日々のことを徒然に

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歴史町名

2019年07月16日 | 生活・ニュース

 どこの地域にもどこの街にも、その期間の長短はあってもその場所固有の歴史がある。そんな歴史を忍ばせる一つに古い町名や通りのなどの呼名がある。古地図を手に旧街道を歩く催しの様子をネットで見かけることが増えた。古の旅姿ではないが共通点が一つある。古の人は竹や木製の杖、今風の街道歩きはノルディック用ポールの様で、さっそうと町並みを楽しんでいる。

 近年の自然災害の巨大化に伴い、過去に起きた自然災害の規模や情報、そこからの教訓を伝える石碑やモニュメントを尋ねる催しが増えたという。東日本大震災の後で高台にある津波到達地点の碑がいくつも報道されていた。「これより下に家を建てるな」そんな碑文が頭に残っている。こうした碑文は国土地理院のウェブ地図から検索できるようになった。

 私の散歩する道に自然災害の石碑は見当たらない。だが、城下町の名残ある通りには「歴史町名」として木作りの表示があるがそれは十指を超える。最もそれらしいのは「大明小路」その昔は「大名」表示だった。町人の町らしく魚、豆腐、木材、鍛冶、塩など生活感がある。城下らしく鉄砲小路や牢小路などもあるが牢は朗らかに変わった。

 こうした町名表示も過ぎた年月を忍ばせる色合いに変わる。古くなった町名は初めての人には判読しにくい状態になっている。知らなければ見ることもない表示がある。錦帯橋横山側にある「鞭棄小路」。命名の由来は「吉川広家は武芸鍛錬のため横山の岩国高校旧校門付近にいたとき、江戸に放っていた隠密から密書が届き「3代将軍家光は英明の主にて候」と 書いてあった。吉川広家は自分の代で毛利家復興は困難と悟って深く失望し、馬を降り鞭を棄てたまま御館に帰っていった」という。 菖蒲池のあたり、足を運んで探してください。
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