今日検査の母に、昨日は父の介護を任せていた。久里浜少年院見学と地域就労支援PJの月例会を終えて夕食を済ませて帰宅すると、父の部屋のTVが鳴りっぱなしのまま、父はベランダ側の床に倒れて寝息をたてていた。母は水分以外の絶食中だと語ったが、父の話題を避けた。食器が積み重なっている厨房に立ち、ブレザーを脱いで、食器を洗う。厨房の音に父が目覚めて、足を引きずってベッドに戻る音がする。
今日は母が8時台、私が父をデイサービスに送った後、母を追いかけて大学病院に向かう。母を家に戻して、父の帰宅と階段昇降サポートと夕食準備を済ませてから、巡回に再出発する。間が欲しい。
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野比の国立特別支援教育総合研究所(旧特殊研)には、「シンボルを使ったオンライン交流が自閉症者に可能な方法はないか」というテーマを立てた会合を作っている。だからたまに野比に出かけることはあっても、逆に久里浜の少年院側には、ほとんど足を運んだことは無かった。
昼食を金谷行フェリーのそばの黒船亭で取り、午後昼食明けから予約していた少年院の門をくぐった。1時間半のプログラムだったが、こういう場所は問題意識を持っていくところだ。紋切り型の少年院の役割開設と、見学コースを歩いてきたのだった。
広島少年院から赴任してきた刑務官(教官?)の方の解説は正直言っていただけなかった。古い「矯正」教育の人間観に、発達障がいの知見が接ぎ足された統一感のないスライドを見せられて、それではと、成果の事例報告を求めたが、出所後の話はと掴んでいないとかわされてしまう。建物と、模範生の清掃作業デモと思われる庭整備作業を遠方から覘き、鉄格子の入った窓の隙間を覘いて帰ってきたというところだ。
生育歴の偏在を心身の特徴として説明し、鋳型の中に歪みのある心身を流し込むことによって、知への道を拓くという論が前半、展開された。これは極端な例だが「茶髪の奴は不良である」というような事例がずらり並べられる。そこには偏見を助長する危険への無神経さが目立っていた。それぞれの少年院の特徴を語り、久里浜少年院の場合は累犯少年が多いという話があった。姿勢の悪さ・共同行動歩調を取れない心身という具合だが、ならば清掃実習なのだろう、彼らの安定した立ち居振る舞いは矯正後の姿というのだろうか。他の所生さんの姿が見えないのはなぜか、座学の時間とて集団の吐息は伝わってくるはずだ。デモとしか思いようがないのだ。
細かい色紙を張った貼り絵の作品が並んでいた。しかしこれには下絵があり、部分の糊を延ばし、細かく機械裁断した色紙を散らしていく。私がやるときには、最後をパラフィン紙で押さえるのだが、色合いがおかしいし、そこの一部に欝的な表現が混じっていたが、完全に分かれていた。悩みも苦しみもそこには反映していなかった。
陶芸にしてもしかり。その展示物の大半は、私が通うTOTOの陶芸教室にある作品そのものであり、高度な鶴首も教官と生徒ふたりの作品と思われる感触を残した作品であり、機械ろくろを使った鉢はきれいに大きさの揃ったものだった。糸尻の大きさが様々なので所生さんが取り組んだものかもしれないが、陶芸の作品・掲示作品は教官の手が相当入っていると思われた。むき出しのままの粘土やさびだらけの手動ろくろは、だれか担当者と居ても数名の作業跡だった。
一番問題を感じたのは、教育再生会議委員となった品川裕香氏の著書●「心からのごめんなさいへ―人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦」が紹介した宇治少年院の実践に描かれる軽度発達障害のある若者の高率な存在の話が意識されたスライド後半のつながりの悪さだった。単純に生育環境と経験の矯正という旧来の範疇からは、はみ出してしまう若者には理由があったという指摘は、最後の久里浜ではない少年院(宇治?広島?)の大縄跳びの共同体験の感動的な事例で締めくくられるが、ならばその共同体験がどう生かされているのかという質問には答えられないというのは、歴史ある少年院の応答ではないだろう。むしろ時勢にあわせ、見学内容を継ぎ足し見せ場を作っていった感が強いこの見学は、若者に対する偏見を植え付ける結果になっていないか。主催者は大変な後始末を抱えてしまったと思う。>お疲れさま
携帯電話と手荷物を部屋に置いて巡回する慎重さは、二人組みで陰のように連れそう刑務官から、手荷物チェックがあると嫌だなと思わされた。建物には歴史が刻まれる。その修復のあちこちや、職員室の機材がどの程度新しいものが入っているかによって、予算がどの程度下りているかが想像できる。所生さんの更生を願うのであれば、彼らの生活の残滓が見えるはず。その人影が見えないというのは、留守中に見学を組んだのではと思わされるのだった。ここは漠然と覘くのではなく、問題意識を持って見に行く場なのである。
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就労支援PJの月例会は、特に精神障がいの方の支援の話にアクセントを持ちつつ、ゲストを迎え、少数ながら今後に期待の持てる話となった。この話は今晩へ。
夜間傾聴:##君(仮名)
橋本君(仮名)
(校正1回目済み)
今日は母が8時台、私が父をデイサービスに送った後、母を追いかけて大学病院に向かう。母を家に戻して、父の帰宅と階段昇降サポートと夕食準備を済ませてから、巡回に再出発する。間が欲しい。
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野比の国立特別支援教育総合研究所(旧特殊研)には、「シンボルを使ったオンライン交流が自閉症者に可能な方法はないか」というテーマを立てた会合を作っている。だからたまに野比に出かけることはあっても、逆に久里浜の少年院側には、ほとんど足を運んだことは無かった。
昼食を金谷行フェリーのそばの黒船亭で取り、午後昼食明けから予約していた少年院の門をくぐった。1時間半のプログラムだったが、こういう場所は問題意識を持っていくところだ。紋切り型の少年院の役割開設と、見学コースを歩いてきたのだった。
広島少年院から赴任してきた刑務官(教官?)の方の解説は正直言っていただけなかった。古い「矯正」教育の人間観に、発達障がいの知見が接ぎ足された統一感のないスライドを見せられて、それではと、成果の事例報告を求めたが、出所後の話はと掴んでいないとかわされてしまう。建物と、模範生の清掃作業デモと思われる庭整備作業を遠方から覘き、鉄格子の入った窓の隙間を覘いて帰ってきたというところだ。
生育歴の偏在を心身の特徴として説明し、鋳型の中に歪みのある心身を流し込むことによって、知への道を拓くという論が前半、展開された。これは極端な例だが「茶髪の奴は不良である」というような事例がずらり並べられる。そこには偏見を助長する危険への無神経さが目立っていた。それぞれの少年院の特徴を語り、久里浜少年院の場合は累犯少年が多いという話があった。姿勢の悪さ・共同行動歩調を取れない心身という具合だが、ならば清掃実習なのだろう、彼らの安定した立ち居振る舞いは矯正後の姿というのだろうか。他の所生さんの姿が見えないのはなぜか、座学の時間とて集団の吐息は伝わってくるはずだ。デモとしか思いようがないのだ。
細かい色紙を張った貼り絵の作品が並んでいた。しかしこれには下絵があり、部分の糊を延ばし、細かく機械裁断した色紙を散らしていく。私がやるときには、最後をパラフィン紙で押さえるのだが、色合いがおかしいし、そこの一部に欝的な表現が混じっていたが、完全に分かれていた。悩みも苦しみもそこには反映していなかった。
陶芸にしてもしかり。その展示物の大半は、私が通うTOTOの陶芸教室にある作品そのものであり、高度な鶴首も教官と生徒ふたりの作品と思われる感触を残した作品であり、機械ろくろを使った鉢はきれいに大きさの揃ったものだった。糸尻の大きさが様々なので所生さんが取り組んだものかもしれないが、陶芸の作品・掲示作品は教官の手が相当入っていると思われた。むき出しのままの粘土やさびだらけの手動ろくろは、だれか担当者と居ても数名の作業跡だった。
一番問題を感じたのは、教育再生会議委員となった品川裕香氏の著書●「心からのごめんなさいへ―人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦」が紹介した宇治少年院の実践に描かれる軽度発達障害のある若者の高率な存在の話が意識されたスライド後半のつながりの悪さだった。単純に生育環境と経験の矯正という旧来の範疇からは、はみ出してしまう若者には理由があったという指摘は、最後の久里浜ではない少年院(宇治?広島?)の大縄跳びの共同体験の感動的な事例で締めくくられるが、ならばその共同体験がどう生かされているのかという質問には答えられないというのは、歴史ある少年院の応答ではないだろう。むしろ時勢にあわせ、見学内容を継ぎ足し見せ場を作っていった感が強いこの見学は、若者に対する偏見を植え付ける結果になっていないか。主催者は大変な後始末を抱えてしまったと思う。>お疲れさま
携帯電話と手荷物を部屋に置いて巡回する慎重さは、二人組みで陰のように連れそう刑務官から、手荷物チェックがあると嫌だなと思わされた。建物には歴史が刻まれる。その修復のあちこちや、職員室の機材がどの程度新しいものが入っているかによって、予算がどの程度下りているかが想像できる。所生さんの更生を願うのであれば、彼らの生活の残滓が見えるはず。その人影が見えないというのは、留守中に見学を組んだのではと思わされるのだった。ここは漠然と覘くのではなく、問題意識を持って見に行く場なのである。
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就労支援PJの月例会は、特に精神障がいの方の支援の話にアクセントを持ちつつ、ゲストを迎え、少数ながら今後に期待の持てる話となった。この話は今晩へ。
夜間傾聴:##君(仮名)
橋本君(仮名)
(校正1回目済み)