「最近は載らんがどうしたんかいのう」、久しぶりに出会った知人が問いかけてきた。彼とは購読紙が同じで、私の投稿が掲載されると「熟読する」と言っている。内容に対し厳しい意見、賛同の訳などをときどき聞かせてくれる。有難くもあり怖い存在でもある。と言って、膝を交えて話したことは無く道端での立ち話で終わる。
「載らないのは投稿が載るに値する内容でないからだろう」と答えている。私は月1編は投稿している。その投稿欄へは月に600編から700編ほどが届くと担当記者のレポートがある。掲載は一日に5編から6編、掲載率は3割に満たない、プロ野球の打者でも3割キープはそれほどいない。常に掲載も同様で難儀である。
昨夏、掲載方針が変わり「投稿の常連さんと言えども掲載には一定の間隔をおく」とお知らせがあった。それでも続いて掲載される人もあるが、それらは高尚な内容で学ぶばかりだ。私も1年に10編前後くらい掲載してもらっていた。昨夏からこの1年での掲載は3編だから、知人の問いも当たっている。が、3割と思えば立派だ。
載ることを願って投稿しているが、それは送る側の気持ちで、内容が編集者の心を打たなければ載らない。時には先を越され類似の投稿に残念がることもある。投稿が掲載されることも必要だが、投稿でもう一つ大切にしていることがある。それは書くことを通して自己啓発に繋がることを願っている。その効果は不明だが「継続は力」という。もうすぐ傘寿、ぼけっとでなく何かを積み重ねてその時を迎えたい。読後感、本当に有り難う。