奈義町現代美術館の大砲は?

2015-07-05 00:00:29 | 美術館・博物館・工芸品
奈義町は岡山県の北部の中心地である津山市よりさらに北上し、鳥取県境に近い場所に位置する。近くには自衛隊の日本原駐屯所があり、演習場では戦車戦や高射砲の演習が行われているようだ。海外で戦車戦に参加する日がくるのだろうか。有効なのは都市攻撃なのかな。

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そして、10年前に現代美術館がオープン。設計は、磯崎新氏。岡山はどの町も財政的困窮にあえいでいるのに、どうも超有名な設計家の方の美術館が多い(というか、それが困窮の原因かもしれないが)。

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この美術館の特徴は、なんといっても別館風に作られた円筒。大砲の砲身のようにもみえる。大砲の発射方向は自衛隊駐屯地の方向だ。角度もちょうどいい。

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実は、内部は空中庭園になっている。石庭をイメージしているようだ。上下左右の感覚が否定されている。早い話が宇宙ステーション内部と思えばいいが、あくまでも無重力じゃないのでバック転に失敗すると首の骨が折れる。


当日は特別展として『柴田れいこ展・届かぬ文~戦没者の妻たち~』が開催されていた。

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岡山県内の各地に生き残っている「戦没者の妻」をさがしては、そのメッセージと画像を記録。結婚して夫が戦争に行って亡くなる。そして70年が流れる。そして今もその時の気持ちに引きずられて90歳を過ぎた現在、生き続ける女性の画像が100人ほど並ぶ。

一つずつ丹念に眺めていると、かなりの数の岡山県出身兵士が、1945年8月にミャンマー(ビルマ)で亡くなっていることがわかった。その頃、ビルマ戦線では英国軍と激戦中だった。つまり1945年7月26日に発せられたポツダム宣言の後、日本が受諾するまでの間に亡くなっているわけだ。私の岡山の実家の本家(江戸時代に分家した)の跡取り息子も未婚ではあったが、このポツダム宣言以降にビルマで亡くなっている。今年90歳の妹が家を引き継ぐも、未来は見えない。

ポツダム宣言の前後の順番に不案内な政治家がいるらしく、かなり悲しい。