久々に授業など受け持つから雨が降った。Z君一家への介入の関係で、授業分に1コマ予定を交代してもらった分を、日がないので重ねたりしたものだから、今日の市民活動カフェは全く参加できなかった。
私はひとのいきさつが次々にずれを生みだし、それが個人にレッテルを貼ることになる仕組みに着目している。この間の悪さに軽度障碍の方は常に晒されている。流れに押しやられた結果、それが表面的には障碍によるものと解釈される、社会的不利の状態を甘受せねばならなくなっている。ここを明かすことはマルチ・アイ的な多角的な逆さ樹木型の論及がひつようであり、その曼荼羅を描いたとしても、当事者の痛みを救いようがない結論が生まれてしまう。人文字のひとつの点が、人文字の意味をどう担っているかということは、点となる個人の内面観察ではどうしようもない部分がある。この関係性変革をどうデザインできるのか、常々頭を痛めている。
今日は、まさにそのずれが生み出されていた。今日は、人が集まらないからよせばいいのに、スペアが講演会を持った。ムーブメントのワークショップで東京福祉大の是枝喜代治さんが講演をした。「このとき液晶プロジェクタが必要なのだが、どこからか借りられないか」という話が大関さんから相談された。茅ヶ崎サポセンが、NPOちがさき会員のみに館外貸し出しを許可していたので、私の名前でそれを借り、私が茅ケ崎に戻るときに、閉会間際でもスペアに立ち寄り、プロジェクタを確認返却することで、解決することにした。
なるほど市民活動カフェに馴染まないような専門職の方や個人の当事者家族の方が集まっていて、自己紹介だけこなして、プロジェクタをサポセンに返しに行った。
ところがサポセンは市民活動カフェの後片付けを、しんどい思いをして終えたところだった。そこに液晶プロジェクタを持ち込んだから、企画を重ねたと判断されてしまった。福祉PJのとき、私はサポセンで財布を紛失した。Z君一家への介入と父のふるまいに集中力を欠いていたのだと思う。この間の悪さの連鎖が私のところにも起きていた。
私はもともと中間支援の場に活動が閉じ込められるのを拒否してきた。私のホームグラウンドはハンデを抱える青少年への就労支援活動、引きこもり・不登校の青少年への保護支援活動にある。サポセンの会員としてはその活動を地域の活動へと媒介していくこと、いわば自主事業のPJに類する活動をすることに置いている。ところがサポセンの中間支援活動は際限無くあり、重要な企画と会議を選んで出たとしても日程が合わないことが続出してしまう、それほどにピッチが詰まっていた。
PJに対する人件費ということで援助経費が提供されたとき、実は面食らっていた。私のホームグラウンドは窓口スタッフの方や官民協働の仕組みづくりの中間支援の方々とリアリティのあり方が違っている。その違和感と気が付いた。その仕組みに異議を唱える返金ではなく、関与の仕方が違うので改めて寄付の形でお返しすることにした。
私の活動が障碍者の活動とつながり、母子の活動とつながり、ニートを媒介に路上生活者・生活保護の支援活動へとひろがっていくその触媒はサポセンの場であり活動、行政とより広い立場で活動を提案していくのも、サポセンのネットワークと関連付けることによってリアルになっていく。そのことは大事なことだと認める。しかし源泉の活動が枯渇してはその先が意味をなさなくなるのも然りなのだ。
相手が見えないからレッテルが生まれる。領域が違えばお互いが見えない。語ってもわからないということが重なる。しかしそれは、その中心となる活動への誠実さ以外に証ができるだろうか。レッテルが固定されないうちに身を明かしておきたいと考える。
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スペアの会場でKさんと会った。言語聴覚士の専門職の方だ。相談活動を続けていると、不登校や引きこもりの方と出会う機会が増え、別の窓口をスペースを拡張することで確保するというお話を伺った。面談の機会が増えることは歓迎すべきことだと思う。
しかし軽度発達障害や不登校相談窓口活動は何十年もの歴史をもった。しかしそこから当事者の活動がどのように生まれてきたのだろうか。フリースペースやフリースクールの活動の中で、それは培われてきた。今はその活動の拡張をかけて試行錯誤が続けられている。こういう認識が合った上での相談窓口作りなら、それは意味をもつだろう。当事者が動き出す結びつきのデザインがカギとなっている。
しかし単純にニーズの多さから窓口を作るのであれば、それは専門職の活動であり、保護者としての親の活動なのだ。不登校・引きこもりの問題は学校空間に誕生した問題というより、するどく大人の生き方とぶつかる。引きこもることによって親子の価値観が衝突する問題でもある。
親が第三者となり子どもを操作する構図はおかしいし、その課題が個人的に限定されて指導されていくことで、同様の悩みを持つ親御さん同士や、本人相互がつながることで見通しを開くことが大事。ならばフリースペースなどと構想を関連付けていくなら実を持つだろう。ただの相談窓口というのはどうだろう。あまり魅力を感じない。Kさん、もっと構想を覗いたい。話し合いましょう。
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ついさきほど3時過ぎにZ君から電話が入った。ここ数日の彼の予定確認だった。明日は横浜に出たい。武藤啓司さんの調整と緊急避難のシェルター確保の件だ。Z君のかかりつけの医師ともアポをとる。父とこれから検査結果を聞きに病院に行く。まずはそこから。また徹夜。
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Open PNE のセットアップ中なり。まもなく終了。
私はひとのいきさつが次々にずれを生みだし、それが個人にレッテルを貼ることになる仕組みに着目している。この間の悪さに軽度障碍の方は常に晒されている。流れに押しやられた結果、それが表面的には障碍によるものと解釈される、社会的不利の状態を甘受せねばならなくなっている。ここを明かすことはマルチ・アイ的な多角的な逆さ樹木型の論及がひつようであり、その曼荼羅を描いたとしても、当事者の痛みを救いようがない結論が生まれてしまう。人文字のひとつの点が、人文字の意味をどう担っているかということは、点となる個人の内面観察ではどうしようもない部分がある。この関係性変革をどうデザインできるのか、常々頭を痛めている。
今日は、まさにそのずれが生み出されていた。今日は、人が集まらないからよせばいいのに、スペアが講演会を持った。ムーブメントのワークショップで東京福祉大の是枝喜代治さんが講演をした。「このとき液晶プロジェクタが必要なのだが、どこからか借りられないか」という話が大関さんから相談された。茅ヶ崎サポセンが、NPOちがさき会員のみに館外貸し出しを許可していたので、私の名前でそれを借り、私が茅ケ崎に戻るときに、閉会間際でもスペアに立ち寄り、プロジェクタを確認返却することで、解決することにした。
なるほど市民活動カフェに馴染まないような専門職の方や個人の当事者家族の方が集まっていて、自己紹介だけこなして、プロジェクタをサポセンに返しに行った。
ところがサポセンは市民活動カフェの後片付けを、しんどい思いをして終えたところだった。そこに液晶プロジェクタを持ち込んだから、企画を重ねたと判断されてしまった。福祉PJのとき、私はサポセンで財布を紛失した。Z君一家への介入と父のふるまいに集中力を欠いていたのだと思う。この間の悪さの連鎖が私のところにも起きていた。
私はもともと中間支援の場に活動が閉じ込められるのを拒否してきた。私のホームグラウンドはハンデを抱える青少年への就労支援活動、引きこもり・不登校の青少年への保護支援活動にある。サポセンの会員としてはその活動を地域の活動へと媒介していくこと、いわば自主事業のPJに類する活動をすることに置いている。ところがサポセンの中間支援活動は際限無くあり、重要な企画と会議を選んで出たとしても日程が合わないことが続出してしまう、それほどにピッチが詰まっていた。
PJに対する人件費ということで援助経費が提供されたとき、実は面食らっていた。私のホームグラウンドは窓口スタッフの方や官民協働の仕組みづくりの中間支援の方々とリアリティのあり方が違っている。その違和感と気が付いた。その仕組みに異議を唱える返金ではなく、関与の仕方が違うので改めて寄付の形でお返しすることにした。
私の活動が障碍者の活動とつながり、母子の活動とつながり、ニートを媒介に路上生活者・生活保護の支援活動へとひろがっていくその触媒はサポセンの場であり活動、行政とより広い立場で活動を提案していくのも、サポセンのネットワークと関連付けることによってリアルになっていく。そのことは大事なことだと認める。しかし源泉の活動が枯渇してはその先が意味をなさなくなるのも然りなのだ。
相手が見えないからレッテルが生まれる。領域が違えばお互いが見えない。語ってもわからないということが重なる。しかしそれは、その中心となる活動への誠実さ以外に証ができるだろうか。レッテルが固定されないうちに身を明かしておきたいと考える。
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スペアの会場でKさんと会った。言語聴覚士の専門職の方だ。相談活動を続けていると、不登校や引きこもりの方と出会う機会が増え、別の窓口をスペースを拡張することで確保するというお話を伺った。面談の機会が増えることは歓迎すべきことだと思う。
しかし軽度発達障害や不登校相談窓口活動は何十年もの歴史をもった。しかしそこから当事者の活動がどのように生まれてきたのだろうか。フリースペースやフリースクールの活動の中で、それは培われてきた。今はその活動の拡張をかけて試行錯誤が続けられている。こういう認識が合った上での相談窓口作りなら、それは意味をもつだろう。当事者が動き出す結びつきのデザインがカギとなっている。
しかし単純にニーズの多さから窓口を作るのであれば、それは専門職の活動であり、保護者としての親の活動なのだ。不登校・引きこもりの問題は学校空間に誕生した問題というより、するどく大人の生き方とぶつかる。引きこもることによって親子の価値観が衝突する問題でもある。
親が第三者となり子どもを操作する構図はおかしいし、その課題が個人的に限定されて指導されていくことで、同様の悩みを持つ親御さん同士や、本人相互がつながることで見通しを開くことが大事。ならばフリースペースなどと構想を関連付けていくなら実を持つだろう。ただの相談窓口というのはどうだろう。あまり魅力を感じない。Kさん、もっと構想を覗いたい。話し合いましょう。
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ついさきほど3時過ぎにZ君から電話が入った。ここ数日の彼の予定確認だった。明日は横浜に出たい。武藤啓司さんの調整と緊急避難のシェルター確保の件だ。Z君のかかりつけの医師ともアポをとる。父とこれから検査結果を聞きに病院に行く。まずはそこから。また徹夜。
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Open PNE のセットアップ中なり。まもなく終了。