湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

父の認知症の進行に付き合えば…/明日は久しぶりに安田講堂に行く

2009-01-22 07:03:34 | 引きこもり
父は昼夜寝起きに奇妙な行動をとり始めた。デイサービスの前に、宗教の関係の書物を突然探し始め、転倒して眼鏡を吹き飛ばしたときに顔面に擦り傷を負った。ホームでは食事と入浴の時間以外は、大半眠っていて、起きると職員を無視してトイレを探して歩き回った。家に戻ると、ひと眠りの後、数年間会った事のない信者さん宅に電話をするから、電話番号を知りたいからと、階段を降りようとして制止。電話番号を大きな文字で書いて手渡したが、紙を放置して歩き回った。それぞれの行動には父自身の意味が込められているようにも見えるが、長い時間を共にしてきた家族には、今までに無い行為であり、関心の示し方から、目的未達成の受け止め方まで、やはり急変しているように見える。

つい先ほども、誰かがブザーを鳴らしていると階段を降りようとして、私に「夢をみているよ。今は夜中の2時半。聞き違いだから、安心して眠りな」と制止されて、素直に従った。この素直に従ったことが、普段と様子が違うのだった。ベッドに戻して階段を降りる背中で、父はまた部屋を歩き回るのだった。制止したことに苛立つのではなく、またリセットされて歩いているようにみえた。しかし、昼間、目が覚めて30分もすると、過剰防衛的な普段の意識に戻って、私たちを指図して、別人格に入れ替わるように思えた。

夕食時、ホームから帰ってきた父を休憩させて、食事をいつもの通りサイドテーブルの上に出し、厨房に戻っていくと、2階で派手な音がして排尿のために、立ち小便をした後のポータブルトイレの蓋がしまった。次の瞬間食器が落下する音がして、父がベッドに戻るとき手すりにぶつかるときの音がした。様子が派手なので現場に行ってみると、ベッドの隙間に父が落ちており、全く起立動作に関係ない、ポータブルトイレの下に落ちた皿を取ろうと手を伸ばしていた。皿にはトイレから滴り落ちた尿が溜まっていた。

父を戻して目診。周囲を片付けたものの、皿は偶発事故とはいえ、状態はショックだった。母は自分のお気に入りの皿が共用できなくなったと布団をかぶって横になってしまった。さすがに洗い流したが、私もこの皿を使う勇気はなかった。

この間、訪問看護の導入や、階段昇降介助のヘルパーのポカ休事件をめぐる混乱など、ケアマネさんの掌握していない事態が連続して、ケアマネさんから、厳重注意が飛んだので、ずれの傷口が広がる前に調整しておこうとホームを訪ねた。

案の定、憶測の先に憶測が連らなり、事態の理解がかけ離れた解釈になっていたので、訪問は正解だと自分では思っている。訪問看護師さんの事業所にも回ったが、担当者兼責任者がお留守で、結局携帯電話話になってしまった。微妙な部分は、やはり会った方がいい。結局、デイサービスの間は、父の部屋の片付けと、路線バス移動の事業所訪問、図書館(返却)と市役所(申請)、食材補充の買い物で駆けぬけるようにして終わっていった。

父の宗教の信者さんの階段ヘルプが到着しないまま、這うような姿勢の父を押し上げるようにして、階段をクリア。このとき、転倒時に打った膝が再び痛み出したために、父の居室の椅子に座らせて、手当てを行ってベッドにあげていた。その1時間後、皿の落下等が起きたのだった。

コートを抱えて巡回に飛び出したものの、私の体力的な限界が来ていた。町田往復を済ませて帰った直後、耳鳴りの異常が起きて、棒切れのように横になって眠った。昨日の休み分、夜間傾聴はレギュラーから中学生まで三人、にぎやかだった。幸い傷害に結びつくような相談はなかったが、この時期、自分の将来に苦しむ例が多くなっている。言葉の間合いの意味が、疲れていると気が付かないことが増えていく。結果、あっさりと効率よく終わったかのように見えるが、問題は当人の胸のうちにこもったままになっている。

父の深夜のご挨拶以降は、まもなく午前6時だが、派手な寝返りの軋み以外は静かになった。

金曜日が一日中、東京の企画に参加するので、今日は巡回を詰めている。自分が雑巾になって行くと巡回時の心が響かなくなる。緊急時の助っ人として訪問看護師さんと契約したのは正解だった。

八木原氏の講演会会場はMさんが回っている。会場が狭くなったが、空きがないので、ここに決まった。Mさんから公開されたら、私も会場を公開する予定。

巡回の支度を終え、講演会の関係者向けのチラシの外枠を試作。放置傘活動の企画紹介を作り、松本市の自転車リサイクルの資料を取って今夜は終わり。いずれにせよ、すべては父の状態で中断されることを前提にしなければならなくなっている。ロッククライミングのハーケンのように、落下の制御がいる。

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技能とは何かということを考えていた。経験の中の小さな発見が組み合わさって行為が潤滑になっていく。小脳の機能のうんぬんと論じるつもりは無い。意識しないで無駄なく身体が動く。しかしそれを伝えようとしたときに、どうしたらよいのかということだ。それをつかみ出し、言語化しても、それを相手が再構成出来るとは限らない。行為への思いにしてもまた同じだ。

「学ぶって、しまいこむことですか」、これが大森海岸君の問いだった。これは傾聴ではないが、彼のひっかっかり部分と私の意見は微妙に土俵がずれていた。「脳は穴あきバケツにあらず」という話のつもりだったが、彼は学習形態への批判だったのだ。ソフトハウスの研修が不満だったのだった。

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夜間傾聴:##君(仮名)
     大森海岸君(仮名・傾聴にあらず)
     多摩センター君(仮名)

(校正1回目済み)

p.s. BPD関連の書籍の整理を始めている。質問できるプロを捜索中。個別的すぎるのだ。悩み。

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