湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

DAISYとディスレクシア/野沢和弘氏講演会に参加し

2008-11-02 10:05:24 | 引きこもり
昨日は飛び込みもあり、しんどい一日となった。しかし、DAISY図書の関連講演があった中には、ディスレクシアを中心とした発達障がいの方への教育と知識開放への利用の進展の話が印象的で、私が始めたいと願っているミニコミの資料提供フォーマットにDAISYを加える点に自信が持てたように思ったのは、収穫だった。

推薦入試と高卒認定試験で慌しい本校の動きに、私の仕事はあまりリンクしていないが、それでも応援が有ったり、専任が堰になって巡回が軽くなっている部分があてに出来なくなり、巡回対象の子たちの状況が生のまま飛び込んでくるようになる。ニュースを見て感じ取った方もおられると思うが、いわゆる受験競争から疎外された(?)子たちの脱線が始まり、高校にご無沙汰している不登校の子たちも、落着かなくなってくる。(ニュースの場合は記事編集選択に偏りが出るので、客観的根拠に記事数は使えないのだが。)

朝、「ディスレクシアの子どもたちへの読みの支援―DAISYを使ってみようー」へと向かうJRの車内で携帯が鳴った。父の朝食とおむつ交換をしてから出発する関係で、今回は仮眠をまったくとれないまま、つり革に下がった状態で居眠りをしていた。そこに無慈悲な携帯が鳴ったのだった。ひとりは、親が精神科診療を受けさせようと強引に連れ出し、車が信号停止したときに逃げ出した話の始末。もう一件は、以前私を訪ねて鎌倉にやってきたA子の親御さんからの相談依頼だった。前者は茅ヶ崎から離れた地域で、私のキャパを超える話だったので拒否。後者は午後に電話連絡するとしたものの、本校非在籍者への対応を慎むようにとした就業規則違反であるので、担当者とやりあって、車内の顰蹙をかったのだが、またA子が今度は茅ヶ崎に現れる可能性もあったので、担当者にお灸をすえて承諾した。このふたりは前述の「浮つきの季節」とは無関係だが、周囲の忙しさから押し出されてきたという意味で関係がある。

午前中の企画は昼夜逆転している私にはしんどい。しかしディスレクシアと発達障がいにDAISYの側から焦点があてられた企画であることが新鮮だったので、進展の様子を掴みたくて参加した。残念なことに、午後の「DAISYの有効性」発表は、茅ヶ崎の自閉症児者親の会主催の講演会と重なる関係から諦めざるを得なかった。しかし午前の部でも、密度の濃い河村宏氏の講演は聞き逃すまいと思っていた。

単に障がいの側面からだけではなく、文字から疎外されている非識字者、非書字文化民族を含んで、文字が伝わることの意味を広大な知の海から切り出してくる語りは、相変わらず魅力的ではある。知識を媒介する文字の様式として、電子メディアにささえられたDAISYの可能性は、いわゆる最先端技術というより、安定した技術がひとの生活世界に浸透していく知の共有の道への橋渡しとしてある。それが教育の場の知の伝達のメディアから、視覚・聴覚表現を伴う、かのグーテンベルグの印刷技術に匹敵するような、大衆化する身近なマルチメディアとして、こなれてきていることを説明されていた。

私はDAISYを自閉症スペクトラムの方に広げるには、その操作性が向上しないと、学校のような教員が指導するような形からなかなか広がらないのではないかと思ってきた。その部分がCD-ROMからメモリーカードへとメディアが広がっていくことに可能性を感じていた。この転換を進めたのが「著作権法第33条の2」教育目的の著作物の複写の許可の条項決定だった。これで動き出せるというところでもある。

DAISYを武蔵美術大学の山中さん(非常勤講師)が自閉症スペクトラムの子たちと作品作りのワークショップを行ったビデオ記録が上映されたが、基本的なところに疑問が残った。つまり、物語や絵、そして語りを子供たちに作らせていくのだが、DAISYに入力し、シンクロさせていく場面はすべて大人がやっていることだった。DAISYの作品を読み取るとき、そこに知のインタラクションを喚起している。現段階ではむしろそこの部分や、操作している子にどう第三者が参加していくかという辺りに話を向けて欲しかった。DAISYを作るという部分は、まだ未消化な若干の技術を求められる側面なので、ビデオであっさりと流されていた部分が、その側面では大事なところなので、食い足らなかったのだった。

しかし眠い…。上映の薄暗がりが眠気を誘い、私をキャッチしたのか河村さんが照明を明るくしてくれと指示したときに、ちょっとドキリとさせられたのだった。

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大崎駅で食事を取りながら、A子さんの親御さんに連絡を取った。場所は東武東上線沿線の方。このまま池袋に出れば、茅ヶ崎の講演会は諦めなくてはならない。どうしたものかと憂鬱を抱えながら親御さんと話した。進学の話である大学にこだわる娘さんを許せば、親元を離れてしまう。大胆な行動が治まらない娘さんを下宿させるのは恐ろしいという話。私に説得屋をやらせようというものだった。時間を争うものでないことにほっとして、夜に再度話し合うことで、当座の電話を切った。私の担当する女の子は非常にアクティブだ。入谷さん(仮名)といい町田さん(仮名)そしてA子さんといい抱えているものは違うが、社会があちこちで邪魔をしているだけのようにさえ見えてくる。割り切りがあるのが驚かされる。

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大崎からは、湘南新宿ラインは座れたためしがない。これがいけなかった。朝、父が便を催し、こちらの言う通りの時間に朝食を食べてくれなかった。これが仮眠時間を食いつぶし、車内仮眠も出来なかったことから、猛烈な眠気と頭痛になってきていた。

茅ヶ崎市役所分庁舎の6Fホールで行われた茅ヶ崎寒川やまびこ(自閉症児者親の会)主催の「野沢和宏氏講演会」は、鎮痛剤を飲んだものの目をあけていられない状態だった。遅れて入る集会は、後ろの席が空いていない。中途退席するも会に影響しそうでふん切れないのだった。野沢氏の語りは、エピソードを羅列していきながら発達障がい児の子育てに関わる父親像を面白く伝えてくれるのだが、失礼してしまったかなとも思う。眠気と戦うというより、頭痛と戦っていた。野沢氏の語りはテンポがいいので、眠気を誘うことはないからだ。(野沢和宏氏…毎日新聞社会部副部長・育成会理事権利擁護委員長・千葉県差別禁止条例のルポ『条例のある街』著者)

ディスレクシアの会合の資料とDAISYのおまけを受付をしていたTさんに預けてきた。

帰りに、すぐそばのジャスコでパネル展をしているNPOサポートちがさきのMさんと、ドットコム同窓会なる、次回の市役所内喫茶の17時以降の初イベントの意見を15分ほど交わし、駅前の日高屋で夕食…。店員に起こされた。箸を握ったまま眠っていた。

限界を感じ家に直行、夕食を作らせようとする母を振り切って爆睡。起きたら食器の山がみごとに残っていたのだった。


夜間傾聴:##君(本人)
(0時まで) ******君(親)
     A子さん(親)

p.s. 自転車の話、午後起きたら書きます。すみません。

(校正1回目済み)

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