湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

現場の常識をずらすこと、本人の自主活動を位置づける穴を穿つこと(通じるだろうか?)

2008-11-30 09:00:13 | 引きこもり
昨日から筑波に行く予定でいた。1日に母の最終検査と、父のショートステイを控えて家事は山積していたが、自分の仕事がなし崩しになっていくことがたまらなかった。しかしそれも、神経の高ぶった母の不眠と午前中からの来客に、出発のタイミングを失ってしまった。母の病状が回復する手術後のときまで、二度と繰り返せないこの時を思うと、やはり外泊はできなかった。

来客は父の宗教関係者だった。聖書の聖句の引用だろうが白髪(長寿)の部分を讃える内容の、大活字の明朝体で無骨に印刷されたプリントが2枚、父の枕元に置いてあった。どうしてこうも表面的なのだろうかと、うんざりもする。父の文章が理解できなくなったのは、字が見えないからではない。挨拶のあと、父がひたすらにうなづきに徹して言葉を失っていたことの意味がわからないまま、ステレオタイプな判断の押し付けをしゃべりまくった後、ちゃんと応答も出来てお元気だと言い残して若い二人は帰っていった。挨拶が出来ていたから元気という報告を行うのだろう。父の空転のなにも見えていない。

母は最終検査のとき、手術箇所のクリッピング(胃の患部周辺に目印のクリップを打ち込む)をするとし、入院予定が15日頃という、約2週間の空白の状態予想に苛立っていた。印をしてすぐに手術というならまだわかる。そこにブランクがあり、しかも胃壁に傷がついたままなのである。体調はどうなるのだろうという不安に病院は答えていない。(検査部門と診療部門の分業)

当日、私は父のシュートステイ2泊3日の送り出しに制約されて、大学病院までは、追いかけていく形になる。帰りには駅前に母を一時休憩させて、私の眼科の点眼薬をもらうために眼科往復をしなければならないし、母を家で休ませたあと、橋本巡回が待っていた。この間、母はひとりになる。補助支援を当てるには、これは父ではなく母の問題となるので、介護度は使えない。懇意にしている一番我が家に近い辻堂の端に住む母の友人も、大腸がんの手術を終えて退院してきたばかりということで、頼むことも出来なかった。有償のヘルパーさんを頼みながら、自分が何をやっているのかわからなくなった。巡回は日送りしていたので、再日送りはできなかった。

無駄だというのに父が宗教団体のある信者さんの勧めで、昔、光フレッツの回線の@niftyに独自登録した件を、母は母の友人の息子さんから金の無駄と聞きかじってきて、怒り出した。父に廃止を求め、私の怠慢と怒りをぶつけてきた。母は検査を前にしてナーバスになっていた。

私はPC通信時代から@niftyの会員であり、父がPCセットとインターネット環境を取得するとき、私の光回線を共用すればいいと伝えたものの、信者さんの指示と違うと父が茶碗を床に叩きつけて怒った経過があった。

無駄は承知で非常識な支払いを続けてきた経過があることを母は理解していない。説明してもわからない。PCセットが部屋に送り込まれたとき、キーボードのコネクタが抜けていた。今もそのコネクタは抜けたままだ。父は茅ヶ崎駅前の鬼いじめのPCスクールに2年通った。しかし私のノートPCの電源スイッチがどこにあるかすら分からない。父は毎回予約電話を受けていたので、ぼったくりにかかっていた。実際父のPCのスイッチが入ったのを見たことも無い。

母の怒りから、月末の区切れもいいから、父の承諾の元で回線廃止の手続きをした。0120をかけて、先方の担当者が出るまで15分強待たされ、それが母の苛立ちを掻きたてていた。プロバイダやメーカーの客応対回線はこれが常態。それを母は納得がいかない。先方にID/PW確認があっても父はかけらも記憶していなかった。それが母を煽っていた。回線は当人の病気ということで当人の直接確認なしで、書面交換で処理されることになり、無事接続廃止となった。

父の認知症が始まる前から父は頑固を貫いていた。その城壁が崩れていく。出した茶漬けを忘れて1時間後に食べている。来客のあったことを30分後には忘れていた。応答の名前も別人だった。昨日は元気に歩行器を使わず、片足を引きずって部屋を歩き回っている。ソファーの上に立ち、天窓を閉めようとする。転倒の警戒のかけらも無い。この状態が長く続くとは思っていない。大腿骨骨折事故で、いずれ寝たきりになる。深夜2時40分、排尿に失敗転倒、闇の中。照明をつける。父をすくい上げて清拭。/5時、ベッド柵が投げ飛ばされる。危うく板戸に穴があくところだった。

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今日は筑波の大会二日目である。連日通いのつもりでいたので、参加費だけの浪費ですんだが、社会活動の背景を語る地元のつながりが無い関係から、医療モデルに沈む引きこもり支援システムへの異論は、封じ込められたままだ。

ある精神障碍系の専門家のカウンセリング技法に「ジョハリの窓」の図式が大きく取り上げられているのにうんざりした。「気づき」をめぐるマトリクスなのだが、当人の気づきの有無と、他者の気づきの有無が4分類されていた。こんな単純な図式に人の心は掬い取れない。誤認・思い込みや、社会関係が交錯する場で、おどろおどろしく登場させること事態、理論(モデル)と現場経験の乖離を意味している。こんな二重化の状況が何十年も平然と続いている世界がある。

ひとの対話的関係をみずみずしいまますくいあげられる論を求めて、私の実践の裏作業を練っている。分析操作から対話の世界への橋渡しをと思うが、それを現場に求めるのは無理なのだろうか。

今日は見舞いということで、父方の老夫婦が足の利くうちにとやってくる。同じ介護度を抱えているのだから、無理が出来ない。片方はペースメーカーをつけているのだ。階段をどう補助しようかと頭を悩ませている。夫婦はタクシーを借り切ってやってくる。出費の一部も出さざるを得ない。突然の訪問予告にどうしたものかとつい私自身もナーバスになっている。まもなく父の朝食である。


夜間傾聴:******君(仮名・中断ごめん!)

(校正1回目済み)

コメント
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