池上線巡回(前の記事参照)は不発に終わった。中延の子の相談が時間がかかったせいだが、南久が原の「昭和のくらし博物館」も連休明けの代休だったようだ。長原の方も時間切れで失礼した。
しかしポンコツになったものだと我ながら思う。先方の母親が若手をイメージしていたらしく、サイダーがお茶に変わってしまった。大丈夫なのかな、続くのかなという探りが続くのには辟易とした。杖が交通事故によるものとわかって、先方は少し安心した模様。最近、いつもこれ。考えてみれば、自分の父親に近いオヤジが現れるのだから当たり前といえば当たり前なのだが。
11/28湘南子どもフォーラム・文化祭では、古い友人を失っている。障害者を祭りに呼びつけ肴にして飲み食いするとは何事かという批判だった。誤解。引きこもり・不登校の領域の団体は、娯楽に来ているわけではない。そこからのラブコールのような企画だったのだが、僕の口が足らなかった。
そんな思いが腹の底にずっしりと残っている。世話人の信頼問題が、彼の気持ちを決定的にしたように思えてならない。突飛な発想かもしれない。だが誰もがそれぞれのかかわりを作れる運動は根付く。だから懇談会は、是非成功させたい。彼に甘えていた分を払拭しなければと思う。
呼びかけ文を持って、明日、TOTOドロノワ倶楽部と藤沢市市民活動推進センターにお邪魔する。
ここしばらくは、教材集、流れの科学関連が続く。
しかしポンコツになったものだと我ながら思う。先方の母親が若手をイメージしていたらしく、サイダーがお茶に変わってしまった。大丈夫なのかな、続くのかなという探りが続くのには辟易とした。杖が交通事故によるものとわかって、先方は少し安心した模様。最近、いつもこれ。考えてみれば、自分の父親に近いオヤジが現れるのだから当たり前といえば当たり前なのだが。
11/28湘南子どもフォーラム・文化祭では、古い友人を失っている。障害者を祭りに呼びつけ肴にして飲み食いするとは何事かという批判だった。誤解。引きこもり・不登校の領域の団体は、娯楽に来ているわけではない。そこからのラブコールのような企画だったのだが、僕の口が足らなかった。
そんな思いが腹の底にずっしりと残っている。世話人の信頼問題が、彼の気持ちを決定的にしたように思えてならない。突飛な発想かもしれない。だが誰もがそれぞれのかかわりを作れる運動は根付く。だから懇談会は、是非成功させたい。彼に甘えていた分を払拭しなければと思う。
呼びかけ文を持って、明日、TOTOドロノワ倶楽部と藤沢市市民活動推進センターにお邪魔する。
ここしばらくは、教材集、流れの科学関連が続く。