2014/12/19 記
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父の介護を手伝ってくれていた浜見平の友人母子が、父の1周忌ということで、突然現れた。弟夫妻から連絡がないというのに、恐縮してしまう。寿司をとろうかという話を押し分けて、二ツ谷の「かごの屋」に行こうということになって、私は遠慮した。冬期講習の準備や、消えたブログ原稿の書き直しがあったからだ。しかし甘かった。私の分の寿司折りを作って持ち帰ってきたのだった。日が落ちるまで話し込んで帰った。
父の宗教仲間は1周忌という発想自体がないので、誰も来ない。翌日、昼の奉仕の帰りということで3人組で浜見平さんの直前に訪ねてきた。車を置かせてほしいとの用事で現れたのだった。
以下は、意固地になってかくほどのものではないが、木曜日の湘南こどもネットワーク主催の講演会「医療の視点から見る発達障がい児への支援」(講師:新泉こころのクリニック院長・朝倉新医師)の感想だ。
実は今年何回か様々な講演の機会に参加しているのだが、南三陸小の元校長の、避難所運営をする側から見た避難所生活レポートと、今回の朝倉氏の講演のふたつが印象に残っているのだ。自分の役割が明快で、伝えることが推敲されているのだ。
朝倉氏の講演は「精神科医の仕事とは何か」ということを説明することによって、「発達障がいを抱える親御さんの子育て環境整備」の「パズルピースの1片」になろうという意図を感じさせるものだった。それゆえの意義と限界を孕む講演だったといえる。
朝倉氏は、医師の独自の役割を「診断・診断書作成/薬物療法」だといいきる。この言及はすっきりしていて素晴らしい。障がい児の生育環境を整え育んでいくのは親御さんの役割であり、その中に医師の医療「協力」があるのだという構造の土台のなかで、医師の活動紹介を展開している。
当事者親子の訪問受け入れから始まり、精神の関係者なら、対話によるラポールをたてることから関係構築が始まる。この辺が知的や発達の場面では、親御さんとの対話が優先となる。その「信頼」が以下の医療行為の基礎をなしている。
資料の中には、地域連携の話が盛り込まれてはいるのだが、話の中心は医者が「当事者ー家族ー医師」という外来診療室で行われる排他的な治療行為の範囲に収まる話が続いた。親御さんにしてみれば、この構造は自明のものとして、子どもが困難な場面に通院治療のシュミレーションのような即応的理解を開くものとして受け入れ易い歓迎できる話題だったろう。精神科の病院ってどんなところで、なにをしているのだろうという問いに答えたものと響いていただろう。
来院されるとどのようなメリットがあるかを語り、特に処方する抗うつ剤の効果を成分別(三環系・四環系・SSRI・SNRI・NaSSA…)に紹介して行った。既に通院している方には、自分に処方されている薬の意味が通じただろうけれど、そうではない者には、精神科医のいわゆるさじ加減の複雑さと専門性をイメージしただろう。実際、こうした講演は珍しく、話の中の古くからよく使われているデパケンの長期過剰服用から眼球が黄疸のように黄濁している引きこもり青年に会ったことがあり、それが、血中アンモニア生成の副作用という話から理由がわかったという副産物もあった。
しかしその後の話のクリニックが地域機関とどのように連携しているかを話す段が、従来からの支援機関の連携話に終わってしまったことや、結局は盛り込み過ぎからガイダンスに終わってしまったことが残念でならない。
またこれは私からの変化球だが、「災害時」医療が障がい者になしうることはなにかという言及が欲しかった。また高齢者のところから提起されている「地域包括ケアネット」の障がい者サイドからの評価や「地域医療保健」の「広義ネットワーキング」(親御さんを含む)について語ってほしかった。続編を望む。
以上
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「金曜ミニ・カフェ」は、定時19時駆け込みで行われた。サポセンの奥のテーブルは照明が消えていて真っ暗。サポチガの担当者がぽつねんとしているところに飛び込んで上映。なおさら日が悪いかと思いつつだったが、今回は重要な番組を上映。画面をみながら、ここで得られている経験はなにかということや、市民活動の力学を気仙沼・園田苑の実践から掴み返して納得していた。
また双葉厚生病院の緊急避難の記録は、動けない上、看護を要する高齢者のヘリコプターによる救出が発災4日後に行われるが、そのヘリに地域の健常被災者が割り込み、搬送しきれなくなるという事件が起きている。その救出活動の指揮者がいなかったための悲劇だ。こうした避難経験の提供するものについて、エッセンスを取り出し易い番組だったが、これもまた、いずれ時をみて再放映する必要があると思った。
帰りに母の夕食補助食材や、ビデオデッキを抱えて駅前を歩いていると、数回ニアミスが起きた。歩道を通してくれない万歳をする集団、侮蔑の視線をおくる酔客の隙間をぬって帰宅したが、震災は終わっていないとついつぶやいてしまう自分の小ささを恥じた。
●「明日へ~地域のつながりが新しい介護をつくる~宮城県気仙沼」
(2014/11/23 NHK 48分)
●「明日へ~放射能にさらされた病院~福島県双葉町」
(2014/06/29 NHK 48分)
夜間傾聴>ひとり
**子(体調悪化つづく)
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日曜から冬期講習が始まる。相模大野校の方は制服があるので心配ないのだが、JR相模原の塾の方はどうしようと思う。私は衣食住にもうひとつ「考」を加えている。「書」は1冊が5・6千円・社会活動諸費に数万円するので、低賃金ゆえに「衣」を削っている。しかも私の担当する若者は、衝動性の強い者もいて、若手講師では手に負えない。信用してもらえるまでには、めがねが壊れたり、服が破れたりする。幸い今年は、その傾向の子は訪問指導の枠に入っているので、冬期講習のような授業には出てこない。しかし、着たきりすずめも周囲の信用を失うもとになっているので、しぶしぶ新調することになった。
そこに父の宗教仲間たちが現れて、出鼻をくじかれてしまった。雨がやまず、結局明日、母が年賀状とカレンダーが欲しいからというので、連れ出しながら買い物をすることになった。
夕方、相模大野校から担当の子がやめたとの話が飛び込み、出かける必要が無くなった。
なにやら鬱陶しいが、この間の仕込んだリーフレットや静岡の資料を読みつつ、朝、ブログ用原稿を消してしまった分の作り直しをしていた。
冷凍牛肉を出して母はすき焼き、私は糖尿病対策で湯豆腐と玉こんにゃくの炒めもの、自作柿大根、私だけレタス。これが今日の夕食。
1月末の懇話会ゲストが決まらない…思案しながら夜が明けて行く。
夜間傾聴>なし
(校正1回目済み)