日々のことを徒然に

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錦明館 3(義済堂)

2018年05月24日 | しっちょる岩国

 義済堂は「1875(明治8)年、旧岩国藩の貸付金の整理回収業務や困窮する旧家臣の修業資金の融通などを目的に吉川氏が創業した会社。やがて旧士族女性への織物技術の授産事業を開始した(岩国検定テキスト参照)」。その義済堂は錦帯橋下流の錦川沿いにあったが2005年3月倒産。現在は同類型の一般住宅が建ち、往事を偲ぶものは無い。

 その義済堂は通学路にあり煙突を眺めながら臥龍橋を渡った。工場の入り口には花崗岩の門柱が立ち、その側に守衛所があり立哨の人と話したこともあった。その義済堂が錦明館展示の大盃に描かれている。記憶にある2本の煙突は描かれていなくて、記憶にない掲揚台に「義済」と書かれた社旗のようなものがひるがえっていることから古い時代の姿と分かる。しかし、木造の外観は記憶とほぼ一致する。

 背景に城山とその麓を流れる錦川、それに架かる名勝・錦帯橋が描かれ、その立地の良さが伺える。吉川氏肝入りの策であったことがわかる。最盛期には、今は遊技場や宅地に変わったが、道の向かい2カ所に織物工場と作業場があり、フォークリフトが行き来して活況だったことを思い出す。

 今年は明治150年、華々しい姿だけが取り上げられ、観光客誘致に役立てようと大きな支出が図られている。明治となりその転換期で苦労しながらそれを乗り越えた人ら、特に庶民の姿を掘り下げて学び、そこから今の激動に向かう考えを見つけられないだろうか。濃青で描かれた建屋を眺めながら、シンボルの煙突が解体される様子を思い出していた。
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