--- 今回も以下の教材ヒント集の解説だ。
●SOF-HP/自学教材ヒント集《音探しと楽器作り(楽器の複製の発想を超える)》
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=tobipub2
目を閉じてステンレス製の魔法瓶をコツコツと叩いていく。すると叩く部位によって音が変化する。胴体を叩いたとき非常に倍音に満ちたよい響きが生まれ、その魔法瓶の大きさがイメージされる。ジーンズをさすっていく。サワサワという音が多くの人数の音となると雨音に変わっていく。マクラを叩く、テーブルを叩く。するとその音の表情が素材のイメージをやがて超え、別物に変わっていく。
昔、中学校英語科の擬音語・擬声語(オノマトペ)の授業を観た。教室の音を文字化していくと様々な聞こえがあることに気づく。授業は動物の鳴き声の国際比較へと移り、人の言語活動の営みの多様さの中に英語を再定義していた。なるほどと思ったが、何か欲求不満が残った。
幼稚園の打楽器作りを見た。様々な音色が交錯しポリフォニックな音の空間を作り上げていた。しかしプロジェクトは、自作楽器合奏に集約され、音の多様性は打ち砕かれてしまった。
小5の音のおもちゃ作りを見た。塩ビ・パイプに穴を開けて尺八を作っていた。絹糸を張って琴を作っていた。見学者にはアルキメデス音階がどうのと説明していたが、本物の楽器があればそれですんでしまう。既存の楽器のイミテーション作りがやたらに多い。音を出す構造を説明するつもりだろうが、手作り楽器の独自性とか、もっと即興的なところから始めてもいいのではないか。教育現場の楽器作り実践は何か中途半端なのである。
ところがアートの分野に入ると状況は一転する。ある個展では、動くステンレスの樋を伝って砂が滑り落ちていた。その音が反響して不規則な音を作っていた。針金人形のジャコメッティの人物のような、スポットを浴びた共鳴するオブジェのその真下から人体の鼓動の重低音が響いていた。これは一例ではあるが音の多様性と意外性を意識しているのが伝わってくる。
がらりと話は変わるが、「ホフナング音楽祭」をご存知だろうか。クラシックの冗談音楽祭だがここでは突然とんでもない楽器が登場する。しかし、結局楽曲を演奏するのだが、原曲の崩しにそれを行うので音が独立して響いてくる。
僕は学校という空間の管理が音作りにまでしみ込んでいることに驚く。学校外に学ぶ子たちには、もっと音を深く感じ取ることを望む。多様な音の洪水の中に僕らは暮らしている。音の常識管理からはみだし、無価値のレッテルを貼られたその感覚世界・サウンドスケープを、心の中に押し広げることができないかと思う。そんな思いをこめて「音探しと楽器づくり」というタイトルを決めた。サウンドスケープについては別稿で取り上げる。
音を探し、音を作っていく。その装置を秩序づけるものとして楽器を考える。楽器として取り上げられた音は加工される。演奏法・音階などが与えられるだろう。そこから先にも創造の世界はある。しかし前提の無政府状態の感覚対話、音探しをしっかりふまえてほしいと思う。
僕は音の取材活動と製作活動を一体に考えている。独学、少人数の学びを前提に考えるからそうなるのだろう。音探しからは理科も音楽など芸術活動も出てくる。そういう不定形な土壌を踏まえたいと考えるのだ。
(参考資料)
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●ホフナング音楽祭
2004年6月23日発売 《ホフナング・ガラ・フェスティヴァル》
COBO-4324
2,940(税込)
《ホフナング・ガラ・フェスティヴァル》
(1)大々序曲~4台の電気掃除機のための
(2)水道ホースのための協奏曲
(3)オペラ「カジモドとジュリエッタ」よりアリア
(4)愛のコンチェルト
(5)序曲「レオノーレ」第4番
(6)オーケストラ・スイッチ
(7)「びっくり」交響曲
(8)人気の交響曲
世界中から愛される“笑撃の”冗談音楽会!
「ホフナング音楽祭」の貴重なライヴ映像
*プラハ、スメタナホールにおいて、1992年5月31日に行なわれたコンサートをライヴ収録。
*カラー/スタンダードサイズ/ステレオ/99分/トールケース
【DVDプラハコレクション】
●SOF-HP/自学教材ヒント集《音探しと楽器作り(楽器の複製の発想を超える)》
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=tobipub2
目を閉じてステンレス製の魔法瓶をコツコツと叩いていく。すると叩く部位によって音が変化する。胴体を叩いたとき非常に倍音に満ちたよい響きが生まれ、その魔法瓶の大きさがイメージされる。ジーンズをさすっていく。サワサワという音が多くの人数の音となると雨音に変わっていく。マクラを叩く、テーブルを叩く。するとその音の表情が素材のイメージをやがて超え、別物に変わっていく。
昔、中学校英語科の擬音語・擬声語(オノマトペ)の授業を観た。教室の音を文字化していくと様々な聞こえがあることに気づく。授業は動物の鳴き声の国際比較へと移り、人の言語活動の営みの多様さの中に英語を再定義していた。なるほどと思ったが、何か欲求不満が残った。
幼稚園の打楽器作りを見た。様々な音色が交錯しポリフォニックな音の空間を作り上げていた。しかしプロジェクトは、自作楽器合奏に集約され、音の多様性は打ち砕かれてしまった。
小5の音のおもちゃ作りを見た。塩ビ・パイプに穴を開けて尺八を作っていた。絹糸を張って琴を作っていた。見学者にはアルキメデス音階がどうのと説明していたが、本物の楽器があればそれですんでしまう。既存の楽器のイミテーション作りがやたらに多い。音を出す構造を説明するつもりだろうが、手作り楽器の独自性とか、もっと即興的なところから始めてもいいのではないか。教育現場の楽器作り実践は何か中途半端なのである。
ところがアートの分野に入ると状況は一転する。ある個展では、動くステンレスの樋を伝って砂が滑り落ちていた。その音が反響して不規則な音を作っていた。針金人形のジャコメッティの人物のような、スポットを浴びた共鳴するオブジェのその真下から人体の鼓動の重低音が響いていた。これは一例ではあるが音の多様性と意外性を意識しているのが伝わってくる。
がらりと話は変わるが、「ホフナング音楽祭」をご存知だろうか。クラシックの冗談音楽祭だがここでは突然とんでもない楽器が登場する。しかし、結局楽曲を演奏するのだが、原曲の崩しにそれを行うので音が独立して響いてくる。
僕は学校という空間の管理が音作りにまでしみ込んでいることに驚く。学校外に学ぶ子たちには、もっと音を深く感じ取ることを望む。多様な音の洪水の中に僕らは暮らしている。音の常識管理からはみだし、無価値のレッテルを貼られたその感覚世界・サウンドスケープを、心の中に押し広げることができないかと思う。そんな思いをこめて「音探しと楽器づくり」というタイトルを決めた。サウンドスケープについては別稿で取り上げる。
音を探し、音を作っていく。その装置を秩序づけるものとして楽器を考える。楽器として取り上げられた音は加工される。演奏法・音階などが与えられるだろう。そこから先にも創造の世界はある。しかし前提の無政府状態の感覚対話、音探しをしっかりふまえてほしいと思う。
僕は音の取材活動と製作活動を一体に考えている。独学、少人数の学びを前提に考えるからそうなるのだろう。音探しからは理科も音楽など芸術活動も出てくる。そういう不定形な土壌を踏まえたいと考えるのだ。
(参考資料)
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●ホフナング音楽祭
2004年6月23日発売 《ホフナング・ガラ・フェスティヴァル》
COBO-4324
2,940(税込)
《ホフナング・ガラ・フェスティヴァル》
(1)大々序曲~4台の電気掃除機のための
(2)水道ホースのための協奏曲
(3)オペラ「カジモドとジュリエッタ」よりアリア
(4)愛のコンチェルト
(5)序曲「レオノーレ」第4番
(6)オーケストラ・スイッチ
(7)「びっくり」交響曲
(8)人気の交響曲
世界中から愛される“笑撃の”冗談音楽会!
「ホフナング音楽祭」の貴重なライヴ映像
*プラハ、スメタナホールにおいて、1992年5月31日に行なわれたコンサートをライヴ収録。
*カラー/スタンダードサイズ/ステレオ/99分/トールケース
【DVDプラハコレクション】