日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

5の値打ち

2016年12月22日 | 回想
  
 2学期の終業式を終え下校中の男の児童数名。「お前なんぼうあった」と一人が問うと「国語と算数で」、すこし間をおいて「覚えとらん」と返事をする。明るい子どもらの声はランドセルに入っている通知表の中味についてらしい。通知表の評価内容につて、我が家以外に自分から漏らしたことは無いと思うが、目の前の子らは屈託なく話題にしている。中には言いづらい者もいるだろう。それがいじめに繋がらないことを願うが、様子からそんな心配は必要ないようだ。

 通知表の思いの一つ。中3の1学期に驚いた。体育で評価項目ははっきり記憶していないが「1」をもらった。その理由を訊ねると「対外試合に出ていないから」という。文系のクラブ活動に所属しているものは、運動系の対外試合に出場はきない。「1」があれば高校受験は不可能、体育担当の教師はそうもいった。その教師の家は近所だったのでよく覚えている。「1」は1回だけ、以後の評価は無かったから高校受験ができたのだろうか。

 通知表を受け取る時はどんな様子だったのだろう、と考えるが確かな記憶は出てこない。隣りはもとよりクラスの者と見せ合うということは無かったと思う。評価は5段階で5が最高、5が多いほど親は喜ぶのは当たり前だ。学校の成績では通用する5の値打ち、社会に出るとそれほどの値打ちを感じないことをいくつも経験した。

 終戦直後の小学入学、通知表の様式は謄写版刷りのはがきサイズ、数項目の評価が手書きで残る。その教師は後年、障害児童の教育に職務を掛けられた尊敬できる先生だった。通知表、正確には通信簿という。これは保護者に学業などを通知する書類のこと。IT化でレスペーパーが進むと通信簿は消えるかも、そのころ5は残っているだろうか。
コメント
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