--- 今回も以下の教材ヒント集の解説です。
●SOF-HP/自学教材ヒント集
《写真と写真家の眼・2 コマーシャルフォト》
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=tobipub2
何気なく見ているマスコミのページや画面には、恐ろしいほどの量のコマーシャルフォトが流れている。ところが、僕らはその存在を改めて発見することなく、そのメッセージに反応している。この何気なさの世界を演出しているのが大人の仕事のわけだが、これほどに強烈なメッセージを発散させていながら、その存在が中空を流れている不思議な世界もないだろう。CMフォトグラファたちは映像を通じで雰囲気を操っている。
伏見行介氏の作品などは、小学生が生まれる前のころの画像もあって、いつの間にか流れ去った画像たちとの再会をしたのだが、商品が消え去り売り子が残る不思議な感覚を味わっている。
しかし、現在ほどプロが到達不可の彼岸に存在できなくなった時代もないだろう。デジカメで撮影した画像をお絵かきソフトでかなりいじれるのだ。勿論レタッチソフトがあれば申し分ない。
まずはコマーシャルフォトの裏方仕事に気づくこと。作家サイトを眺めてみることだ。注意すべきなのは画像の性質上、飲み込みやすくできていることだ。勿論、効果で逆を行っているものもあるが。ついさらりと流し見してしまうのだ。だまされまいぞ、味わいは心にとどめておこう。
作家の作品から好きな作品を真似てみたり、印刷してみたりするとどんな仕事をしているのかが見えてくる。生態写真や報道写真が事象に眼差しを向けているのに対し、コマーシャルフォトは、客の反応を見ている。役者や演者の立場に似ている。当然画像の性質も違ってくる。そこに強いメッセージがあるから、模倣すると裏が見えてくるのだ。
だが、ある特定のものを売り出すために作画するのは結構難しい。そこで「乱撮り派」で画像転用を考えるようにするといい。これは結構面白い。画像の多義性があるので、脱ぎ捨てた靴下から、お風呂関係の商品を思いついたり、「くっさ~」とかけば水虫や防臭剤の商品とつながる等々。アナロジーの遊びではある。これをやっているともっとピントを合わせたくなる。これが作画と結びつく。しかしではもっと表現の完成度を上げようと撮り始めると、技術の隠し味が見えてくる。難しい。そこから本物が始まる。
考えてみると、このアナロジーの力は文学・芸術分野にも連なるものだ。むろん質の一般化は荒っぽい話であるのだが。だから先が見える力がある。
ともあれ関心を持ったら恵比寿の都写真美術館を観てくることだ。ここは問題意識をもっていかないと、つまんないところだが、テーマを持ち込むと、豊かなメッセージを返してくれるところだ。
(参考)
●東京都写真美術館HP
http://www.syabi.com/
●SOF-HP/自学教材ヒント集
《写真と写真家の眼・2 コマーシャルフォト》
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=tobipub2
何気なく見ているマスコミのページや画面には、恐ろしいほどの量のコマーシャルフォトが流れている。ところが、僕らはその存在を改めて発見することなく、そのメッセージに反応している。この何気なさの世界を演出しているのが大人の仕事のわけだが、これほどに強烈なメッセージを発散させていながら、その存在が中空を流れている不思議な世界もないだろう。CMフォトグラファたちは映像を通じで雰囲気を操っている。
伏見行介氏の作品などは、小学生が生まれる前のころの画像もあって、いつの間にか流れ去った画像たちとの再会をしたのだが、商品が消え去り売り子が残る不思議な感覚を味わっている。
しかし、現在ほどプロが到達不可の彼岸に存在できなくなった時代もないだろう。デジカメで撮影した画像をお絵かきソフトでかなりいじれるのだ。勿論レタッチソフトがあれば申し分ない。
まずはコマーシャルフォトの裏方仕事に気づくこと。作家サイトを眺めてみることだ。注意すべきなのは画像の性質上、飲み込みやすくできていることだ。勿論、効果で逆を行っているものもあるが。ついさらりと流し見してしまうのだ。だまされまいぞ、味わいは心にとどめておこう。
作家の作品から好きな作品を真似てみたり、印刷してみたりするとどんな仕事をしているのかが見えてくる。生態写真や報道写真が事象に眼差しを向けているのに対し、コマーシャルフォトは、客の反応を見ている。役者や演者の立場に似ている。当然画像の性質も違ってくる。そこに強いメッセージがあるから、模倣すると裏が見えてくるのだ。
だが、ある特定のものを売り出すために作画するのは結構難しい。そこで「乱撮り派」で画像転用を考えるようにするといい。これは結構面白い。画像の多義性があるので、脱ぎ捨てた靴下から、お風呂関係の商品を思いついたり、「くっさ~」とかけば水虫や防臭剤の商品とつながる等々。アナロジーの遊びではある。これをやっているともっとピントを合わせたくなる。これが作画と結びつく。しかしではもっと表現の完成度を上げようと撮り始めると、技術の隠し味が見えてくる。難しい。そこから本物が始まる。
考えてみると、このアナロジーの力は文学・芸術分野にも連なるものだ。むろん質の一般化は荒っぽい話であるのだが。だから先が見える力がある。
ともあれ関心を持ったら恵比寿の都写真美術館を観てくることだ。ここは問題意識をもっていかないと、つまんないところだが、テーマを持ち込むと、豊かなメッセージを返してくれるところだ。
(参考)
●東京都写真美術館HP
http://www.syabi.com/