一昨日の深夜、翌日はショートステイを終えて家に戻る予定の父が、排尿を手伝ってくれたヘルパーさんの介助を振り払って歩き出し、派手に転倒した。またもや同じ場所にダメージ。翌朝、診察を受けて車椅子に乗せられ、湿布を貼った足を抱えて帰宅した。
父は連続して物事を行う予定を提示されると、順番を飛び越して、先のことをはじめてから前の操作に戻ろうとする傾向がある。一時も早くてきぱきと物事を進めようとするあまり、先のことを済ませておこうとするのではないかと思われる。今回も類似のことが起きていたようだ。
幸い傷めたのは、まだ動く方の足ではなく、麻痺している側の足をひねっていたので、帰宅時、階段を上げて寝室まで運ぶのに、父を背負う必要は無かったのが幸いだった。背負うと私がつぶれてしまう。貧血を起こしたように視野が落ちて、猛烈な息苦しさがやってくる。だから、今回はサポーターさんとケアマネさんが応援に入って、3人で一気に2階のベッドまで押し込んだ。
一日置いて、26日は母の検査の日である。この段階で、父の方と二重の介護になるのは、何としても避けたいのに、必ず重ねて厄介な事態が起きてくる。はじめ、母のことを意識して、無謀な行動は当人なりに頑張ろうとする結果と考えていたが、どうも事態は、もっと原始的なようである。周囲が慌しくなったり、周囲に普段と違う緊張が走っていると、それを肌で感じて、自分もてきぱきしようとするという具合だ。それが証拠に父は予定も、母の行き先もわかっていなかった。
ベッドに誘導したまでは、まあよかった。やがてひねった足首が腫れて来たのだ。
前回、転倒時に診てもらったホーム指定の整形外科に電話をかけた。今回も同じクリニックで診てもらっていたからだ。ところが休憩時間中で電話は、なりっぱなしでつながらなかった。父は湿布をむずがゆって剥ぎ取ってしまう。幸いインドメタシン軟膏が余っていたので、湿布から軟膏を塗る形に切り替えて場をしのいだ。
そこに突然宅配便があって、私がベッドサイドを離れて戻ってみると、部屋の真ん中で、父がころんで、のた打ち回っていた。母は自分の整形外科のリハで主治医のところに行っている。携帯電話も通じない。
立つから倒れる、ベッドに乗せるから降りる。ベッドに戻すことは早々に放棄し、上半身に毛布をかけ、上向きのまま両膝を軽く折らせ、痛む側のかかとに柔らかなクッションを挟んだ。買い置きのバファリンを胃壁保護剤とともに飲ませ、様子を見た。寝返りをうとうとするので、この場をはなれられなくなり、ただ、母の帰りを待った。
時間が経って、やっとクリニックと連絡が取れたが、レントゲン写真では折れていないので、湿布を続けるようにと指示があり、痛み止めの薬も効いてきたらしく母の帰宅音と同時に、父は起き上がろうとして、そこで腰が抜けた。場を離れられないという事態は、これからも起きる。一切の巡回は中止。
なんとも間が悪い。巡回延期の連絡を廻し終えたとことに、父の宗教団体の女性の信者さんのひとりが、手伝いをすると突然飛び込んできた。留守番を頼んで巡回に出られるのなら、巡回を中止しなかった。ともあれこの方に母の支援を頼んで、食材の買出しに走り、帰宅した。すると、父がベッドに寝ていて、信者さんの姿がなかった。母によると、こんなところに寝ているのではしょうがないから、ベッドで寝ろと父に言ったら、自分で立ったから、歩行器持たせて移らせたという。父は布団をかぶり、声を押し殺して寝ていた。女の力である。信者さんに格好をつけた…が…足が痛い…とまあ、父はこんなところなのである。
父がもし途中で転倒したら、母や女性信者さんのふたりでは起こすことが出来ない。だから、見守りだけを頼んだのだが、また確認が確認で無くなっていた。湿布があったから貼っておいたと母が言う。呆れた。すべてがずれてしまうのだった。
食事を作り母と私の食事を先に終わらせて、父の夕食を持って部屋に入ると異臭がする。立って排便しようとして起きられず、紙パンツの中に便を出てしまった。その確認をした汚れた手で湿布を剥がして部屋の中央に放り、汚した紙パンツを脱いでベッド下に落として、汚れたまま下半身裸で布団をかぶっていたのだった。結果糞が部屋に飛び散ったのだった。
厨房にいる母に親子電話で事態を伝え、「私の着替えを階段下に置き、2階には上がってくるな」と指示をして、急いで上着を脱ぎ、ぼろ布を取り出した。母が気を利かせて熱いおしぼりを何本も作り、部屋の入口においていってくれた。これが後になってまた面倒を引き起こすのだが、父の清拭とシーツ・かけ布団カバー交換、紙パンツ交換と父の着替え、ポータブルトイレへの移動介助。汚物の処理。ポータブルトイレの汚物廃棄と容器洗浄。汚れた部屋とポータブルトイレの逆性石鹸液を使った消毒消臭。夕食介助。
すべてが終わるのに2時間半が過ぎていた。シャワーを浴びて、衣類交換。父の分と私たちの分は別々に洗濯する。シーツが有るので洗濯が3回。外のペール缶の汚物の袋を地域のゴミ捨て場に持ち出して、門を戸締り。一般ゴミは朝6時に出す。ゴミ袋を玄関先にまとめて出しておいて、夕食の食器洗い。すべてやっつけて、椅子に疲れて、腰をどっかりとかけると、いつの間にか母が居なくなった。
母は、おしぼりを何回も階段上に持っていったので、「足がつる」と自室のベッドで布団をかぶってしまったのだった。介護には火事のような部分がある。もとに火をつけてしまうと事態が燃え広がってしまうのだ。この辺の先読みが今の母には出来ない。私とて、拡がってしまった家事を毎回やったら、この始末だけで毎日が終わってつぶれてしまう。
無事なショートステイは、父の気性を読み違えたヘルパーさんの先行指示によって、父の転倒で反故になり、看護は母との相互確認の無視によって汚物散乱の悪夢へと燃え広がった。さらにそれは、昨夜の父の連続排尿騒ぎへとつながった。「紙パンツ内に排泄する」というひとつのことが拒否されるために、夜間尿まみれになって、ベッド脇に座り込むことが続くし、最後には父が家具に八つあたりの状態になる。坐骨神経痛を起こした母を通院のタクシーにのせ、売薬の安定剤を投与した父は、夜明かしの戦いの末、眠りこくっていた。
実質48時間試合をこなしたようなものだった。曾祖母・祖父母の介護経験がなかったら、切り抜けることができなかっただろう。うっかり当てにしてしまった母も高齢の病人なのである。「父の冒険暴走がなければ」と繰言ではあるが思う。認知症の進行だけではなく、男性独特の周囲を見る力の欠如と強情。これが家族を窮地に追いやってしまう。本人が丈夫であればあるほど、介護は長期戦にもつれ込んでしまう。
ホーム入所で共倒れを防ぐ知恵が絶対に必要。それを使えるようにする制度充実が必要不可欠なのだ。日誌を1回書き込みがおくれたのは、父の消火活動(?)が故だった。
先ほど、主治医から痛み止めと、ショートステイ用の下剤を処方してもらい、ホーム指定の我が家から離れた場所の整形外科から、治療を主治医の内科に移した。父は食事を平らげると、疲れが出たか早々と眠っていた。母も明日の検査の準備を終えて、父の宗教団体のさきほどの信者さんが同行してくれるとかで、母は寝床に子機電話を引き込んで、何やら話しこんでいた。私は夕食の使った食器を洗い終わって始めて仮眠をとることができた。20時半からだから3時間ほど眠った。大声を出した喉が、がりがりである。
<気になる記事>
--- 20日文部科学省が児童生徒の問題行動の調査を発表。各県地方版が自分の県を取り上げている例が多い。いじめ発生件数は増減あるものの、不登校の生徒数は増加。
●「街角掲示で安心対応 町田の市民団体」
●「ドライブの喜び 聴覚障害者に光」
●「支局長からの手紙:アスペルガー/京都」
●「「障害者積極雇用」を支援」
●「記者の目:過労死・過労自殺、企業名の公表を=東海林智」
●「快走自転車負の側面も」
●「「飛び込み出産」多発に苦悩」
●「相談最多の354件 職場のいじめ・嫌がらせ」
●「「教育再生懇」首相が廃止決定、教委改革一段落後に」
●「不登校最多1884人/長崎」
p.s. 午前3時50分、突然父の部屋の扉が開いて、父が階段を降りようとした。慌てて制止。「今日は、ホームに行く日だろう」と父は力んでいた。上着を裏返しに羽織っていた。「迎えは9時。時計を見てご覧(見ても読み取れないので)今4時前、夜中だよ」と確認させる。上着を脱がせてベッドに戻す。ベッドの周りは、ちぎれた湿布と、ころがったトイレットペーパー、濡れた尿取りパッド。
こういうときは、すぐにもう一度降りてくる。地獄である。>6時半まで3回の戦い有り
夜間傾聴:##君(仮名)
橋本2君(仮名)>中断ごめん!
(校正3回目済み)
父は連続して物事を行う予定を提示されると、順番を飛び越して、先のことをはじめてから前の操作に戻ろうとする傾向がある。一時も早くてきぱきと物事を進めようとするあまり、先のことを済ませておこうとするのではないかと思われる。今回も類似のことが起きていたようだ。
幸い傷めたのは、まだ動く方の足ではなく、麻痺している側の足をひねっていたので、帰宅時、階段を上げて寝室まで運ぶのに、父を背負う必要は無かったのが幸いだった。背負うと私がつぶれてしまう。貧血を起こしたように視野が落ちて、猛烈な息苦しさがやってくる。だから、今回はサポーターさんとケアマネさんが応援に入って、3人で一気に2階のベッドまで押し込んだ。
一日置いて、26日は母の検査の日である。この段階で、父の方と二重の介護になるのは、何としても避けたいのに、必ず重ねて厄介な事態が起きてくる。はじめ、母のことを意識して、無謀な行動は当人なりに頑張ろうとする結果と考えていたが、どうも事態は、もっと原始的なようである。周囲が慌しくなったり、周囲に普段と違う緊張が走っていると、それを肌で感じて、自分もてきぱきしようとするという具合だ。それが証拠に父は予定も、母の行き先もわかっていなかった。
ベッドに誘導したまでは、まあよかった。やがてひねった足首が腫れて来たのだ。
前回、転倒時に診てもらったホーム指定の整形外科に電話をかけた。今回も同じクリニックで診てもらっていたからだ。ところが休憩時間中で電話は、なりっぱなしでつながらなかった。父は湿布をむずがゆって剥ぎ取ってしまう。幸いインドメタシン軟膏が余っていたので、湿布から軟膏を塗る形に切り替えて場をしのいだ。
そこに突然宅配便があって、私がベッドサイドを離れて戻ってみると、部屋の真ん中で、父がころんで、のた打ち回っていた。母は自分の整形外科のリハで主治医のところに行っている。携帯電話も通じない。
立つから倒れる、ベッドに乗せるから降りる。ベッドに戻すことは早々に放棄し、上半身に毛布をかけ、上向きのまま両膝を軽く折らせ、痛む側のかかとに柔らかなクッションを挟んだ。買い置きのバファリンを胃壁保護剤とともに飲ませ、様子を見た。寝返りをうとうとするので、この場をはなれられなくなり、ただ、母の帰りを待った。
時間が経って、やっとクリニックと連絡が取れたが、レントゲン写真では折れていないので、湿布を続けるようにと指示があり、痛み止めの薬も効いてきたらしく母の帰宅音と同時に、父は起き上がろうとして、そこで腰が抜けた。場を離れられないという事態は、これからも起きる。一切の巡回は中止。
なんとも間が悪い。巡回延期の連絡を廻し終えたとことに、父の宗教団体の女性の信者さんのひとりが、手伝いをすると突然飛び込んできた。留守番を頼んで巡回に出られるのなら、巡回を中止しなかった。ともあれこの方に母の支援を頼んで、食材の買出しに走り、帰宅した。すると、父がベッドに寝ていて、信者さんの姿がなかった。母によると、こんなところに寝ているのではしょうがないから、ベッドで寝ろと父に言ったら、自分で立ったから、歩行器持たせて移らせたという。父は布団をかぶり、声を押し殺して寝ていた。女の力である。信者さんに格好をつけた…が…足が痛い…とまあ、父はこんなところなのである。
父がもし途中で転倒したら、母や女性信者さんのふたりでは起こすことが出来ない。だから、見守りだけを頼んだのだが、また確認が確認で無くなっていた。湿布があったから貼っておいたと母が言う。呆れた。すべてがずれてしまうのだった。
食事を作り母と私の食事を先に終わらせて、父の夕食を持って部屋に入ると異臭がする。立って排便しようとして起きられず、紙パンツの中に便を出てしまった。その確認をした汚れた手で湿布を剥がして部屋の中央に放り、汚した紙パンツを脱いでベッド下に落として、汚れたまま下半身裸で布団をかぶっていたのだった。結果糞が部屋に飛び散ったのだった。
厨房にいる母に親子電話で事態を伝え、「私の着替えを階段下に置き、2階には上がってくるな」と指示をして、急いで上着を脱ぎ、ぼろ布を取り出した。母が気を利かせて熱いおしぼりを何本も作り、部屋の入口においていってくれた。これが後になってまた面倒を引き起こすのだが、父の清拭とシーツ・かけ布団カバー交換、紙パンツ交換と父の着替え、ポータブルトイレへの移動介助。汚物の処理。ポータブルトイレの汚物廃棄と容器洗浄。汚れた部屋とポータブルトイレの逆性石鹸液を使った消毒消臭。夕食介助。
すべてが終わるのに2時間半が過ぎていた。シャワーを浴びて、衣類交換。父の分と私たちの分は別々に洗濯する。シーツが有るので洗濯が3回。外のペール缶の汚物の袋を地域のゴミ捨て場に持ち出して、門を戸締り。一般ゴミは朝6時に出す。ゴミ袋を玄関先にまとめて出しておいて、夕食の食器洗い。すべてやっつけて、椅子に疲れて、腰をどっかりとかけると、いつの間にか母が居なくなった。
母は、おしぼりを何回も階段上に持っていったので、「足がつる」と自室のベッドで布団をかぶってしまったのだった。介護には火事のような部分がある。もとに火をつけてしまうと事態が燃え広がってしまうのだ。この辺の先読みが今の母には出来ない。私とて、拡がってしまった家事を毎回やったら、この始末だけで毎日が終わってつぶれてしまう。
無事なショートステイは、父の気性を読み違えたヘルパーさんの先行指示によって、父の転倒で反故になり、看護は母との相互確認の無視によって汚物散乱の悪夢へと燃え広がった。さらにそれは、昨夜の父の連続排尿騒ぎへとつながった。「紙パンツ内に排泄する」というひとつのことが拒否されるために、夜間尿まみれになって、ベッド脇に座り込むことが続くし、最後には父が家具に八つあたりの状態になる。坐骨神経痛を起こした母を通院のタクシーにのせ、売薬の安定剤を投与した父は、夜明かしの戦いの末、眠りこくっていた。
実質48時間試合をこなしたようなものだった。曾祖母・祖父母の介護経験がなかったら、切り抜けることができなかっただろう。うっかり当てにしてしまった母も高齢の病人なのである。「父の冒険暴走がなければ」と繰言ではあるが思う。認知症の進行だけではなく、男性独特の周囲を見る力の欠如と強情。これが家族を窮地に追いやってしまう。本人が丈夫であればあるほど、介護は長期戦にもつれ込んでしまう。
ホーム入所で共倒れを防ぐ知恵が絶対に必要。それを使えるようにする制度充実が必要不可欠なのだ。日誌を1回書き込みがおくれたのは、父の消火活動(?)が故だった。
先ほど、主治医から痛み止めと、ショートステイ用の下剤を処方してもらい、ホーム指定の我が家から離れた場所の整形外科から、治療を主治医の内科に移した。父は食事を平らげると、疲れが出たか早々と眠っていた。母も明日の検査の準備を終えて、父の宗教団体のさきほどの信者さんが同行してくれるとかで、母は寝床に子機電話を引き込んで、何やら話しこんでいた。私は夕食の使った食器を洗い終わって始めて仮眠をとることができた。20時半からだから3時間ほど眠った。大声を出した喉が、がりがりである。
<気になる記事>
--- 20日文部科学省が児童生徒の問題行動の調査を発表。各県地方版が自分の県を取り上げている例が多い。いじめ発生件数は増減あるものの、不登校の生徒数は増加。
●「街角掲示で安心対応 町田の市民団体」
●「ドライブの喜び 聴覚障害者に光」
●「支局長からの手紙:アスペルガー/京都」
●「「障害者積極雇用」を支援」
●「記者の目:過労死・過労自殺、企業名の公表を=東海林智」
●「快走自転車負の側面も」
●「「飛び込み出産」多発に苦悩」
●「相談最多の354件 職場のいじめ・嫌がらせ」
●「「教育再生懇」首相が廃止決定、教委改革一段落後に」
●「不登校最多1884人/長崎」
p.s. 午前3時50分、突然父の部屋の扉が開いて、父が階段を降りようとした。慌てて制止。「今日は、ホームに行く日だろう」と父は力んでいた。上着を裏返しに羽織っていた。「迎えは9時。時計を見てご覧(見ても読み取れないので)今4時前、夜中だよ」と確認させる。上着を脱がせてベッドに戻す。ベッドの周りは、ちぎれた湿布と、ころがったトイレットペーパー、濡れた尿取りパッド。
こういうときは、すぐにもう一度降りてくる。地獄である。>6時半まで3回の戦い有り
夜間傾聴:##君(仮名)
橋本2君(仮名)>中断ごめん!
(校正3回目済み)