2014/12/03 記
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タウンニュース11/28号(茅ヶ崎編集室版)の見聞検分欄に、県会岩本議員の「茅ヶ崎ラジオ局」の紹介記事が載っていた。平塚のFM湘南ナパサの放送の一角を間借りしての番組として出発というお話だった。平常時の地域コミュニケーションを支える働きもあるのだろうが、災害時にとっては、地域災害FM茅ヶ崎版の芽ということになる。具体的な話が出てきたと言う意味で、注目して記事を読んだ。
災害時には様々な活動が生まれる。外部からの支援活動だけでなく、地元からの活動も立ち上がる。災害FMもその中に位置づけたいのだが、この地域災害FM(公設・私設etc.)と外部支援活動の拠点となるボラセン、自治体行政活動との関係が企画インフォメーションと安否確認以上のアンフォーマルな部分の、いわば中規模ローカル・コミュニケーション(一自治体~数自治体エリア)の積極的な役割が、まだ未開拓のように思えるのだ。
私の個人的な要請としては、災害弱者(災害時要援護者)の地域協力を求める数少ない呼びかけのツールとして検討をしていく必要、そして企画・取材と編集そして放送という一連の放送活動が、青少年の自主的社会参加活動に馴染みがいいため、彼らを初めから入れ子にした活動を検討して行く必要を感じるのだ。
「わーく」編集部がこの間検討してきた「マイクロFM」は、小規模ローカル・コミュニケーションの話であり、ひとつの建物・ひとつの公園レベルのコミュニケーションの話で、地域コミュニケーションFMとは、役割が違う別物と思っていい。
マイクロFMは避難所運営会議や、一仮設住宅・一マンションの自治会などと協力関係を結んだ放送活動のことで、高校生の自主活動などの立ち上げの大きさにも適合している。しかし電波法の規制の枠内ぎりぎりというリスクもあって、大学生や大人とのチーム編成を組む必要がある。役割の自覚をしていないと、すぐに内容の枯渇となる。実はそれはシステムの限界ではなく、活動スタッフの成熟度の問題である。(詳細は『わーく』誌にて)
このマイクロFMと地域災害FMのスタッフは、兼任自由であり、私の希望からすれば、地域社会や大人社会への周辺参加的な貴重な活動という気持がある。地域FMや、マイクロFMが自己主張のツールから脱皮して行く契機も、被災時という社会環境が与えてくれる。これらの放送局は、周波数帯が隣接しない限り、複数あってもかまわない。ただ有効性を考える上で、地域運営会議との連携FMを被災下、まず立ち上げて欲しいのだ。
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「わーくNo.049」を持って、社協と特別支援校まわりをした。今回の内容が、前号からの続きのような内容を持っているため、担当者の方と出会えたところ以外は、何でうちにこんなものを持ってくるのかという顔。見た目は障がい者と関係ないように見えるからだ。
帰りに高齢者訪問看護関係の事務所で、イーハトーブ湘南の障がい者の避難生活の上映会があって、そこで高齢者施設関係者の方がいらしていたこと、災害についての地域経験懇談をやらないかという招待話をしてきた。忙しくてねえという応答。本音だろうが、すこにぜひ隙間を空けて欲しいのだ。
--- 傾聴の割り込みあり---
宮城のある成人障害者のグループホーム施設長と電話で話すことができた。懇話会の概要を送ることになった。来年1月下旬の懇談に間に合うか?
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母の友人のご母堂が脳梗塞で亡くなられた。あちこちで親しい方がいなくなってしまう悲しさ。104歳なら天寿全うですと応答があって、ため息をついていた。一日の激しい温度差が高齢者の命を奪う。臓器不全を起こしていた。母は明日が通夜ということで、大宮まで出かける準備をしていた。
喪服を取り出したら、喪服の間から、病院の売店の領収書が出てきた。昨年末の父の最期のときの買い物の領収書だった。そんなこともあって、なにやら父の1周忌、意識的片手間から脱しそうだ。
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(校正1回目済み)