父をデイサービスに送り出したあと、7日の通院のサポートをどうするか、ケアマネさんと電話で話しこんだ。
一度父が受診しないと訪問介護は指示できないと、父の主治医が言い出していたからだった。乗り降りが出来ない。前座席と後部の座席の狭い隙間に、尻餅をつくように落ち込み、全く自力で立ち上がることが出来なくなってしまう。試みに、座席に毛布を敷いて、毛布を引き出すことで父を車外に誘導する方法を試みることになった。これも父が一度車外で立ち上がらなければ、車椅子に移動は不安定になってしまう。いっそ歩行器で歩かせようかということになった。急な呼び出しなので、ヘルパーさんが設定できない。介護度3では、点数のゆとりが無い。
行きを父の宗教団体の信者さんに頼むことにした。「階段>玄関>タクシー」の移動である。「タクシー>医院外来席」ここが手伝いがいない。医院看護師が手伝ってくれない。診察室でさえ、倒れそうになった父から身を引いてしまった。巨体だから起こせないと平然と言ってのけるのに医師が注意しない。医師が知り合いでなかったら、主治医にはしていない。靴の履き替えがあるので、何回も転がっている。手助けが出た例がない。ケアマネさんはそれを信じられないという。しかし、医院の協力を得ることで、ここは決意の場となった。また帰りが問題だった。外来の込み具合で、終了時間が決まらないので、要請をかける事が出来ないのだ。ここも信者さんの手を借りることになった。「医院>タクシー>玄関>階段」の逆コースだ。
夕食は母に頼み、この日は遅い時間が可能な青年の巡回に振り替えた。茅ヶ崎からは、いくら早くても1時間以上はかかってしまう。ゆとりが全く無いのだ。この受診が今回きりで訪問看護師が仲介してくれることになる。今のままでは、医者に連れて行くことすら、この始末。介護は家族で抱えることは、家族の身を削ってしまう。
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父を送り出した間を使って、ベッドメイクをし、母が洗濯している間に、私は自転車の見通しを立てるために、国道一号線沿い、町屋のアサヒの大店舗を覘きに行っていた。この店がおそらくは、再生自転車販売の際、大きなハンデになると予想したからだった。量販店である。私の企画の大きさを測る調査でもあった。路上生活者を何人仕事に呼び込めるだろうか。結果は厳しいものがあった。単に「安価販売」だけでは、消費者は買わない。長続きの効果がなければ、行政を口説くことが出来ない。
放置傘と、乗継ぎ自転車のニーズを打診するため、近くの高校にまわった。明確な資料が得られないのは、構想自身を先方と共有できないからだった。ただ傘については、使い捨て傘が処分するほどに余っていることが分かったが、売れる状態ではないという。ここはペンディングして、デイサービスの帰宅時間が迫る家に滑り込んだ。
とにかく時間が欲しい。母の入院時、父を何日かショートステイでホームに送る。入院期間は、母の食事がその大学病院では、全く同じメニューを一日食べさせられると有名なところなので、一日おきでも差し入れがいる。ここは誰もサポートできない。親戚がすべて高齢者の私たちには、応援のつてもない。幸い病院が私の勤務地の近くであるので、巡回の前に回るとして、調査はメールに頼らざるを得ない。こんなことを考えていたら、大森くん(仮名)が1回補助してくれることになった。大森からでは大変だが、東京の資料調査の日、これで追われることがなくなった。北の丸公園と赤坂を回ってくる。感謝。
今、いわゆる「何でも屋」のシステムとコストを調べている。私の知り合いが傷害保険の代理店をしているので、配達時の交通事故、先方の労災のフォローがどうなるか調べてもらうことになっている。いわゆる障がい者の勤務の場合、彼のハンデをどうフォローしているかが関係してくるからだった。二人体制?赤字が出ないかと。
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今日は、午後から会議。首をつなぐ会議にならないように、予防線。(笑)笑い事ではないが、ここまでくると居直る以外ない。
<図書館で借りた本から>
●「乗り物を修理する本 (THE修理 なんでも自分で直す本)」
●「ベーシック・インカム~基本所得のある社会へ~」
●「杉並区立『和田中』の学校改革」
夜間傾聴:橋本君(仮名)
相模大野2君(仮名・こちらから)
##君(本人)
(校正2回目済み)
一度父が受診しないと訪問介護は指示できないと、父の主治医が言い出していたからだった。乗り降りが出来ない。前座席と後部の座席の狭い隙間に、尻餅をつくように落ち込み、全く自力で立ち上がることが出来なくなってしまう。試みに、座席に毛布を敷いて、毛布を引き出すことで父を車外に誘導する方法を試みることになった。これも父が一度車外で立ち上がらなければ、車椅子に移動は不安定になってしまう。いっそ歩行器で歩かせようかということになった。急な呼び出しなので、ヘルパーさんが設定できない。介護度3では、点数のゆとりが無い。
行きを父の宗教団体の信者さんに頼むことにした。「階段>玄関>タクシー」の移動である。「タクシー>医院外来席」ここが手伝いがいない。医院看護師が手伝ってくれない。診察室でさえ、倒れそうになった父から身を引いてしまった。巨体だから起こせないと平然と言ってのけるのに医師が注意しない。医師が知り合いでなかったら、主治医にはしていない。靴の履き替えがあるので、何回も転がっている。手助けが出た例がない。ケアマネさんはそれを信じられないという。しかし、医院の協力を得ることで、ここは決意の場となった。また帰りが問題だった。外来の込み具合で、終了時間が決まらないので、要請をかける事が出来ないのだ。ここも信者さんの手を借りることになった。「医院>タクシー>玄関>階段」の逆コースだ。
夕食は母に頼み、この日は遅い時間が可能な青年の巡回に振り替えた。茅ヶ崎からは、いくら早くても1時間以上はかかってしまう。ゆとりが全く無いのだ。この受診が今回きりで訪問看護師が仲介してくれることになる。今のままでは、医者に連れて行くことすら、この始末。介護は家族で抱えることは、家族の身を削ってしまう。
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父を送り出した間を使って、ベッドメイクをし、母が洗濯している間に、私は自転車の見通しを立てるために、国道一号線沿い、町屋のアサヒの大店舗を覘きに行っていた。この店がおそらくは、再生自転車販売の際、大きなハンデになると予想したからだった。量販店である。私の企画の大きさを測る調査でもあった。路上生活者を何人仕事に呼び込めるだろうか。結果は厳しいものがあった。単に「安価販売」だけでは、消費者は買わない。長続きの効果がなければ、行政を口説くことが出来ない。
放置傘と、乗継ぎ自転車のニーズを打診するため、近くの高校にまわった。明確な資料が得られないのは、構想自身を先方と共有できないからだった。ただ傘については、使い捨て傘が処分するほどに余っていることが分かったが、売れる状態ではないという。ここはペンディングして、デイサービスの帰宅時間が迫る家に滑り込んだ。
とにかく時間が欲しい。母の入院時、父を何日かショートステイでホームに送る。入院期間は、母の食事がその大学病院では、全く同じメニューを一日食べさせられると有名なところなので、一日おきでも差し入れがいる。ここは誰もサポートできない。親戚がすべて高齢者の私たちには、応援のつてもない。幸い病院が私の勤務地の近くであるので、巡回の前に回るとして、調査はメールに頼らざるを得ない。こんなことを考えていたら、大森くん(仮名)が1回補助してくれることになった。大森からでは大変だが、東京の資料調査の日、これで追われることがなくなった。北の丸公園と赤坂を回ってくる。感謝。
今、いわゆる「何でも屋」のシステムとコストを調べている。私の知り合いが傷害保険の代理店をしているので、配達時の交通事故、先方の労災のフォローがどうなるか調べてもらうことになっている。いわゆる障がい者の勤務の場合、彼のハンデをどうフォローしているかが関係してくるからだった。二人体制?赤字が出ないかと。
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今日は、午後から会議。首をつなぐ会議にならないように、予防線。(笑)笑い事ではないが、ここまでくると居直る以外ない。
<図書館で借りた本から>
●「乗り物を修理する本 (THE修理 なんでも自分で直す本)」
●「ベーシック・インカム~基本所得のある社会へ~」
●「杉並区立『和田中』の学校改革」
夜間傾聴:橋本君(仮名)
相模大野2君(仮名・こちらから)
##君(本人)
(校正2回目済み)