湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

5/27 空転を糧に変える気力を

2010-05-29 08:03:10 | 引きこもり
2010/05/27 記
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水曜日は父のデイサービス利用日だ。疲れたのか父は判定員のチェックの翌日、萎えたように寝起きが悪く、何とか起こして排尿を支持したが、身が左右に倒れ掛かってしまうのだった。このような状態こそ判定員さんに見て欲しいのだが、そうも行かない。結局階段は途中から座位に変えて、尻を一段一段落とすように、階段を下ろさせた。父は相変わらず手すりにしがみつき、立ち上がろうとし、指示を無視して姿勢も正面を向いてしまう。実例をやって見せるが、座位という異常事態を脱することで頭が一杯になっている。学習する状態ではない。なんとか迎えの方に引き継いだが、前途多難だ。

私は送り出しの車の後を追うように門を出た。

ビッグイシュー5月前半の支払いを済ませて、寒川に立ち寄った。IPSリカバリーの当事者懇談を実現するために、協力者が欲しかった。難しさは私の担当している青年のように、当事者がそこにどのような解決の光が期待できるか全くわからない状態からの話だったからだ。桜ヶ丘病院の試みの自由さに着目しても、それは現在の湘南の状態とは違うし、その後のことを考えれば、出会うことによる悪影響ばかり支援者は考えてしまうからだった。結局会った方は応答をしないまま、とりあえず私の話を聞いたという事で空転して話を終えた。空転は無限に繰返される以外にない。無理に実現に煮詰める必要はない。丁寧に関心と共感を手繰り寄せなくてはならない。砂を噛むなら砂が食糧になるまでかみ続けていく。

厚木経由で小田急相模原に出て雑談。今回は彼の本校への通学再開の感想を聞いていたので、話は様々な方向に広がった。彼ともうひとりとともに、6月の下旬に生田緑地に行こうと話をしていた。梅雨に邪魔されなければいいのだが。

藤沢経由で茅ヶ崎へ。つまらないことだが今度は寒川を経由したくなかったのだった。父の迎えの時間16時半が迫っていた。何とか父をベッドに寝かせてから、母に父のことを頼んでサポセンに向かった。

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湘南あすなろ会の定例会。5/18懇談会のレポートを出して、今後の配達分担をきめながら、心は困ったことを考えていた。その場で先日の大船笠間口駅前の白木屋があるビルの裏から発見された、私の名刺が入った男物ハンドバッグは販売員Tさんのものだと確認できた。しかしTさんは明確に自分のものだとなぜか言わなかったのだ。バッグからした異臭はヘビースモーカーのそれと酒の匂いだった。捨てられていた場所は、関係者以外出入りの出来ない鉄製扉の向こうだった。関係者が客の忘れ物をゴミとして捨てたか、酒に酔って当人が潜り込んで置き忘れたか、あるいは盗難に会い、窃盗犯に捨てられたかだった。自分の物と認めた後の明快な物言いが消えたことへの不審が頭をもたげていた。

ビッグイシューは、路上脱出のための自立活動。その収益は生活再建に結びついていないといけない。営業中の酒気帯びは勿論、その収益が酒代になることは、李下で冠を正さずではないが、お客さんの誤解を招くことは避け、生活費の一部として使われていかなくてはならない。この辺の信用が揺らぐことばかりが続いていた。このままでは、彼は資格剥奪となる。彼が提案していた基本情報カード作りも、18日が終われば定例会までの日、何の進展もない状態では、彼の進退は行き詰っている。抑圧されたものの活動は、かならず内輪もめや酒の問題が出る。その自浄作用が問われているのだった。販売活動は聖職者の活動ではない。しかし、自分の目的と決意は明示し続けなくてはならない、販売活動はお客さんとの双方で支える路上脱出の社会活動。ただの食い扶持の販売活動ではないのだ。

警告をしたが、販売中飲んではいないという応答が帰ってきた。彼は客を語ることがなくなっていた。こここそが大事なところ、活動の命なのだが。

定例会で5/18レポートは実名等を改訂することになった。

来月、関係団体の集まりを開く。その日程調整に入ることになった。酒気帯びは、なんとも愚かしいことだが同調者がいる。困ったことだ。東京事務所とはあと2週間の猶予を何とかもらっている。販売場所近くの路上で宴会をするような無神経な真似は、モラルの問題。客の意識と対決するつもりなら販売資格はない。

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Oさんに送ってもらったが、玄関扉向こうの洗濯物と食器の山が迎えてくれるのは、相変わらず嫌だった。ところが母はまた胃切除の後遺症のダンピング、嘔吐に苦しんでいた。家事を済ませ、翌日配達の生協の申込書を仕上げ、今日回る入所希望先の書類を整えると午前2時半を回っていた。父の排尿を手伝いやっとPCに向かったのが3時。この間に夜間傾聴の申し込みがなかったのは幸いだった。傾聴待機。うたた寝をしていた。6時消灯。

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今日は、午前中に病院に行けと言ってあるが、早朝、母はおきなかった。8時ごろ、私は爆睡中、6時に寝たことを知らず、起こされてしまった。今日引き落としがある入金(実はあとで母が一日間違えていたことがわかるのだが)を忘れていたから駅に入れに行くと言い出した。では一緒に出ようと応答し、階段下に父階段徘徊対策のバリケードを作って、ふたりでタクシーを呼んで乗り込んだ。母を強制的に病院で下ろし、私はそのまま駅前のATMへ。

父をそのままにしているので、帰りのバスに乗ったものの気が気ではなかった。母にはメールを打っておいた。調子が悪ければ連絡せよと。母はしばらく帰ってこなかった。父に朝食兼昼食を食べさせた。糖尿病患者には血糖値が急変する食事はよくない。それはわかっているのだが。…私は巡回までの時間とにかく眠ることにした。

起きると母がいつの間にか帰ってきていた。病院で知人とあったので、昼食兼ねてお茶を飲んできたのだと言う。嘔吐は治まったと判断した。

私と母は、百日咳風の風邪をひいていた。薬を飲むと惚ける。昨夜もあすなろ会定例会に食材の入った買い物袋を忘れてきた。Oさんの厚意で車を戻してくださったので、問題にならなかったが、この間、傘やら魚の切り身やら、とにかく忘れてしまう。丁度売薬の咳止めが終わったところなので、風邪薬を飲むのをやめた。

父の足の弱まりから、階段騒動や、ベランダ騒ぎの格闘をしなくて済むようになったことは、精神的に楽になった。しかし、水袋のような横たわった身体を扱うこと、加えて排泄処理負担が爆発した。母が介護から手を引いたことが更に追い討ちとなった。入所の見通しをつけなければ、私自身が介護でつぶされてしまう。

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入所先巡回をひとつ取りやめにして、藤沢側の小田急線沿いのある老健を訪ねた。相談員さんと話したが、先客が居るので日を改めることに。とにかくこちらも空転が多い。思いは思うように動かない。

相模大野で月末の報告をして、湘南台で降りて、ライフタウンで買い物。大庭図書館の不登校児の親子学習会をやっていたNさん宅を訪ねた。また空振り。そのまま辻堂経由で帰宅したが、家に戻ってみると母が忙しそうに洗濯をしていた。わすれていた。明日金曜日から父は小谷の特養にショートステイ3泊4日することになっていたのだった。ショートステイ1日前には、訪問看護師さんが父に浣腸をかけに来る。それを忘れていたのだった。

忘れ物はまだあった。辻堂図書館は特別整理日に入ってしばらくの間休みになる。その期限切れになる書籍を返さなかった。そして夜間傾聴の彼に約束した新書を買い忘れたのだった。通販で送り出すことも出来るが、手渡したかった。ドジであると彼に謝りのメールを送った。

明日から楽になる。母の神経内科検査は土曜日。

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父、22時、午前2時に排便。「2」づくしと茶化して母に伝えるものの臭い冗談は笑えない。始末したおしめの袋は、庭の箱にまとめた分とともに、ゴミ回収の場所へ。就寝3時。5時ごろ傾聴。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     ******君(仮名・23時)


(校正2回目済み)

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