湘南オンラインフレネ日誌

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父の見守り留守番を得て/「月明かりの下で ある定時制高校の記憶」/全国NPOバンク連絡会

2010-04-25 17:30:32 | 引きこもり
父の在宅介護が破綻したとき、救急の対応はホームの救急時の空きベッドの有無に委ねられている。だがその前段程度の、家族介護者自身の治療で家が急に留守になる状態が生まれたとき、なかなかケアマネさんが捕まらず、その家族がサービスを受けている事業所に直接連絡を取らなければならないときがある。私の家の場合、訪問看護と訪問介護のそれぞれが各1ヶ所非常対応の契約を入れているが、前者は父当人が急に怪我や発病したとき、つまり救急車の前段程度の異常のときである。後者の問題は、その時点の事業所の都合で、直接対応できないとき、他の事業所に応援を頼むので、これが時間がかかってしまう。

父の大便騒ぎが治まらない。少しでも便が漏れると、ベッドの上で紙パンツを脱いでしまう。足の状態が悪いので、始めはベッド下に落ちていたが、今は印刷インクを伸ばすときのように、尻でシーツに便を伸ばしてしまう。1日3回の紙パンツ交換が6~7回にほぼ倍増。紙パンツの補充も車が必要な状態になり、通販に切り替えた。いっそう目が離せなくなったことが、介護者にとってはダメージとなる。紙パンツを自分で脱ぐなという話をすれば、手近なものが飛んでくる。全く受け入れてくれない。

しかし、今朝も濡れた衣服の交換と臀部の清拭をしている最中、拭いたばかりなのに、便だらけの紙パンツを持ち上げてはいてしまったり、上半身の濡れた上着を脱いでいる最中に、手を伸ばしてテーブルにある入れ歯を取ろうとして横転しそうになったり、今は脱いでいるのに必死になって着ようとしたり、場面が理解していない混乱がひどくなっている。怒り収まらず、ベッドに戻ってベッド柵を投げ飛ばしてしまう始末。

私は週明け、明日が9:30から胃の内視鏡検査である。9:00に父を送り出してその場でタクシーに乗り病院に直行する。互いに時間の融通が効かないので、こういうこともおきるのだが、これが異常が発見されたとき、父の介護をどうしたものかと頭が痛い。

私は昨日、浦和と東京を回ってきた。昼間は父の旧い宗教関係者の知人に、留守番を頼んだ。さすがに下の世話は頼めないので、そこは母が始末をしたのだが、母が近所で買い物をする間ができた。父がデイサービスやショートステイに何とか出ていってくれないと、私の外出も困難な状態になっている。宗教を信じるかどうかは別として、留守番を承諾してくださったこの方に感謝している。

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昨日は、私が製作時のカンパに協力していた関係で、浦和の現地で有料特別試写会がひらかれたドキュメント「月明かりの下で ある定時制高校の記憶」を見てきた。一般公開は7月3日の東京有料試写会からだが、私の生業の方の子に似た子もちらほら。定時制は、いわゆる社会常識の学歴取得のための学校に合わなかったり、切り捨てられたりした人が8割を占めている。ひとの生涯は千差万別なのに、「普通」と「一般」の煙幕がひとを見えなくしている。重い家庭環境や心身条件を不器用に生きた若者や熟年者が、生きる心の糧とつながりを求めて校門をくぐってくる。採算の鉈(なた)で廃校に追い込まれた浦和商業高校定時制の最後の授業記録が、人肌を感じさせるほど身近な目で描かれている。

登校してくる生徒さんの背景は直接は見えない。しかし、自分の境遇に向かい合うからこそ、学校に出てくる。その一点の信頼を絆にお互いが結びついている。しかし、私のようなサポート校とも言えない中途半端な予備校や、私塾の世界と違うのは、私たちのところは、もうひとつ、進学という方針を選んだ方が月謝を持ってやってくる。目に見える成果を有期限に求められるところがあることだ。親の期待が本人の屈折した意思とは違うかもしれない。しかし、流れがあり方向付けられている世界なのだ。

この記録は定時制が、そのひとりひとりが悩みながらコンディションを整えていく様子が描かれており、レッテルの向こうにひとを感じる優れた作品である。関係者や当事者家族等150名近くの観客も満足しただろう。

しかし同業者として、重箱の隅をつつくならば、ここには「知識の価値」が描かれていない。最後に、廃校方針に抗議する卒業生たちの「支援」が主張されているが、その「支援」が描かれていないのだ。文化祭という協業の場面の豊かな表情が日常の表情と明らかに違うなら、宝物のような時間の記録が薄いのが残念だ。

茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」が説教の場面で出てきたのにはのけぞった。既に定番、乙業式にはアンジェラ・アキを歌わせておけばいいとか、正面突破は、茨木のり子だというような教員の定番が出来ている。偏屈な目であるには違いないが、突然,しらけさせられてしまった。

突然浅瀬に乗り上げた場面はもうひとつある。なぜか映倫のお墨付きマークのように、所属政党のマーキングかもしれないが、原爆と沖縄の深い課題が突然挟み込まれる。それまでの教室の深い心のやりとりに、突然神の託宣が降りるようなカットを挟み込むセンスのなさは嫌になる。ここだけでひとつの作品が成り立つようなテーマをなぜちょこんと挟むのだろう。製作者の見識を疑う。人道から授業をしているのではない。生きようとすり合わされば道が見えてくるのだ。

こういういくつかの問題点を抱えながらも、定時制スナップショットと考えれば、よくぞ表情を選び抜いてくれたという作品である。湘南で上映するなら協力したいと考えた。7月3日,一般公開には見に行って損は無い。

最後の浦和商業高校定時制卒業生の太鼓集団「響」の実演の前に、次の企画の時間が迫っていたので、胸に響く太鼓の音を背に先に会場を失礼した。

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浦和の駅前で、なんとビッグイシューの販売員さんに会った。通り過ぎるのも何なので、この際とジョニー・ディップの132号を買ってきた。売れ筋である。

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ビッグイシュー東京事務所に立ち寄り、遅れていた4月上旬分の支払いを済ませてきた。バッグを入れ替えたのでカード・通帳が前のバッグの中だったということだけなのだが、父の一件で何回も同じ失敗を繰返していた。入金時、忘れて持っていかなかったのだった。

販売担当の面々は土曜日で既に退社しており、Sさんに委ねて、早々に三軒茶屋に向かった。急がば回れ、とんでもない事務的ミスをして、事務所を出てしまった。私は事務能力が無いのは、前々からのこと、反省。

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三軒茶屋の市民会館では、NPOバンク全国連絡会が開かれていた。マイクロファイナンスの実践交流の企画だった。マイクロファイナンスというと発展途上国の最下層の方の貧困脱出を図るための自立興業施策というイメージがある。ホームレスや資本の無い無業者のような、資本や担保も社会信用もない者達が、経済自立と社会参加を成し遂げるために、リスクの大きな金融を社会運動として支えていくファンドもまたマイクロファイナンスだ。

案の上、大半は発展途上国へ向けられたJICAや行政法人的な立場の方の話が多かったということもあるが、私はその情報の隙間から情報をつかみとるために、時流を確認しに行ったという野次馬参加である。アリスセンターの水谷衣里さんの講演が聴けたのは収穫だったが、あとは土屋さんの顔と名前を一致させて帰ってきたようなもので、途中の母からの呼び出し電話は痛かった。夜間は留守番が母ひとり。父が倒れたら終わりだから、すぐ帰ってきてくれという悲鳴のような電話だった。信者さんが留守番していたときに、すでに2回トラブルが起きていた。転倒と、ベッド上の噴水だった。

40分遅刻で飛び込み、1時間前に退席とは何をしに行ったか分からないような話である。しかし勧進帳ひらいたようなダイジェスト解説には、それなりのヒントはあった。しかし、多重債務者対象のマイクロファイナンスなど、個々の事例とグループ討論はこれからだったのは残念である。参加は、圧倒的に20~30代の若手。爺ぃは、ちらほら。ファンドだから、受給期待側は私ぐらいのものだろう。水谷さん、どこかで見たような白髪頭と思っていたようだ。Vサイン出すわけにもいかず…。

《参考資料》
●「全国NPOバンク連絡会」

夜間傾聴:中央林間君(仮名・こちらから)
     □□君(仮名)


(校正1回目済み)

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