日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

冬至は一陽来復

2016年12月21日 | 自然 季節

 24節季の一つ冬至は今日。1年で最も日が短いということは、明日からは日照時間が次第に長くなる。どのくらい長くなるか、祖母は「障子の桟の厚さほど」と教えてくれた。冬至を境に日が長くなり、暖かい春がめぐって来ることから「一陽来復」として冬至をめでたい日とする風習もある。

 無病息災、開運を祝い願ってかぼちゃを食べてゆず湯に入るのがお決まりと思っていたし我が家では長く続けている。ところ変わればというが、「ん」のつくものを食べる地域もあると知った。「ん」は運に通じるので元日の朝にそれを食べるとして、お節に揃っていたのは「にんじん、なんきん、れんこん、かんてん、こんにゃく」など。「ん」が二つ付いていると特に縁起がいいと知っていたが、冬至に食べるのも一陽来復に通じる。

 気象予報士が「冬至冬中冬初」をどういう意味かと質問する。読み方は「とうじふゆなかふゆはじめ」と字の通り読めば正解でその意味は「寒さの本番かこれから」という意味を話す。太陽の光が弱まり地面が冷えるのが今頃。冷えた熱が地球を囲む空気が冷やすのに少し時間差があるため冬至を過ぎてから最も寒くなるという。夏場、太陽が一番高い正午より、午後2時や3時の気温が高くなるのと同じだという。ここまで解説されると、科学的過ぎて自然観が薄れると感じるのは天邪鬼だろうか。

 1年の中で最長の夜ということは最短の昼間になる。寒さと合わせ思うと暗く厳しい日と感じる。どのくらい日が延びるか、祖母は障子の桟の厚さと言ったが、予報士は「畳の目ほどのわずかな変化」という。違いを論じることではないが、一陽来復の言葉通り明るい春に向かう節目と思えば気持ちは温かくなる。
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報恩講

2016年12月20日 | 生活・ニュース

 今年最後のお寺参りは報恩講。浄土真宗開祖・親鸞の忌日(陰暦11月28日)に報恩のために行う法会。正信偈和讃を唱え法話を聞く。最近見つかった史料で、松の廊下の浅野内匠頭の行為を乱心とし、吉良上野介を見舞う手紙が発見された。それをもとにして、今回は西と東両本願寺の成り立ちに西は豊臣家、東は徳川家それぞれの関わり、宗教と政治権力の結びつきなどの短い解説があった。

 うまく言えないが「法話で聞いたことは捨てて帰れ、持ち帰っても家で話すな」という。経文を理解しやすくするために人としてあるべき姿やその実例がよく引用される。例えば、親思いでよく気の付く「いい嫁」の話を帰宅してそのままを話せば、もしかしてもめ事に発展するかもしれないという講師の気遣いからという。法話を聞いた者が実践すれば口にしなくて広まる、ということだろう。

 「もろたもろたよ六字の知恵を 愚痴が感謝に変わる知恵」。六字は「南無阿弥陀仏」を表す。言われることは理解できるが、そこに至る信者になれるかと聞かれれば「無理、出来ない」と答えるしかない。その日精一杯生活し、たまに己の行動を反省をするくらいでは六文字の知恵には遠い。「鮎は瀬に住む小鳥は森に わたしゃ六字のうちにすむ」、そうなりたいとは思うが。

 午前中の法話が終わるとお斎、斎にはいろいろな意味があるか、ここではお寺で出される食事で精進料理に決まっている。旬のものが出されるが、今回は岩国特産レンコンの酢の物。檀家に栽培されている家も多く、レンコン特徴のほっこり感を味わった。毎日のたしなみは「するんじゃ無い させて戴く」そんな言葉が印象に残った。
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サンタとお節

2016年12月19日 | 自然 季節

 下校中の小学生に「冬休みはいつから」と尋ねると「23日から、今年の冬休みは長い」と嬉しそうに教えてくれた。そうか、天皇誕生日から成人の日の1月9日までの18日間、確かに長い休みになる。寒さなんかなんのその元気に過ごしてほしい。休みを待っていたようにクリスマスになる。靴下を信じる子どもは今どのくらいいるんだろう。 
 
 「もういくつ寝るとお正月 お正月には・・・」とどのくらい歌ったかは記憶していないが、冬休みには正月がある、そのことがなんとなくうきうきしたように思う。その頃の我が家は三世代同居、さらに父の妹2人もいる家族構成、にぎやかな餅つきは今も思い出せるが、クリスマスを楽しんだ記憶はない。おそらく何もなかったのだろう。

 スーパーにホームセンター、ドラッグストアーなどどこを覗いてもクリスマスと正月商品が所せましと同居し、財布の紐を緩めさせようと仕掛けている。お節販売の人に「見本が写真じゃあ味見ができん」とからかっている客に「すみません」と頭を下げる売り子の誠実さに驚いた。

 クリスマス前、遠くに住む孫の欲しいというゲームソフト、長いカタカナのソフト名をメモして市内を右往左往したことが何度もある。小さなメモリーの価格に驚きながらも孫の喜ぶ顔がそれを消したことは昨日のようだ。この冬は大学入試を控えゲームどころではない。この休みのクリスマスと正月を越せば思いでのひと冬になる。孫の誕生日は24日、昼にクリスマス、夜が誕生祝いと続けている。今年はどんな楽しみ方をするのだろう。
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自動ブレーキ

2016年12月18日 | 社会 政治

 連日、高齢者の絡む交通事故が報じられる。被害加害共にいたましいことだ。高齢者への啓蒙とあわせて車と歩行者の衝突回避の技術開発は進み、すでに一部では発売になっている。CMでも自動ブレーキのPRがかなり見られる。こうした自動ブレーキなどを対象にした国土交通省の「予防安全性能評価試験」が行われた。高齢免許で運転しており報道に関心を持った。

 評価は被害軽減ブレーキとして対車両と対歩行者、はみ出し警報、後方視界情報について行われた。そのうち被害軽減ブレーキ評価では時速10~60㌔で走る車が、飛び出した人(人形)に対し減速して衝突を避けられるか試したという。マツダ・アクセラは25点満点で24.5点、総合評価は全項目71点満点で70.5点で順位は1位だったという。

 車は馬力や加速度、軽量化と燃費などその性能を競った時代から安全対策も性能の一つに加わり時代の変遷を感じる。今や自動運転の競争が進み、実車試験走行も始まった。しかし、それらは整備された大都市での話、地方の小都市での自動運転実現はいつのことになるだろう。免許返納を勧められても出来ない過疎高齢化の地でもかなう自動運転化推進を願いたい。

 自動ブレーキは車だけでなくわが身にも欲しい一つだ。歳とともに穏やかな人物になりたい、と思い心するも悲しいかな相反することもある。時には気持ちのブレーキを踏み遅れることもあり、もし車ならと反省することもある。AI時代になれば感情コントローラーが出現するかも、でも装着はしたくないので人らしく努めよう。
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神ってる

2016年12月17日 | 生活・ニュース

 時期遅れの話題「神ってる」。私の周囲に「神ってる」が紙面に載った日「リーグ優勝すればこれは今年の流行語大賞」と発したカープフアンがいた。同じ思い抱いたフアンは多かったと思う。予想通り新語・流行語年間大賞となった。受賞者は改めて言うまでもないが広島東洋カープ監督・緒方孝市、同外野手・鈴木誠也の二人。

 鈴木選手にしてみれば契約更改も昨年の3倍近い金額となり、流行語年間大賞そのままの勢いだろう。子どもの頃は、普通の児童・生徒とは思えない言動を備えた同期を「神懸かり」と呼んだ。特に運動能力のすぐれた者、記憶力抜群の同僚などには一目置いた記憶がする。投げても飛んでも走っても優れた能力は注目された。

 神ってるは「神懸かり」の省略表現というから思い出したことがある。現役のころの話で何昔も前になる。労働組合指定店の展示会、かなり大掛かりな内容だったが抽選券が配布される。母の見ているTVの調子が悪いので買い替えようかと思っていたら、親孝行の気持ちが通じてTVが当たる。子どもの自転車通学準備に購入を考えていたらそれが当たった。似たようなことで電気こたつも当たる。連続3回当選に同僚から「神懸かりか、車に当たるなよ」、そんなことがあった。

 それから後、そうした当たりは無い。宝くじは購入していない。手元なるにあるのは年賀はがき、元日の朝に夢を届ける。何十年もJP職員のノルマ応援のため購入しているが今年は「000800~000999」、奇跡でも起きればどなたかに夢が届きそうな番号、カープ応援のご褒美に「神ってくれ」。
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この冬初

2016年12月16日 | 自然 季節

 午前5時ころ新聞を取りにでる。今朝は冷え込むなと思いながら玄関のドアを開ける。そのはずだ、かなりの勢いでみぞれが降っている。予報通りの冷たい朝になった。しばらくしてニュースで中国地方各地初雪を観測と流れる。急いで2階の窓を開ける。みぞれは止んでいて岩国城を囲む原始林は樹上がうっすらと白化粧している。この冬の初雪を見た。

 9時前に出かける。街中の大きな通りに鍋ほどの雪の塊が道路中付近に落ちている。行きかう車は何故かそれを避ける、私もそれに従う。大きな雪の塊、これだけの大きさの塊を運んできたということは市内北部、中国山脈の麓地域の積雪は相当なものだろうと思う。大きな雪の塊、この冬初めて見た。

 15時過ぎ、出先でこの地区ではこの冬初めての低温注意報が出た。低温は明日まで続くので水道・路面の凍結に注意のことと促す。これを受けて我が家の冬対策の一つ、屋外水道栓の凍結対策が済んでいないことに気づいた。明日は天気も回復というから済ませよう。

 先日の東京での初雪、その困惑する各種の映像を見た隣の県人が「数㌢の積雪くらいで何をしているのか」と書いている。そこは38(さんぱち)豪雪に見舞われた地域の人、書かれた気持ちに同感するところがある。毎年、数㌢の積雪と格闘する首都の映像を見るたびに対策の無さを感じているからだろう。瀬戸内の穏やかな気候に感謝しながら生活する者のひとり言です。
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焼いもの味

2016年12月15日 | 生活・ニュース

 つかの間の晴れ間は見られたが、朝から冷たい小雨の続く一日だった。それなのに一日中雑用で歩き回る。昼間の気温は5、6度くらいと低く感じる。行先で熱いコーヒーをごちそうになり人ここちついた。この時期、熱い食べ物や飲み物に引かれるのは自然なことだろう。

 寒い季節、鍋やすき焼きといった家族や親しい仲間内で手軽に食べれる料理が紹介される。中には高価な食材をふんだんに使う豪華な鍋もある。そんな贅沢な鍋が美味くないはずがない。その日スパーに並ぶ食材を購入し料理する料理人がいた。楽しく見たものだ。家庭料理の紹介なら、たまにはそんな鍋料理も電波に乗せてほしい。

 食に興味のある知人が「料理は食材だけではない、作る人の心持」と話してくれたことがある。まだその腕前を味わっていない、次に出会ったら催促してみよう。そんな話を地でいく川柳、「くず野菜炒め中華の顔になる」。食材を大切にする気持ちはくず野菜の評価を大きく変えるのではなかろうか。こんな家庭料理なら身も温もるだろう。

 店内にはいい匂いが漂い「いしやきーいもー」のコールも流れている。「ばあさんに買って帰るか」とひとり言の男性、外見は私よりかなり年配に見える方が選び始めたのは焼き上がりの紅天使。軽く触って品定めをして3個購入。「ばあさん」とは連れ合いのことと思うが、焼きいもの暖かさに勝る心の暖かさ、やさしさを感じた一コマだった。
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冬日暖か

2016年12月14日 | 自然 季節

 雑草は枯れて次第に背が低くなり、やがて土にかえり次世代の糧になる。しかし、歌を詠む人らは枯草といわず冬草と呼び枯れた姿の中に様々な詠み方をするという。霜にあたって色づいた草、水辺で凍てた草、さすが詠み手と感じさせる。確かにウオーキング中に枯草の中に少し緑の残っているのを見つけると元気づけられる。

 草もだが木の葉も散る。風に舞いながら路上を駆け回る様子は齢に関係なくいいものだ。歌を趣味にする人なら一句になるだろう。そんな散る木の葉に例えて「木の葉髪(このはがみ)」という言葉を知った。 木の葉が散る頃なので風流に木の葉髪というそうだ。思いついた人は、語感に寂しさを感じさせることから頭髪豊かな人ではないような気がする。

 冬に入ると頭髪が抜けやすくなる、そういえば聞いた気もするが、若い時は理髪料の割り増しを、冗談にしろいわれた頭髪量、今はその面影は微塵ほどもなく薄くなった。これ以上気にしても仕方ないと最近は思っている。いつだったか親戚の子が「おじちゃん、いつ髪が生えるの」と背中から問いかけられ戸惑ったことがある。

 すっかり葉の散った裸木を見上げて木はいいなあと思う。木は冬だけ葉を落とすが、抜け毛は冬だけでなく四季を通して続く。木の葉は蘇るが頭頂に芽吹く春は再び来ない。しかし、直感的ないいこともある。それは頭髪豊かな人は感じない冬の太陽、冬の日差しの暖かさを直接頭に感じる。自然の恵み自然のやさしさだろうか。今夜は先月のスーパームーンに次いで月が大きく見えるそうで、撮っておいた。
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懐かしい発動機の音

2016年12月13日 | エッセイサロン
2016年12月13日 中国新聞「広場」掲載


 近くのフェスティバル会場の一角から、ボツ、ボツ、ボツという懐かしい音が聞こえる。子どもの頃、農家の庭や田んぼから聞こえてきた発動機の規則的な音に引かれ、立ち寄った。

 野ざらしの発動機があると聞けば、保存会員は軽トラックで収集に向かい持ち帰る。それを分解、整備し不足する部品は手作りしてよみがえらせ、展示したという。

 昭和20年代から30年代半ばに活躍した機種で、それぞれに詳細な説明が添えられていて参考になる。

 どれも農業用で2、3馬力。単調だが懐かしい駆動音に体が拍子を取る。農家の人が、そんなリズムに合わせ、忙しく働いていた様子が思い浮かぶ。

 その後の農機具の進歩は農業の労力を大幅に軽減し、農業の機械化を実現させた。

 展示は、発動機を使って昔ながらの石臼を動かす仕掛けで大勢の人を引き寄せた。子どもとじっと見入る女性は、祖父母の姿をしのんでいるように思えた。
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大霜の畑

2016年12月12日 | 生活・ニュース

 平年に比べ早い大雪の影響が北日本から届く。札幌空港では、欠航などにより移動できなかった乗客が夜を明かしたという。「これが北海道」という見出し、何かと思えば欠航でアイドルグループの公演が中止になったという記事、寒い中で開演を待って人らの残念さが寒気団に通じただろうか。北風が強いと札幌や小樽、ニセコが大雪、西風だと岩見沢市や砂川市など中空地域が大雪、これは北海道ブロガーの記載。札幌雪祭りの雪の心配はなさそうという明るい締めにほっとする。

 北の国の寒さや冷え込みに比べれば桁違いだろうが、県内で冬場の最低気温を何度か記録する家から車で30分ほどの盆地にある農園、車積載の温度計は3度と4度を行ったり来たりする。暖房した車から降りる、年を考えてではあったが「1枚多く着こんで来て正解だった」と安堵する。この冬、吐く息の白さを初体験となった。作物は大霜に見舞われ日ざしにキラキラと輝く。しかし、農園の畔に植えた皇帝ダリアの花は霜にやられていた。

 農園は仲間内で月に1度だけ集い農業体験をする場所。大方は農業素人だが経験豊かな人の指導指示で動く。そうするからこそ収穫の喜びがある。先日は抜いた大根の大きさに、齢を忘れた驚きの声があがる。里芋も小ぶりながらいい形だ。高値が続く白菜も収穫、作業の終わるころ寒さはどこに消え満足な農園日だった。

 最近、農園自前の中古品だが小型耕運機が戦力として加わった。経験豊富な元同僚が収穫後の畑を耕す。見ていると、鍬の何倍もの早さで畑を掘り返す。見ていると面白そうだ。いつか操作してみたい、悪い虫が頭をもたげる。 
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