前線が通過して、急に冷風が吹くときは、傷病者や過去に患った方の旧い傷や病巣が疼いたり体調が悪くなることがある。私は相変わらず右目が霞んで引きつっている。母は骨折した踝(くるぶし)の古傷が疼いた。そして父は、私達をホテルの職員と間違え指図した。
私がゴミ回収の袋を指定の場所に捨てに行き、帰ろうとすると2階の窓のカーテンが開いたのではなく斜めに開いた。まだ5時過ぎである。父が起き出して何か事件を起こしているのが分かり、玄関のサンダルを蹴散らして、2階にかけあがった。
びっくりした。扉を開けたら父が両手を双方の壁について、今にも倒れそうに、立ちはだかっていたのだ。間一髪、父は前に崩れ、なんとか転倒するところを止められた。とにかくぬるま湯が入った袋を持ち上げるような重さ、まとわりつく肉体ほど重いものは無い。ゆっくり床に転がろうと耳元で指示したそのときだった。
「『エアコン』が壊れている。何てホテルだ」と父が、言葉を重ねるように大声をだしたのだった。
部屋が臭いので、雨が降っているがやむなしとして、網の入った天窓と東側の窓を、少し開けておいたのだった。父は夜風をエアコンの風と勘違いしていたのだった。下半身はパジャマを脱ぎ捨て、湿った紙パンツを膝(ひざ)のところまで下げていた。靴下は尿だまりを踏んでびしょぬれになっていた。
父は階段を降りようと這い出したが、以前の転倒時の膝の傷があたり、2ヶ月傷口が塞がっていない「生傷」が当たったらしく、痛むので這うことをすぐにやめざるをえなかった。
「責任者を出せ」
と父は私に迫った。
とっさに
「連絡するので、電話を貸してくださいね」
と父に謝り、父から離れて部屋の奥に入り込み、歩行器を持って部屋の入口へと戻った。その間、父は仰向けになってしまっていた。この姿勢から起こすのは一番大変なのだ。ビニール袋に水を入れて閉じ、その袋を指で押しながら回転させてみるといい。片足が麻痺していると潤滑に身体がまわらない。
歩行器に掴まらせて何とか立たせて、いざ誘導となったとき、父は尿意を催した。まさに頻尿である。背後から身体を抱えた時だった。父は大きなくしゃみをしたのだった。悪臭がただよった。とっさに紙パンツで封じて助かったが、放屁ととともに糞が飛びだしていたのだった。
勢い良く隣の家の雨戸が開いて閉まった。まだ朝の5時台である。
------
水曜日はデイサービスに父が出かける。身辺介助にヘルパーさんが8:30には、やってくる。その前に朝食をとらせて、送り出すのだった。ブログの原稿を書いていると時の流れが速い。たちまちヘルパーさん到着の時間直前となって、行き先のホームで便がでるように、急いで水分の多い食事をとらせた。麺類である。
父は睡眠不足の嫌な顔を露わにして、ふらつきながら階段を支えられて、何とか下りてホームの車いすに乗った。家族と業者5人の介助者に囲まれて、出かけていった。
父の寝床の始末を済ませて、私は10時から始まる大石弁護士の講演会に向かった。前日はこうして、終わりの無い今日につながっていった。
------
昨夜は、夢たいカフェの運営実があった。構想を具体化する為に、ショップを原寸で再現したらどうかというTさんの提案を受けて、紐を使って、空間を仕切ってみた。予想外のことがいろいろでてくるのは面白かった。
共用スペースの広さを体感してみると、実際にどのくらいの人数を対象に企画を立てていけるかが見えてくる。テラス部分が予想外に広かったり、入り口から共用スペースに入り込むとき、人とすれ違う間隔のようなものもわかってくるのだった。
スペースは身体障がいの方の車いすを複数考えるとスペースがせまいのだった。出入り口やトイレなどのバリアフリーを考えてあるが、なかなかそれ以上の空間的なゆとりが立たないのはやむ終えないのかなと思う。
通り沿いの間口は。やはりひろい。家屋の外側の土地も屋外にテーブルをなんとか出せそうだし、呼び込み的なミニ企画も出来そうだ。
営業時間も11~19時と決まった。私のような事務室利用の団体の時間帯ではなく、鯛焼き屋さんと小箱ショップ、つまり共用スペースの公開時間だ。
運営実の構成団体は、小箱スペースの一角を借りることになった。「わーく」編集部はオンラインとオフラインをつなぐメッセージボックスを作る。ここから高齢者・妊婦さん対象のご用聞き型買い物代行兼何でも屋のアピールが始まる。
もうひとつ、自閉症者向きの仕事が1件新たに誕生しそうだ。ただ初めての採用なので、ジョブコーチが必要になりそうだ。これは、今回も運営実の副産物。
次回は7月3日19時サポセンにて。
夜間傾聴:******君(仮名)
(校正1回目済み)
私がゴミ回収の袋を指定の場所に捨てに行き、帰ろうとすると2階の窓のカーテンが開いたのではなく斜めに開いた。まだ5時過ぎである。父が起き出して何か事件を起こしているのが分かり、玄関のサンダルを蹴散らして、2階にかけあがった。
びっくりした。扉を開けたら父が両手を双方の壁について、今にも倒れそうに、立ちはだかっていたのだ。間一髪、父は前に崩れ、なんとか転倒するところを止められた。とにかくぬるま湯が入った袋を持ち上げるような重さ、まとわりつく肉体ほど重いものは無い。ゆっくり床に転がろうと耳元で指示したそのときだった。
「『エアコン』が壊れている。何てホテルだ」と父が、言葉を重ねるように大声をだしたのだった。
部屋が臭いので、雨が降っているがやむなしとして、網の入った天窓と東側の窓を、少し開けておいたのだった。父は夜風をエアコンの風と勘違いしていたのだった。下半身はパジャマを脱ぎ捨て、湿った紙パンツを膝(ひざ)のところまで下げていた。靴下は尿だまりを踏んでびしょぬれになっていた。
父は階段を降りようと這い出したが、以前の転倒時の膝の傷があたり、2ヶ月傷口が塞がっていない「生傷」が当たったらしく、痛むので這うことをすぐにやめざるをえなかった。
「責任者を出せ」
と父は私に迫った。
とっさに
「連絡するので、電話を貸してくださいね」
と父に謝り、父から離れて部屋の奥に入り込み、歩行器を持って部屋の入口へと戻った。その間、父は仰向けになってしまっていた。この姿勢から起こすのは一番大変なのだ。ビニール袋に水を入れて閉じ、その袋を指で押しながら回転させてみるといい。片足が麻痺していると潤滑に身体がまわらない。
歩行器に掴まらせて何とか立たせて、いざ誘導となったとき、父は尿意を催した。まさに頻尿である。背後から身体を抱えた時だった。父は大きなくしゃみをしたのだった。悪臭がただよった。とっさに紙パンツで封じて助かったが、放屁ととともに糞が飛びだしていたのだった。
勢い良く隣の家の雨戸が開いて閉まった。まだ朝の5時台である。
------
水曜日はデイサービスに父が出かける。身辺介助にヘルパーさんが8:30には、やってくる。その前に朝食をとらせて、送り出すのだった。ブログの原稿を書いていると時の流れが速い。たちまちヘルパーさん到着の時間直前となって、行き先のホームで便がでるように、急いで水分の多い食事をとらせた。麺類である。
父は睡眠不足の嫌な顔を露わにして、ふらつきながら階段を支えられて、何とか下りてホームの車いすに乗った。家族と業者5人の介助者に囲まれて、出かけていった。
父の寝床の始末を済ませて、私は10時から始まる大石弁護士の講演会に向かった。前日はこうして、終わりの無い今日につながっていった。
------
昨夜は、夢たいカフェの運営実があった。構想を具体化する為に、ショップを原寸で再現したらどうかというTさんの提案を受けて、紐を使って、空間を仕切ってみた。予想外のことがいろいろでてくるのは面白かった。
共用スペースの広さを体感してみると、実際にどのくらいの人数を対象に企画を立てていけるかが見えてくる。テラス部分が予想外に広かったり、入り口から共用スペースに入り込むとき、人とすれ違う間隔のようなものもわかってくるのだった。
スペースは身体障がいの方の車いすを複数考えるとスペースがせまいのだった。出入り口やトイレなどのバリアフリーを考えてあるが、なかなかそれ以上の空間的なゆとりが立たないのはやむ終えないのかなと思う。
通り沿いの間口は。やはりひろい。家屋の外側の土地も屋外にテーブルをなんとか出せそうだし、呼び込み的なミニ企画も出来そうだ。
営業時間も11~19時と決まった。私のような事務室利用の団体の時間帯ではなく、鯛焼き屋さんと小箱ショップ、つまり共用スペースの公開時間だ。
運営実の構成団体は、小箱スペースの一角を借りることになった。「わーく」編集部はオンラインとオフラインをつなぐメッセージボックスを作る。ここから高齢者・妊婦さん対象のご用聞き型買い物代行兼何でも屋のアピールが始まる。
もうひとつ、自閉症者向きの仕事が1件新たに誕生しそうだ。ただ初めての採用なので、ジョブコーチが必要になりそうだ。これは、今回も運営実の副産物。
次回は7月3日19時サポセンにて。
夜間傾聴:******君(仮名)
(校正1回目済み)