日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

季語 竹の秋

2019年05月30日 | 自然 季節

 タケノコ、頂いてではあるが今年も十分に食した。家内は少しだけ冷凍で残していて、煮しめや寿司に使うという。人工栽培のできないタケノコはほんの短い間だけ重宝される。時期を過ぎ取り残されたタケノコは親竹と同じほどに伸び初夏の日を浴びている。そんな新しい竹と並んで、親竹の葉が黄ばみ始めた。やがて白茶けた色になり、はらはらと散り落ちて地面に敷きつめたようになり、掃除にくたびれた経験がある。

 タケノコを育てるのでその方に栄養をとられるので、草木の秋の様になるところか「竹の秋、竹秋」いい、今の季節の季語という。写真の竹林も3週間ほど前は緑でタケノコが見られたが、秋の竹になっていた。逆に「竹の春」は秋の季語で、周辺の草木が赤く染まる頃に緑濃い葉がその存在を示す。

 祖父は竹を切り薪として使っていた。油分が多いのでかまどではなく風呂、五右衛門風呂沸かしにほかの木と混ぜて燃やしていた。先日、ポツンと一軒家の番組で、竹を燃やして風呂を沸かす場面が流れ、子どもころの我家の一場面を思い出させてくれ、懐かしかった。竹の繁茂が各所でいろいろな形で問題になっている。薪の補助も対策の一つかもと思う。

 竹や木を割るとき「竹は末(うら)から木は根から」と祖父から教わり、手伝いをする時はそれを実践した。竹は真ん中に斧や鉈を打ち込むと左右均等に割れ、「竹を割ったような人」の表現にピタリと合うが、さて、さっぱりした性質で曲がったことが嫌いな一本気の人が政治家になってくれないかと思い竹を見上げる。いないないというように梢が揺れる。
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