
ある待合室で聞こえた高齢者の話。家内が風邪で臥せているのでと断って、「作業着のボタンがとれたので自分でつけた。針に糸を通すのに苦労した」そんな日常を屈託なく話す。聞いていた人が「これから先のことを考えたら、そろそろそんな練習が必要かも」と応ずる。妻任せ家内まかせの身の回りの小さなことも、介護に備えて準備練習が必要かも、そんなことを思いながら聞いていた。
日ごろ着のズボンの腰回りのボタンがとれた。ふと、あの待合室の会話を思い出し「自分でつけよう」と思い妻の裁縫箱を持ち出す。糸通しは思いのほかうまくいった。ボタン4つの穴を十文字に2回緩めに縫いつける。続けてボタンを少し浮かすため、ボタンの裏側で2、3度糸を巻き付けて仕上がりとした。小学校で習ったことを思い出しながらの裁縫だった。少しきつめのようだが由とした。
このところ高齢者には肩身の狭い思いをさせる報道が続く。特に車の運転については厳しい。免許証の返納を促す事例紹介が毎日電波を通して目に入る。見るたび聞くたび心に留めているがそれで万全とは思わない。しかし、大都市と地方の小さな街との生活環境の違いを十分に配慮したコメントであって欲しいと思う。
会話にあった「そろそろそんな練習が必要かも」の短いひと言は高齢夫婦の世帯では必要になる。私も、家内の体調が思わしくないときは、日頃やらない家事をしている。最近こんな一文を目にした。夫が「わしが先に逝くけえ」というので私はその逆を答えた。「わしが残ったら家のことができん」そう言って夫は床に就いた。翌朝、夫は起きてこなかった。