2015/06/08 記
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母が、浜見平の友人の誕生日に呼ばれて出かけるために、昨夜から、昔の小学生の遠足前夜のような状態で、果たして今日は大丈夫なのかと母を見ていた。おかげで送り出す側の睡眠時間は散々だったが、ふんぎりがついて、阪神淡路大震災当時の医療関係・障がい者保護関連の資料閲覧のため、東海大学附属図書館を覘いてきた。キー・パーソンのチェックだった。調べて行くうち、憂鬱になった。故・黒田裕子さんもそうだが、皆、亡くなっていた。高齢者関連で中辻直行さんも候補だったが2013年に他界されていた。20年という時間は長い。
相模大野校に出るには、時間が早すぎたので、距離感のないのもいいところで、開成まで出て、自閉症の方の美術展をのぞいてきた。作品の表現のむこうに彼らの息遣いが感じられて、富士山で言えば裾野にあたる私と接している感受性のことなる引きこもりの青少年たちの癖のような世界を、改めて受け止めてきた。
しかし開成駅はなにもない駅だ。終点相模大野のそばの鶴間で人身事故とかで、時間が間に合ってよかったものの到着が危うかった。
神戸。大阪で高齢者関係と、社協関連から医療・生活支援ボランティアのエピソードを拾えないかと探り続けている。
帰宅すると、湯飲み茶碗がずらり並んでいた。母を送りがてら、我が家で二次会が行われた「兵どもの”爪”の痕」が生々しかった。当人は疲れたのだろう、自室のベッドにもぐりこんで寝息をたてていた。
海鮮スパゲッティを作って、とにかく母に食べさせ、お役目ご免となった。
7月2日の懇話会に招待した中村雅彦氏は、視覚障がい関連の方だ。盲学校と市内団体の説得を始める。
夜間傾聴:**子と住職
(校正1回目済み)