのではと焦ったが、茶の間を見て事態がわかった。降圧剤をまとめて飲んでいた。父の自主管理分は1回分をセットにしてあり、朝夕だけの服薬なのに、昼の分がないと、父の手元から離していた薬をわざわざ探し出して、組み合わせがわからないまま飲んでいたのだった。脳溢血の可能性はなくなっていたので、下の始末を済ませ119と相談した。その結果、家の近くでは音をたてずに救急車が来てくれた。救急外来へは私が確認をとっておいたので、病院への搬送はすんなりと済んだ。救急外来の医師に状況を話したが、薬が強いものではないし時間が経っているので、胃洗浄をせずに様子見をすることになった。ベットで点滴をして安静を取ったあと、日暮れにタクシーで父を担ぎ上げて帰宅した。貧血のような状態だったらしい。骨折もなし。しかし丈夫にできている。
大幅に遅れた夕食を父は食べると言ってきかないので、材料でカロリーをしぼって残り物の材料で冷やし中華を作って食べさせた。食事をたいらげると父は、たちまちのうちに寝息をかいて、茶の間のTVの前でで眠ってしまった。冷や汗をかきつつ、食器を洗っているところに、母が帰ってきた。さすがに母も動揺した。母とは連絡が取れないでいた。何のことはない、母の携帯はベッドの枕の下。連絡しても通じないはずなのだった。
気分は最悪である。しかしこの情況に飲まれれば、後が無いのだった。コーヒーを入れて、次に取り出す予定の無い「わーく」解説のパワーポイント画像の仕上げをした。9日のレポートを書き、秋口から開く地域連携拠点のなかに、「わーく」が使えないか検討を始めた。テレコムの価値がわかるひとに出会えれば、状況が変わる。それまでには、自分が出来る限りの準備を整えておきたい。
「べてるの家」も「Big Issue」もポッドキャスティングは始めている。私のところは、自閉症スペクトラムの子にも道を開くために、静止画像スライドショー型の携帯ネットワークを探っているのだ。これからはそのコンテンツに実現の可能性を探っていく。導入によって動く状況を今、パワーポイントにまとめたのだ。いずれ出番があると信じている。
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父を支えて2階の寝室へ。父が歩けて背負わずに済んでほっとしている。
午前4時45分、隣の家から大声(父の真似だった)、雨戸が叩きつけるように開いた。ある青年の庭先の父子喧嘩への不快感の表明だった。
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夜間傾聴:******君(本人<これは嬉しかった!)
橋本君(仮名)
---- やっと閑古鳥から解放された。
(校正2回目済み)