2015/06/05 記
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阪神を巡回する件で、今年3/31をもって解散した「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」の関係者を追っていた。故・黒田裕子さんが扇の要だったのだなと気付かされても、私と直接交流のあった**さんや++さんに連絡が取れないものかと、関係者を探っていた。阪神淡路大震災の現場関係者は、20年の時を経て高齢になっていることもあって、オンライン上でアドレスを探ってみたが不明。これはアドレスが無いのではないかと疑いが出てきた。
宝塚にいってみれば、その後のことがわかるかと思っていたが、厳しそうだ。神戸新聞に問い合わせをかけている。
また、当時、長田区の行政関係者の##さんを追っていたが、退職後の行方がわからない。高齢者関係の社会活動をしていて、講演をしているらしいことはわかっているが、追跡できないでいる。黒田さんが阪神淡路大震災の渦中にいらした頃、わたしはミニFMの支援活動をしていたが、この##さんを媒介に、神戸市西区の西神第7仮設住宅の巡回サポートをしていた黒田さんと医療物資の件で、偶然、話し合いで出会っていた。
当時のことを再現する内容の講演をお願いするわけではないが、当時から継続して高齢者ケアに寄り添ってきた方を、紹介していただこうと考えていた。アポがすぐにはとれそうにない役職の医師や、救急救命関係の学術団体の役員になっている%%教授ならば、東京で足を運べば用が足りてしまう。(打診中だが応答なし)
神戸大の知り合いは若い。だが現在の関西防災社会活動の状況なら把握している。この方なら、行けば会える。また当時、教科書納入をしていた小売本屋さんは、当時の経験を語るならOKだが、他の被災高齢者のことはわからないとのことで空転、全体の出発準備が遅れている。飛び込みなら数箇所候補があるが、出発に踏み切れないでいる。
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大槌町の看護活動をしてきた団体が、朝日新聞出版から本をだしたとのこと。藤沢ジュンク堂で当たったが、残念ながらみつからなかった。こちらは訪問看護の事が課題。東北では大きな課題となるが、都市部・都市近郊型の課題としてはピントがぼけている。創生会議が高齢者介護の今後の見通しの件で、地方転居の勧めを出したが、その結果、家族の経営の中の高齢者の位置がいっそう問われてきた。ここを踏み外すと、被災後の高齢者サポートの方向を見誤るので、この大局の中で懇話会テーマをたてるのは、秋口の懇談には間に合わないと判断した。来年2・3月の懇談企画のなかに反映させるつもりだ。だから、「被災高齢者の単身化と孤立」という被災状況の中では矛盾の頂点を扱うことにしようと思っている。懇話会の立ち位置は、急性期の避難課題ばかりではなく、被災数年かけてボディブローのように効いてくる挫折・孤独の最前線を意識的に扱うことになる。
この課題は一部の方の課題ではなく、阪神淡路大震災が示すように、仮設・復興住宅というコミュニティの強制と激変という厳しい状況の中で、希望を絶たれる被災高齢者の普遍的な課題だ。ケアの手立てを考えておくべき課題だと思っている。
障がい畑の方で、中村雅彦氏から今後の検討課題が見えてきているが、高齢者の方では、大切な課題はみえても、課題の配置がいまいちすっきりしてこない。
さてどうしたものかと、探って一夜があけた。
夜間傾聴:塾長(ネパールの件)
ひとり
(校正2回目済み)