急に寒くなった。父をデイサービスに送り出すとき、父が寒いと言い出した。母はすでに大学病院の検査のために出かけている。こういうとき男はだめである。自分以外の衣類の細かい在り処など、全く分からない。ホームは室温調整しているから大丈夫と、迎えに来てくれた職員の方が時間を気にしながら、私の許可を得て父の居室へ。
造作なく、ソファー上の衣類の山から、いつも着ている上着を取り出した。プロだと、改めて感心した。父は眼鏡も紛失していた。これは上掛け布団のカバーの中から発見することが出来たが、とにかくお互い時間が迫っていた。階段を焦りを悟られぬように誘導して父を下ろし、玄関先の車椅子に乗せたところで、私は自分の着替えに切り替えた。ホームの送迎車が出て行くのを背後に聞きながら、玄関先の鍵をかけて家を飛び出した。母の待つ大学病院へ後を追うのである。
バスは間に合わなかった。20分に1本なので電車に間に合わない。この地域はタクシーも、すぐには調達できない。走ることの出来なくなった右足を確かめるように、早足で駅へと歩き始めた。2分後、遅れていたバスが私の横を追い抜いていった。物事の歯車は燃え広がる火事のように連鎖してしまう。その隙間の選択は私の意志によるものはその結果をすべて受け入れなくてはならない。偶然に翻弄されれば奈落に落ちる。進むか止まるか、その二者択一に苛まれながら駅に着く。わずか数分の差だが早くついたのだが、電車は目の前を通り過ぎて行った。
こうして、携帯電話の乗り換えサイトを利用しながら、いつもとは異なる奇手の道を選びつつも、病院には到着が1時間近く遅れてしまった。次に予想されるのは、検査中ゆえに母と出会うことが出来ないこと。病院なので携帯電話を母がマナーモードにしているから、バッグの底の音に気づかないことは恒例の出来事だったからだ。
担当科受付を通して、検査受付に問い合わせをかけてもらい、検査室を特定して迷うことなく検査室の前に到着。待つこと15分。母が険しい顔をして別の通路から走り寄ってきた。トイレと待合室の間を必死に往復しているのだという。手荷物をしっかり持っている。父ならここで手荷物を置き忘れて騒ぎになっていただろう。ここも男女差と妙な監視をしている私の応答が気に入らない母が、私の遅刻を問いつめた。
腸の検査は、今は造影剤を吸引してしまうので、影響は軽くなったというものの、やはり体力を消耗する。母を出切るだけトイレ近くのソファーに座らせ、衣類を楽にさせる。休ませる時間に、母は数回トイレに立つ。間隔が空いてきたので、話すゆとりが出来たのか、母は戸締りを私に詰問する。大丈夫と答えるが、朝刊を抜いていないだろうと怒る。どのみち遅い昼食も母は食うまいと、売店に行くからと母を待たせて、朝食抜きの分を売店隣の食堂で、一番出来の早いカレーライスを注文して、糖尿病食限界の範囲でかき込み、母の待つソファーに戻ると、売店で菓子を選んでいるのかと期待していたのに、何も勝て来なかったと怒る。怒るゆとりがあるなら大丈夫と受け流していると、罰に昼食をおごれと言い出した。
まずかった。大学病院の周辺は辺鄙な場所なので、駅前に出ても母の満足のいく軽い気の利いた食事ができるところなどありはしない。16時半には父が帰ってきてしまう。全く時間のゆとりが無いからだった。待ち時間、携帯を使ってレポート原文を打ち込んでしまおうというようなひとりの時間は全く無かった、経験不足。
母を茅ヶ崎駅前の定食チェーンに連れ込むことで納得させることとし、予防線の救急対応に父の宗教団体の信者さんに早めの待機を依頼しようと電話をかけた。出ない。焦りながら食事を済ませ、帰宅。徹夜だったので、20分の間に横になって休んでいると、母が朝刊を持って「私に移動をやらせるつもりか」と怒りをぶつけてくる。体調の悪い者の介護はだから忍耐と的確な観察判断がいる。しかし実はもうひとつ、陰の力が要る。危機下の体力配分である。ここがチーム対応ではないから、むずかしい。
日常の対応は定型化を使う。今回のような場合は、臨機応変の対応がいる。この辺は障がい者介護と同じだ。
仮眠休憩を諦めて、父を迎え二回に誘導。受け取った洗濯物の仕分けをして、不足する夕食の食材の買出しに走り出て、他館取り寄せ図書の返却期限日が今日と思い出す。返却ポストは他館の図書を入れると後日注意されるからと、頭の中はレポートと図書返却を挿入したとき巡回が遅れてしまうことを考えていた。
玄関をくぐると厨房のやかんが蒸気を吹き上げていて、母はベッドに臥せっていた。父はポータブルトイレの受けバケツをいじって、ひっくり返して汚水が防水シートの際まで広がっていた。異様と思われようとかまわない。私は着衣をパンツ一枚になり清掃を始めた。汚せば洗濯が待っている。驚いた父が床に座り込んでいるのをベッドに移動し、冷たいのを我慢させ、濡れティッシュで清拭。すべてを済ませて、夕食の食材を準備し母へとつなぎ、シャワーを浴びて家を出た。
ずっしりと疲れが身を覆うが、相模線は茅ヶ崎が始発、行き先は橋本である。1時間程度は仮眠できる。こうして無事巡回を終えたが、この隙間対応の力配分が限界に達していた。サポチガの全体会をすっかり忘れていたのだった。今日は、父のホームの日程が付かない日を他の事業所を利用して埋めるために、初めてのホームの視察と契約を済ませて、巡回に出る。広島のLD学会は出席できるはずも無い。底無し沼と考えつつ、ふと巡回のことに気が付いた。長年の付き合いがあるから、担当者が私の予定変更だらけの仕事を飲んでくれているのだと。
夜が明け、まもなく父の朝食である。江戸時代以前は2食、狩猟採取の時代は食事だらけともいえる生活。規則正しい食事を3食とは近代のイデオロギーなのであるとぶつぶつ言いながら、天井の地響きと軋みを聞いている。馬鹿野郎、これは失言である。
夜間傾聴:##君(仮名)
橋本君(仮名)
多摩センター君(仮名)
大森君(仮名・応援団>いらんぞ)
(校正1回目済み)
造作なく、ソファー上の衣類の山から、いつも着ている上着を取り出した。プロだと、改めて感心した。父は眼鏡も紛失していた。これは上掛け布団のカバーの中から発見することが出来たが、とにかくお互い時間が迫っていた。階段を焦りを悟られぬように誘導して父を下ろし、玄関先の車椅子に乗せたところで、私は自分の着替えに切り替えた。ホームの送迎車が出て行くのを背後に聞きながら、玄関先の鍵をかけて家を飛び出した。母の待つ大学病院へ後を追うのである。
バスは間に合わなかった。20分に1本なので電車に間に合わない。この地域はタクシーも、すぐには調達できない。走ることの出来なくなった右足を確かめるように、早足で駅へと歩き始めた。2分後、遅れていたバスが私の横を追い抜いていった。物事の歯車は燃え広がる火事のように連鎖してしまう。その隙間の選択は私の意志によるものはその結果をすべて受け入れなくてはならない。偶然に翻弄されれば奈落に落ちる。進むか止まるか、その二者択一に苛まれながら駅に着く。わずか数分の差だが早くついたのだが、電車は目の前を通り過ぎて行った。
こうして、携帯電話の乗り換えサイトを利用しながら、いつもとは異なる奇手の道を選びつつも、病院には到着が1時間近く遅れてしまった。次に予想されるのは、検査中ゆえに母と出会うことが出来ないこと。病院なので携帯電話を母がマナーモードにしているから、バッグの底の音に気づかないことは恒例の出来事だったからだ。
担当科受付を通して、検査受付に問い合わせをかけてもらい、検査室を特定して迷うことなく検査室の前に到着。待つこと15分。母が険しい顔をして別の通路から走り寄ってきた。トイレと待合室の間を必死に往復しているのだという。手荷物をしっかり持っている。父ならここで手荷物を置き忘れて騒ぎになっていただろう。ここも男女差と妙な監視をしている私の応答が気に入らない母が、私の遅刻を問いつめた。
腸の検査は、今は造影剤を吸引してしまうので、影響は軽くなったというものの、やはり体力を消耗する。母を出切るだけトイレ近くのソファーに座らせ、衣類を楽にさせる。休ませる時間に、母は数回トイレに立つ。間隔が空いてきたので、話すゆとりが出来たのか、母は戸締りを私に詰問する。大丈夫と答えるが、朝刊を抜いていないだろうと怒る。どのみち遅い昼食も母は食うまいと、売店に行くからと母を待たせて、朝食抜きの分を売店隣の食堂で、一番出来の早いカレーライスを注文して、糖尿病食限界の範囲でかき込み、母の待つソファーに戻ると、売店で菓子を選んでいるのかと期待していたのに、何も勝て来なかったと怒る。怒るゆとりがあるなら大丈夫と受け流していると、罰に昼食をおごれと言い出した。
まずかった。大学病院の周辺は辺鄙な場所なので、駅前に出ても母の満足のいく軽い気の利いた食事ができるところなどありはしない。16時半には父が帰ってきてしまう。全く時間のゆとりが無いからだった。待ち時間、携帯を使ってレポート原文を打ち込んでしまおうというようなひとりの時間は全く無かった、経験不足。
母を茅ヶ崎駅前の定食チェーンに連れ込むことで納得させることとし、予防線の救急対応に父の宗教団体の信者さんに早めの待機を依頼しようと電話をかけた。出ない。焦りながら食事を済ませ、帰宅。徹夜だったので、20分の間に横になって休んでいると、母が朝刊を持って「私に移動をやらせるつもりか」と怒りをぶつけてくる。体調の悪い者の介護はだから忍耐と的確な観察判断がいる。しかし実はもうひとつ、陰の力が要る。危機下の体力配分である。ここがチーム対応ではないから、むずかしい。
日常の対応は定型化を使う。今回のような場合は、臨機応変の対応がいる。この辺は障がい者介護と同じだ。
仮眠休憩を諦めて、父を迎え二回に誘導。受け取った洗濯物の仕分けをして、不足する夕食の食材の買出しに走り出て、他館取り寄せ図書の返却期限日が今日と思い出す。返却ポストは他館の図書を入れると後日注意されるからと、頭の中はレポートと図書返却を挿入したとき巡回が遅れてしまうことを考えていた。
玄関をくぐると厨房のやかんが蒸気を吹き上げていて、母はベッドに臥せっていた。父はポータブルトイレの受けバケツをいじって、ひっくり返して汚水が防水シートの際まで広がっていた。異様と思われようとかまわない。私は着衣をパンツ一枚になり清掃を始めた。汚せば洗濯が待っている。驚いた父が床に座り込んでいるのをベッドに移動し、冷たいのを我慢させ、濡れティッシュで清拭。すべてを済ませて、夕食の食材を準備し母へとつなぎ、シャワーを浴びて家を出た。
ずっしりと疲れが身を覆うが、相模線は茅ヶ崎が始発、行き先は橋本である。1時間程度は仮眠できる。こうして無事巡回を終えたが、この隙間対応の力配分が限界に達していた。サポチガの全体会をすっかり忘れていたのだった。今日は、父のホームの日程が付かない日を他の事業所を利用して埋めるために、初めてのホームの視察と契約を済ませて、巡回に出る。広島のLD学会は出席できるはずも無い。底無し沼と考えつつ、ふと巡回のことに気が付いた。長年の付き合いがあるから、担当者が私の予定変更だらけの仕事を飲んでくれているのだと。
夜が明け、まもなく父の朝食である。江戸時代以前は2食、狩猟採取の時代は食事だらけともいえる生活。規則正しい食事を3食とは近代のイデオロギーなのであるとぶつぶつ言いながら、天井の地響きと軋みを聞いている。馬鹿野郎、これは失言である。
夜間傾聴:##君(仮名)
橋本君(仮名)
多摩センター君(仮名)
大森君(仮名・応援団>いらんぞ)
(校正1回目済み)