茅ケ崎高校と西浜高校をまわった。茅ケ崎高校は、たまに定時制に用があることがあるので、全日制の方の様子もわかっていたが、西浜高校は十年以上覗いていなかった。西浜高校の教頭さんは、あいにく御留守。進路担当の先生も、この時期なかなか会うことができない。案の定全員出かけていた。結局事務職員の方にニューズレター誌を預けて来たのだが、訪問の主旨が伝わったか不明。初めてのところは、先方の取次の方の特徴がわからないのだ。一番滑稽なのは、小田原の相洋高に行ったときだ。翌日私の知人で中学校教員の富田氏から電話があった。不登校の子の進路相談を持ち込んだのはお前だろうというのだ。先方は**中の富田氏と勘違いしていた。ただそれが富田氏が即座に私と判断した慧眼(?)には恐れ入った。
茅ヶ崎高校では、11/28の武藤啓司氏の講演会の件なども話すことができた。ただ資料は教職員向けである。「わーく」についても説明できたが、関心持たれたかどうかは…不明。
西浜高校を出て、浜見平団地商店街の共同作業所「喫茶 カレッタカレッタ」に立ち寄ろうとしたとき、家から電話が入った。また父のトラブルだった。茶屋町の医院で薬を出してもらい、平塚駅行のバスで平塚へ。サンシティと推進センターにポスターを頼み、推進センターでは予約していた件で短時間相談。絶対に必要な用だけを済ませて、急いで家に戻った。
父が立てなくなったというのだ。最近父の足はむくみ、指で押すとふくらはぎに指のへこみがつく。弾力を失っている。眼底検査もよくない。間食とTV前から動かない生活は、糖尿病患者には失明や命を縮めることにつながる。父は某宗教団体にかぶれているので、たまに、突然外出して数時間、信者回りをやってくる。ところが往復10分ほどの近所のポストに自分の手紙投函の用があっても、人を使って、決して自分で席を立とうとしないのだ。だが今回は意識的にではなく、中腰が出来ず尻持ちをついてしまう状態だった。
新しく通うことにした医院では、「動脈硬化で、いつ血栓が飛んで血管がつまってもおかしくない状態。運動療法士さんの監視下で食事療法の補助運動で生活の切り替えをしないと、脳梗塞・心筋梗塞を起こしてしまう」、と注意されていた。8年かかっていた某病院は、栄養指導・リハをしなかった。それを自分の症状は運動不要だと勘違いして父は譲らない。そこの病院の医師と話したところ、「80才以上は(運動より)転倒事故の方がこわいから」という。冗談ではない。父は自分の宗教の用事の時は出かけていくのだ。
今日父は、軽保存食3人分・スープをたいらげていた。食事療法が守れない。半身不随や命を失うことが間近にありながら、「カロリー」の意味すら知らなかった。今回は、薬の量を間違えて低血糖を起こしたのだった。この前は人目を盗んだ長風呂で、全裸のまま棒のように倒れて救急車騒ぎを起こした。だから自分の命を縮める居座りは、看過できないのだ。
自分の命を弄ぶことは、黙認できない。さらに付け加えれば、こうした状態では、私の活動もいつ遮断されるかわからないのだ。命優先ではあるが、私と母は命知らずの危険な怠慢(バーバリズム)に翻弄されている。愚かしい。
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先ほどA君から電話が入った。実家に里帰りした彼は、もとの自分の部屋に入ることになって戸惑っているという。縁故の事業所に就職も内定している。両親が手を入れずに彼の部屋を保存していた。つまり古巣に戻ることに、直観的な戸惑いを感じたというのだ。家には彼の兄夫婦が同居している。仕事が落ち着いたら、地元に部屋を借りたらどうかと伝えた。彼も不安の中身が見えたようだ。
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症状が治まるのを見届けて、再び夕食の買い出しで茅ケ崎駅に出た。元町の家と翔の会トレインにたちよってポスターを依頼した。久々の顔に出会い喜んだ。おめでただった。そこにはSさんもいらした。話に乗ってもらい「わーく」の誘いをかけて、断られた。引きこもり青年たちの活動から発想され、その必要から始まった活動と、障碍者青年のニーズは異なっているし、当事者の活動としながら、引きこもり当事者が動いていないではないかというものだった。
「わーく」は、コンビニなどの店頭から、引きこもり青年を一本釣りするのだろう、それは外からかかわる浅い活動であり効果は薄いという批判もあった。私の構想は一石二鳥を狙っていた。まず主眼が「わーく」発刊活動そのものが、多様な関わりを内包した創造活動であり、この活動を様々なひとが共通の課題をもって活動することで、地域の協働活動の芽を育てようというのだ。
その呼び掛けの結果、呼応し参加する青年が出てくれば、それは喜ばしいこと。そんなに拾い上げができるとは、これっぽちも思ってはいないのだが、こういう論の立て方自身が伝わっていかないのだった。活動には実現目標があり、それに至る実践がどれほどの可能性があるか値ぶみするという構造、いいかえれば実践を目標の従属物にしてしまう痩せた実践論の発想から抜け出すことができないのだ。同じ夢を見る者が目標を実現するというのは、ひとの営みを延べてしまう誤りだと思う。その過程で生成する様々な創造の実は削り落とされてしまう。
「わーく」は創造的な遊びのようなもの。朝市を作ろうと発案されたなら、有志がそれを推進する。様々な参加の形を探り当てていく。その火種つくりが「わーく」なのだ。○○の仕事を知りたい、ならば関係者を呼んで話を聞こう、職場を見学にいこうと発案されたなら、その機会を有志が準備実行する。その火種を「わーく」が作るのだ。ここにさまざまな青少年が参加する。そのひとつの形、相互の活かし合いの形を「ケア・パートナー」と呼んでいるのだ。
Sさんから、本人の会の活動への要請は筋違いであると申し入れられた。引きこもり青年の活動が引きこもり青年の手で実現するのが筋という内容。一理も二理もある。しかしこの活動が知的の領域の活動のニーズではないというのはおかしいと思うが、結局は事実で納得させざるを得ないという意味で、失礼を詫び、退いた。
自立支援法の焼け付くような現実があり、軽度の方の活動は守りに入っている。しかし彼らの元気を還流させるセンスが必要と私は考えている。私が行っているカウンセリングもどきの活動は、対象の青年を自主活力回復と解決の糸口を提供する。それは現実的には企業就労であったり、自傷を超えた生活のはじまりであったりする。しかしその青年相互は、問題を個人的なものとして解決しているので、出会うことも結びつくこともない。何十年やってもこれは変わらない。これをフリースペースと立てることで、相互は結びつく。しかしそのフリースペース活動、いいかえれば一本の大樹を育てる活動から、大輪の花火のような火種を撒く活動(ネットワーキング)を獲得した活動へとシフトしたとき、シェルターとしてのスペースから、創造活動は外へとはみ出していくだろう。その転換を誰がどう担うのか。
私がつくるべきなのは、フリースペースなのだろうか、それとも運動体・出版活動ネットワークや放送局活動なのだろうか。私は後者を選ぶ。そのためには、永遠の単独活動であろうとこの活動をまず私が進めていく。これしかないだろう。面白ければ広がる。可能性が見えれば広がる。ただ情報が指導者のところで止まってしまう難は、甘んじなければならないだろう。
武藤さんもまた、引きこもりは引きこもりの枠での論。次回の講演会は、この辺が論点となりそうだ。
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朝日新聞「消印は「豊島」の可能性 いじめ自殺予告で文科相」
2006年11月07日11時18分
http://www.asahi.com/national/update/1107/TKY200611070184.html
どうか自殺がおきませんようにと…。この風土を作った大人社会と固着した学校社会を切り開く刃を。
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朝日新聞11月7日(火)夕刊3面に「即戦力障害者『紹介します』知的障害者まだ少数派」「企業・働き手結ぶビジネス盛ん」という記事が出た。
障害者雇用促進法に基づく求人がこのところ増えていて、主に身体障碍の方。ハローワークを通じて就職した障碍者は3万8882人(昨年度)であり、63年以降過去最大とのこと。人材紹介業者を通じて、就職する例を紹介。人材紹介業者も障碍者向け人材紹介業を独立させる動きも出ているとか。注目。>テンプスタッフフロンティア(タウンページ検索>テンプスタッフ(株)銀座オフィスが出てきた。問い合わせ可能だろう。)
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「懇談会通信No.018」いまだ完成せず。
今日は
茅ヶ崎市役所
茅ヶ崎保健所
茅ケ崎養護学校へ行く。
育成会回れるか?
ポスター巡回。
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以上
茅ヶ崎高校では、11/28の武藤啓司氏の講演会の件なども話すことができた。ただ資料は教職員向けである。「わーく」についても説明できたが、関心持たれたかどうかは…不明。
西浜高校を出て、浜見平団地商店街の共同作業所「喫茶 カレッタカレッタ」に立ち寄ろうとしたとき、家から電話が入った。また父のトラブルだった。茶屋町の医院で薬を出してもらい、平塚駅行のバスで平塚へ。サンシティと推進センターにポスターを頼み、推進センターでは予約していた件で短時間相談。絶対に必要な用だけを済ませて、急いで家に戻った。
父が立てなくなったというのだ。最近父の足はむくみ、指で押すとふくらはぎに指のへこみがつく。弾力を失っている。眼底検査もよくない。間食とTV前から動かない生活は、糖尿病患者には失明や命を縮めることにつながる。父は某宗教団体にかぶれているので、たまに、突然外出して数時間、信者回りをやってくる。ところが往復10分ほどの近所のポストに自分の手紙投函の用があっても、人を使って、決して自分で席を立とうとしないのだ。だが今回は意識的にではなく、中腰が出来ず尻持ちをついてしまう状態だった。
新しく通うことにした医院では、「動脈硬化で、いつ血栓が飛んで血管がつまってもおかしくない状態。運動療法士さんの監視下で食事療法の補助運動で生活の切り替えをしないと、脳梗塞・心筋梗塞を起こしてしまう」、と注意されていた。8年かかっていた某病院は、栄養指導・リハをしなかった。それを自分の症状は運動不要だと勘違いして父は譲らない。そこの病院の医師と話したところ、「80才以上は(運動より)転倒事故の方がこわいから」という。冗談ではない。父は自分の宗教の用事の時は出かけていくのだ。
今日父は、軽保存食3人分・スープをたいらげていた。食事療法が守れない。半身不随や命を失うことが間近にありながら、「カロリー」の意味すら知らなかった。今回は、薬の量を間違えて低血糖を起こしたのだった。この前は人目を盗んだ長風呂で、全裸のまま棒のように倒れて救急車騒ぎを起こした。だから自分の命を縮める居座りは、看過できないのだ。
自分の命を弄ぶことは、黙認できない。さらに付け加えれば、こうした状態では、私の活動もいつ遮断されるかわからないのだ。命優先ではあるが、私と母は命知らずの危険な怠慢(バーバリズム)に翻弄されている。愚かしい。
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先ほどA君から電話が入った。実家に里帰りした彼は、もとの自分の部屋に入ることになって戸惑っているという。縁故の事業所に就職も内定している。両親が手を入れずに彼の部屋を保存していた。つまり古巣に戻ることに、直観的な戸惑いを感じたというのだ。家には彼の兄夫婦が同居している。仕事が落ち着いたら、地元に部屋を借りたらどうかと伝えた。彼も不安の中身が見えたようだ。
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症状が治まるのを見届けて、再び夕食の買い出しで茅ケ崎駅に出た。元町の家と翔の会トレインにたちよってポスターを依頼した。久々の顔に出会い喜んだ。おめでただった。そこにはSさんもいらした。話に乗ってもらい「わーく」の誘いをかけて、断られた。引きこもり青年たちの活動から発想され、その必要から始まった活動と、障碍者青年のニーズは異なっているし、当事者の活動としながら、引きこもり当事者が動いていないではないかというものだった。
「わーく」は、コンビニなどの店頭から、引きこもり青年を一本釣りするのだろう、それは外からかかわる浅い活動であり効果は薄いという批判もあった。私の構想は一石二鳥を狙っていた。まず主眼が「わーく」発刊活動そのものが、多様な関わりを内包した創造活動であり、この活動を様々なひとが共通の課題をもって活動することで、地域の協働活動の芽を育てようというのだ。
その呼び掛けの結果、呼応し参加する青年が出てくれば、それは喜ばしいこと。そんなに拾い上げができるとは、これっぽちも思ってはいないのだが、こういう論の立て方自身が伝わっていかないのだった。活動には実現目標があり、それに至る実践がどれほどの可能性があるか値ぶみするという構造、いいかえれば実践を目標の従属物にしてしまう痩せた実践論の発想から抜け出すことができないのだ。同じ夢を見る者が目標を実現するというのは、ひとの営みを延べてしまう誤りだと思う。その過程で生成する様々な創造の実は削り落とされてしまう。
「わーく」は創造的な遊びのようなもの。朝市を作ろうと発案されたなら、有志がそれを推進する。様々な参加の形を探り当てていく。その火種つくりが「わーく」なのだ。○○の仕事を知りたい、ならば関係者を呼んで話を聞こう、職場を見学にいこうと発案されたなら、その機会を有志が準備実行する。その火種を「わーく」が作るのだ。ここにさまざまな青少年が参加する。そのひとつの形、相互の活かし合いの形を「ケア・パートナー」と呼んでいるのだ。
Sさんから、本人の会の活動への要請は筋違いであると申し入れられた。引きこもり青年の活動が引きこもり青年の手で実現するのが筋という内容。一理も二理もある。しかしこの活動が知的の領域の活動のニーズではないというのはおかしいと思うが、結局は事実で納得させざるを得ないという意味で、失礼を詫び、退いた。
自立支援法の焼け付くような現実があり、軽度の方の活動は守りに入っている。しかし彼らの元気を還流させるセンスが必要と私は考えている。私が行っているカウンセリングもどきの活動は、対象の青年を自主活力回復と解決の糸口を提供する。それは現実的には企業就労であったり、自傷を超えた生活のはじまりであったりする。しかしその青年相互は、問題を個人的なものとして解決しているので、出会うことも結びつくこともない。何十年やってもこれは変わらない。これをフリースペースと立てることで、相互は結びつく。しかしそのフリースペース活動、いいかえれば一本の大樹を育てる活動から、大輪の花火のような火種を撒く活動(ネットワーキング)を獲得した活動へとシフトしたとき、シェルターとしてのスペースから、創造活動は外へとはみ出していくだろう。その転換を誰がどう担うのか。
私がつくるべきなのは、フリースペースなのだろうか、それとも運動体・出版活動ネットワークや放送局活動なのだろうか。私は後者を選ぶ。そのためには、永遠の単独活動であろうとこの活動をまず私が進めていく。これしかないだろう。面白ければ広がる。可能性が見えれば広がる。ただ情報が指導者のところで止まってしまう難は、甘んじなければならないだろう。
武藤さんもまた、引きこもりは引きこもりの枠での論。次回の講演会は、この辺が論点となりそうだ。
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朝日新聞「消印は「豊島」の可能性 いじめ自殺予告で文科相」
2006年11月07日11時18分
http://www.asahi.com/national/update/1107/TKY200611070184.html
どうか自殺がおきませんようにと…。この風土を作った大人社会と固着した学校社会を切り開く刃を。
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朝日新聞11月7日(火)夕刊3面に「即戦力障害者『紹介します』知的障害者まだ少数派」「企業・働き手結ぶビジネス盛ん」という記事が出た。
障害者雇用促進法に基づく求人がこのところ増えていて、主に身体障碍の方。ハローワークを通じて就職した障碍者は3万8882人(昨年度)であり、63年以降過去最大とのこと。人材紹介業者を通じて、就職する例を紹介。人材紹介業者も障碍者向け人材紹介業を独立させる動きも出ているとか。注目。>テンプスタッフフロンティア(タウンページ検索>テンプスタッフ(株)銀座オフィスが出てきた。問い合わせ可能だろう。)
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「懇談会通信No.018」いまだ完成せず。
今日は
茅ヶ崎市役所
茅ヶ崎保健所
茅ケ崎養護学校へ行く。
育成会回れるか?
ポスター巡回。
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以上