2015/06/21 記
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昨日のことだ。
拡大読書機の体験会からの帰り、丸善に立ち寄り、東北学院大の<a href="https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784904863350">「震災学3」《荒蝦夷 刊)</a>という雑誌のバック・ナンバーを仕込んだ。仮設生活を取り上げ、特に阪神淡路大震災からの長いスパンの体験レポートが載っているからだ。この雑誌には、被災障がい者の記事はまだ出てこないが、現在No.06まででているが、今後に期待している。
翌日が父の日とのことなので、都内の父の墓に立ち寄ってきた。話すことも何もなく、墓前で立ち尽くしていた。おめう父のために、えらい目にあったことだらけだったからだ。他人には奇妙な光景だったろう。
神宮前にまわり、看護協会の**さん宛にペーパ・メールを残してきた。故黒田裕子さんが紹介してくれていた災害看護・国際救急看護の専門家だ。阪神淡路大震災の被災高齢者ケアをされてきた方だ。黒田さんの話の続編を語ってくれる方だ。
最期に**子に会った。住職には会えなかったが、部屋喪失騒動の会った**子の様子を見に来たのだ。チックが残っているのが気になる。一緒に歩いて嫌になった。夕闇の階段をさっさと歩く**子がうらやましい。私の目には段差がわからない。影に落ちている空き缶が見えずに、蹴飛ばしてしまったのだ。老いを感じた瞬間でもある。
急ぎ、品川から帰宅したが、東京が通過駅になったのは、本当に迷惑な話だ。絶対に車内着席できなくなったからだ。家に飛び込み、母用に取っておきの豚シャブ肉を使って、冷やし豚シャブを作って食わせ、私は豆乳をあおって終わり。
1時間仮眠をとって、夜間傾聴へ。終わりのないゲーム。
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6/21
傾聴を6時に終えて、午前中爆睡。
13時半(実際は13時からだった)プレジョブの会合に出る。就労支援は地縁による就労というように、自分達が開拓した就労先への就労の形が多くなっている。私の場合は精神の領域の方がおおくなっている。命がらみの二次障がいが出ている方の就労が増えているので、ういういしい高卒の仮採用を見ていると、つながる言葉を見失ってしまう。
今日は橋本の対面指導。訪問だけで終わり。
遅れている「わーく」を再び編集中。
夜間傾聴>ひとり
(校正1回目済み)