007 第5作

2015-07-16 00:00:35 | 映画・演劇・Video
0072007は二度死ぬ(1967年) BSジャパンで連続放映中の007シリーズで見逃した第5作。レンタルしてくる。1週間108円。これなら几帳面に番組表で予約なんかしなくても、次々に借りていけばいいのだろうが、「簡単にできる」というのが実はもっとも難しい。ダイエットだってそうだ。人間って変な動物だ。

ずっとロジャー・ムーアを見ていたので、ショーン・コネリーを見ると戦前の映画をみているような感じになるが、本作は、全面的に舞台は日本。ところがフレミングの原作では、九州にある有毒植物研究所で毒薬を製造しているグループと対決するはずなのだが、映画ではまったく異なる話になる。同じなのは題名と日本という場所ぐらいかな。

原作が発表された1964年にフレミングは亡くなってしまい、本作は小説家ロアルド・ダールによって勝手に書き換えられてしまったわけだ。で、アメリカとソ連が宇宙開発競争をしている時に、その妨害工作をするものが現れる。英国諜報部の推理では、それができるのは日本だけだ!ということになる(かなり無理があるが)。

それで、でたらめの日本情緒が大量投入され、ボンドガールには浜美枝が登場。なかなかいい。

「大里グループ」という日本の財閥の裏にいるスペクターの秘密基地は、神戸と上海の中間点にあるとなっているので、調べてみると、そこにあるのは「済州島」だった。欧米人の認識ってそれ位なんだろう。

なお、冒頭にボンドが亡くなるシーンがあるが、それは死んだはずのボンドが潜伏するためのトリックなのだが、本作だけでは単なる1シーンなのだが、その後の19作において、ボンドは絶対に死なないということを宣言したようなことになり、シリーズ全体がアクションではなくコミックであるということになってしまったような気がする。

フレミングの原作の方も読みたくなる。


007nidoということで、すかさず古本を注文。

すぐに到着するが、いつ読むのかな・・

トマトの名前を思い出す

2015-07-15 00:00:49 | あじ
鉢植えのトマト。夏の陽射しに変わると、とたんに量産体制になった。枯れた葉とかどんどん取っていくと、風通しと光の当たりが良くなる。

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そして、忘れていた品種の名前を思い出す。

アイコ。

そう、あの愛子様と同級生だそうだ。同じ頃、誕生。

なぜ、そんな高貴な名前をトマトに付けたのか不明だが、これがイモ類やゴボウにつけたりはしない。蘭にも同名があったようだ。ようするに美しいものにお名前を拝借するのはいいが、サルはダメということ。

しかし、普通のミニトマトとは違って楕円球である。ちょっと違う。

そして、トマトはあまり手間をかけずに放任主義の方がいいらしい。名前をつけたサカタのたねもそこの違いには気がつくはずもなかった。

そして、名前の由来を思い出しながら、パクパク食べてしまうわけだ。

キール・アーチということは

2015-07-14 00:00:13 | 市民A
2500億円も使って大丈夫だろうか。そういえばギリシャだって、無理にオリンピックしてから地獄に落ちたわけだし、1000億だって、十分に高過ぎるのに。もっとも、払えない額でもないのだが。

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今更、責任のたらい回しで、疑惑の人というのは沢山いる。要するに無責任の人たちが集まるとこういうことになる典型だ。

1300億円の予算のはずなのに、どうして後から2倍になる?そういうコンペってあり?
コンペ参加者を事実上制限していて、つまり大家が手掛けるということで高くて当たり前。
森氏のラグビーWカップに使うと言っても、ラグビーの方が先に決まっていたはず。
いまさら民主党のせいにしても、そのあと変更のチャンスはいくらでもあった。
そもそも、安藤氏は審査する方じゃなく、コンぺに参加する方じゃないの?

ということで、なんとなく大阪万博の時の丹下健三と岡本太郎のけんかが参考になるのだけど、「日本の万博」を、建物で表現するのではなく、一つのタワー(太陽の塔)を建てることで理念を表出したことが成功している。

平凡な競技場でも、シンボルタワーでも建てれば、かなり安上がりになったのではないだろうか。さらにアスリートの夢のためといっても、陸上とサッカー以外の競技者には、何の関係もない。

そして、高額になった理由が「キール・アーチ」。キールというのは木造船の船の背骨のようなもので、船底に太い骨(竜骨)を入れて、そこからあばら骨のように組み立てていく手法だ。戦後の鉄製の船は、こういう作り方はしない。

ところが、それを裏返して地上に置くとなると、その重さに耐えられず(10,000トン)、地上部分と同じくらいの地下部分のアーチが必要で、その工期と金額が莫大なものになるようだ。つまりキールが倒れないようにするために逆キールを接続して地下に埋めるということ。

ところが、船舶関係者が見ればすぐに思うのだが、船でキールが空を向いているというのはどういうことかと言えば、転覆して裏返しになったということだ。先日の長江遊覧船と同じことだ。

いっそのこと、スタジアムそのものを超大型船にしてしまい。オリンピックや国際大会のつど、開催地に航海していって稼働率を上げたらどうだろう。スタジアム使い回し法。

航海の歴史‐探検・海戦・貿易の四千年史

2015-07-13 00:00:12 | 歴史
海洋史家であるブライアン・レイヴァリ氏(英国)による400ページもある大著である。数ページずつ読み進んで、ついに1年近くで読み終わる。

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思えば、人間が「舟」というものを発明したからこそ、世界中の島々に人間が住んでいるわけだ。何らかの原因で、元の場所を追い出された人たちが逃げるように海の彼方に向かう。今の北アフリカから欧州に向かう難民がそうだ。日本人だって、中国北部から逃れた人と中国南部から逃れた人の混血だ。

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で、本格的に海と船が走り回り始めたのは、コロンブスの時代。英雄のように言われるが、しょせんは海賊の親戚みたいなことをやっている。船を襲って略奪するか、新大陸の文明を破壊するか。奴隷売買とか。

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そして、ペリーが日本にきたことを著者の見解で書いてある。

まず、ペリーは日本のことを調べ上げてから、やってきた。米国はオランダ国から3万ドルの巨額で日本の地図を買っていた。(つまりシーボルトが持ち出した地図に違いない)

黒船は煙が黒いからそう呼ばれたと書かれているが本当なのだろうか。江戸にきて川を上ったと書かれているが、これは違うだろう。

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日米和親条約(神奈川条約)が、米国による脅迫で結ばれたことを日本人は覚えていて、復讐の機会をずっと狙っていて、ついに1941年に真珠湾で報復することとした、ということらしい。(さらに強烈な報復返しを二発受けた。)

野球と鉄道-幻の球場と思い出の球団

2015-07-12 00:00:40 | 美術館・博物館・工芸品
新橋の鉄道歴史展示室で開催中(~7月20日)の本展は、かなり力のこもった展示だった。鉄道とプロ野球というのは、いまでこそ阪神、西武だけが鉄道系球団だが、以前は西鉄、阪急、近鉄、東急、国鉄もプロ球団を持っていた。

もちろん動機は簡単で、鉄道沿線に球場を作って稼ごうということ。

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ところが、野球を初めて日本に持ち込んだ男は、鉄道マンだったそうだ。平岡ひろし(漢字は現在存在しない)という元幕臣の官僚が明治4年から5年間渡米して鉄道技術を学んでいた。そして持ち帰ったのが鉄道技師の腕前と、野球。『新橋アスレチックス倶楽部』という野球チームを明治13年に立ち上げている。駅の構内の空地で野球をやっていたそうだが、1チームだったのかな。

そして、この展覧会が凝っているテーマが、『消えた球場』。

羽田グラウンドは大正時代には存在したが、羽田飛行場の拡張で姿を消した。つまり空港になった。

鳴海球場は、昭和2年、名鉄によって竣工される。昭和33年に消滅し、名鉄自動車学校になったが、観戦スタンドの一部が残されているそうだ。

しかし、なんといっても特筆すべきは、洲崎球場だろう。東京下町の東陽町である。

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昭和11年、大東京軍(現在のDeNAの祖先)の本拠地として開設。歴史に残る第一回プロ野球リーグ戦の優勝決定戦が行われている。ジャイアンツ対タイガースの3連戦。沢村栄治の3連投により2勝1敗で巨人が優勝。

ところが、建設場所が見つからず、海抜60センチの湿地帯に作ったため、異常にキャッチャーゴロが多かったそうだ。外野にはムシロがおいてあって水分を吸収していたそうだ。そして、翌昭和12年には沢村のノーヒットノーランはじめ、巨人、阪神が激突していて、都内から多くのファンがタクシーで押しかけ、ギシギシと危険な音のする木製の置きベンチで観戦していた。

が、栄光は1年で終わる。後楽園球場が解説されると、役目は終わる。昭和13年には、3試合だけが行われ、歴史の闇の中に消える。本展に際し、長い時間をかけ調査が行われ、球場の模型まで再現されたそうだ。今の東西線の沿線にあたる。そのうち探訪したいと思うが、もう少し調べてからにしないと無駄足になるだろう。

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そして問題の国鉄参入である。これには二つの計画が関連していて、一つは球場建設。グリーンパーク計画。現在の中央線三鷹駅の北側に支線を引いて、そこにグリーンパーク球場(東京スタディアム)を作ってしまった。風が強く吹くと砂塵が舞い上がる欠陥球場だったし、そもそも国鉄チームが弱小ということで、営業的に成り立たず、約1年の運命だった。もちろん鉄道も廃止。現在はグリーンパーク遊歩道になっている。ちょっと行きたくはない。

そして国鉄のもう一つの計画が、プロ野球への参入。大騒ぎの末、社会人野球に各地の国鉄から出場している選手を集めて昭和25年に結成。要するに、アマチュア野球人がプロに挑戦ということだ。球団のニックネームとして多かったのはスワローズではなくコンドルズだったそうだが、コンドルは日本語の「混んどる」に通じ、鉄道会社としては困るので、「座ろう」に繋がる「スワローズ」になったようだ。

国鉄スワローズは実質的には翌年入団した金田正一のためのチームであったといえる。14年間投げ続け、巨人に移籍。国鉄もまもなく終わった。

おまけだが、いまはなき近鉄バッファローズの球団マークの二本の角の絵だが、岡本太郎氏の作だそうだ。どうも、この数ヶ月、あちこちで岡本太郎や縄文土器の影が身の周りから離れない。

ハンドブックシリーズの謎

2015-07-11 00:00:02 | しょうぎ
浦野真彦さんの7手詰ハンドブック2を購入して解き始める。まえがきの中で平成23年に発行した前篇と比べて、難易度は同じと書かれているが、なんとなく前の方が難しかった印象がある。あるいは、私の解図力が上がったのか。そんなはずはないだろう。

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ただ、易しい問題にまぎれて、いくつかの難問が含まれていて、あいている時間が5分あるから、とりあえず5題解いて、というような考えは当たらない。10分考えてもわからない問題もあり、数時間たってからあらためて考え直して妙手に気付くような場合もある。

ところで、本書は浅川書房の発刊だが、著者は過去に5手詰ハンドブックを2冊出していることになっているのだが、自分の書棚には5手詰ハンドブックが3冊ある。うち2冊は日本将棋連盟の発行で1冊が浅川書房だ。

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となると、5手詰は全部で4冊あるのか、3冊なのか、あるいは2冊なのかよくわからなくなる。時間をかけて調べてみればいいのだが、同じ内容の本を2冊買ったにもかかわらず、気付いてないのかもしれない。


さて、6月27日出題作の解答。

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▲1四歩 △同玉 ▲2四香 △1三歩 ▲1四馬 △同玉 ▲1五歩 △1三玉 ▲2五桂まで9手詰。

打歩詰打開のために、歩打の王手を最終手にしないように工夫する手筋である。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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中段浮遊玉という嫌われやすい問題。プカプカ風に流され、そのままになる。普通の人間ってこういう一生を送るものだろうか。着地点なし。ああ無情。

わかったと思われた方は、最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

同じ朱肉

2015-07-10 00:00:00 | 市民A
最近、ある公的申請書を作る時に、二ヶ所に印鑑を押すことになったのだが、注記として、こう書かれている。

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相続人(申立人)の印鑑は、申請書に押印した朱肉を使用するもの。

最近は、印鑑だけでなく、朱肉まで同じものを使わなければならないのか、と驚いたのだが、なんとなく違和感を感じながら眠れぬ夜をすごしたあと、気付いたのだが、「朱肉を使用するもの」という部分が意味の塊になっていて、簡単に言うと「シャチハタ禁止」ということだろう。

シャチハタというのが、特定の企業名であり商品の一般名詞ではないので、こういう意味不明な表現になるのだろう。

サバフグの味は

2015-07-09 00:00:55 | あじ
山口県萩市で買ったものはといえば、萩焼と言いたいが、「ふぐの味噌汁」。味噌は白みそ仕立てと赤みそ仕立てが選べるが、昨年、本場下関でフグのあらの入った味噌汁は白みそ仕立てであったことを思いだし、「白」の方を選ぶ。

fugumiso


あとで、確認すると、フグといっても、「シロサバフグ」および「クロサバフグ」と記載されている。要するにサバフグだ。

サバフグのことはあまり知らないが、たぶん、サバのような味のフグなのだろうか。値段的にしょうがない感じだ。

そして、粉末状の製品にお湯をかければできあがるのだが。

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フグではなく、サバの味がする。とても残念な気持ちになってしまう。しかも5袋入りだ。

しかし、うれしいことに翌日また、この味噌汁を飲むと、残念な気持ちにはならないわけだ。最初からサバの味噌汁という気持ちになっているからだろう。

三日目に飲むと、どういう気持ちになるのだろう。商品名を「サバフグの味噌汁」としておけば、最初のガッカリにはならずにすむのではないだろうか。

中原中也記念館で思ったこと

2015-07-08 00:00:14 | 美術館・博物館・工芸品
さあ、明日は長らく懸案だった萩日帰り旅行に行こうと思ったのがちょうど金曜の夜の11時半頃で、ルートを調べているうち、これも懸案だった湯田温泉にある「中原中也記念館」も近くではないか、ということに気付く。調べると、萩の方には、「瀬戸際の世界遺産問題」や「NHK大河ドラマ」という余計なイベントが絡んでいるし、中也記念館のある湯田温泉の方には、「SLやまぐち号」の出走日という余計な話が絡む。どうも予定の計画の1時間後に新山口駅からSLが同方向に走るようだが、それだと全体に遅れが生じ・・・

もう朝2時になってしまったので、特別イベントはすべて無視することにして翌日に備え眠る。

そして、午前10時ころ、湯田温泉の中也生家跡にある中原中也記念館に到着。温泉街だ。

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まず、中也は好きだ。好きな10人には入る。どこか不完全さを保ちながら、やるせないコトバを散りばめる。個人的には「ウマヘタ詩人」と思っているが、散文における太宰治のように中也の激烈なファンは、彼の詩に「酔う」という以上に、麻薬的な痺れを感じるのだろう。

「汚れちまつた悲しみに」とか「とある朝、僕は死んでゐた」とか「海にゐるのは あれは浪ばかりです」とか。

7月末から萩原朔太郎と中原中也についての展示が始まるが、隠喩の技巧については圧倒的に朔太郎が素晴らしく、朔太郎の詩はクールで心の中が透き通っていくのに対し、中也の詩は心をかき乱す。芥川と太宰の違いのようなものだろうか。

30歳で他界(1907-1937)とは同郷の吉田松陰と同じだ。また、詩人として再評価されるまで70年以上かかった同郷の金子みすゞ(1903-1930)とは、同時代人だ。方向はまったく異なるが、二人の大詩人は近くにいたわけだ。

文学館一般に言えるが、生原稿で中也の原稿用紙をみることができる。文字には意外にも癖がない。縦書きの場合、慣れていないと中心線がいい加減になって右や左によろけ文字となるのだが、そんなこともない。

横書きの大学ノートを横にして縦書きで使っていたそうで、それでまっすぐ書けるのだろうか。「ノート小年時」といのがあって、大学ノートの表紙に「小年時」と書かれていて、その復刻版を買ってみた。少年ではなく小年と書く真意は?

二階の窓に面した小空間には、中也の頭部のブロンズ像が置かれている。生前の中也をモデルとして高田博厚氏が制作したオリジナルが大戦中に北京で行方不明となり、高田氏が残された写真を頼りに再度作り直したものである。二度目なので少しはうまく作れたということだそうだ。

この表現豊かなブロンズ像だが、実は窓際なので外から超望遠レンズでとらえることができるが、それよりも実物がほしくなってきた。

実は、このブロンズ像のレプリカはいくつか存在するわけだ。

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毎年、優秀な詩集に対して選出される『中原中也賞』というのがあって、副賞は100万円だが、中也賞そのものの賞品は、中也ブロンズのレプリカなのだ。

さっそく、詩作に取り組む。

書く気になれば大量生産可能なのだが、そういうものではないのだろう。

萩潜入2(まぁーるバス、ドラマ館、城下町、萩城)

2015-07-07 00:00:25 | たび
まず、世界遺産登録のこと。長州藩のお膝元である萩では、5か所セットになっている。さすがに総理大臣の出身地だ。反射炉、造船所、たたら製鉄所、城下町、松下村塾。

これらにストーリーを付けるなら、こうなるかな。

関ヶ原で破れた毛利家は中国地域全域から長州一国に押し込められ、一人当たり収入は数分の一になっても、それでも侍を続けた藩士たちは、他藩より貧乏であることをバネにし、欧州の産業革命を松下村塾で学び、製鉄所で生産した鋼鉄で造船所で鋼船を造り、さらに反射炉で鉄の品質を向上させ、大砲や銃器のように高熱でも耐えられる武器を作ることに成功。これによって幕府という封建的な政治形態を明治維新という政治変革運動の結果、打破し、近代国家がスタートした。

ストーリーと現実は、少し違うのだろう。さらにいえば、現在の萩の人たちは、「世界遺産に指定されることを喜んでいない」ように感じた。さらに、日本の各地からの観光客すらたいして歓迎していないような感じもある。

まず、市内の足回りだが、クルマ社会というのはわかるが、萩に来る人は、ふつうはクルマではこない。山口県は遠い。また、外国人は絶対にクルマではこない。行って分かったが、市内は広い。しかも観光地は、離れ離れだ。

基本的には歩いて、飛び離れた場所が残ればタクシーでも使おうかと思っていたが、タクシーは皆無だ。そして市内循環バスがあることは、途中で気付いたが、「東回り」と「西回り」があるのだが、同じコースの逆回りではなく、二つのルートは無関係に交差したりして部外者には理解できない。8の字が二つあるようなものだ。途中で気付いたため、萩反射炉は諦める決断に至った。というか、バスは反射炉の近くまで行って、道の駅でUターンしてしまう。

街は広いが、地図や標識は乏しい。さらに町のどこにも英語表示はない。本当に日本語しかない。意識的に「攘夷」を続けているのかもしれない。世界遺産になったらどうするつもりなのだろう。

そして、「晴れ」の天気予報だから萩に入ったのだが、大雨が降ってきた。しかたがないので、行きたくもないドラマ館で雨宿りすることになる。ドラマは歴史ではないのだが。学校の体育館みたいなところが改装されているように思える。校庭は広いので観光バスの駐車は無制限だ。感想なし。井上真央は時代劇のような「型にはまった役」では成長しないだろう。

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そして、城下町だが、実は、毛利藩士は困窮していたというのは、そうではないような気がした。一戸あたりの敷地面積は、かなり広いような気がする。たとえば百万石の前田藩は、見た感じ日本の郊外住宅のように50~70坪程度で、当時の間隔では「少し狭いかな」という状態だし、維新の雄である薩摩では、庭なしの住宅に武士が住んでいた。長州藩は一軒当たり100坪以上はあるのかな。城下街の中には、この数十年で、庭や住居の管理をあきらめた大邸宅も相当数見られる。観光客には見せられない(見てしまうが)。

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萩城に至った頃には雷混じりの大豪雨になるが、ここでひるんではいけないと城内を少し散策したところで、危険を感じ、無念の撤退。城の構造からいって、ほとんど無防備城だ。幕府の意向なのだろう。

そして、雨の日のサッカーみたいに濡れてしまう。タクシーはいないし、何しろ城の中には道路はない。城から撤退すると、雨は小降りになり、濡れた靴で40分後にバスターミナルにたどりついた頃に止む。どう考えても、毛利家の末裔の魂が私を妨害したように感じ、深く思いだすと、同じ苗字の政治家の秘書に騙されそうになったことがあったっけ。逮捕されたはず。

しかし、濡れた服や靴というのは、まったく嫌なものだ。濡れ衣被害の予感あり。

萩に潜入1(松下村塾から伊藤博文邸へ)

2015-07-06 00:00:09 | たび
前々から長州藩の藩都だった萩には行きたかったのだが、簡単には訪れることが難しい場所だった。倉敷に仮寓があることから、春に下関側から突入を企てたのだが、山陰線で金子みすゞの故郷などで時間をかけてしまい、行けなかった。今度は新山口方面からバス便で萩に入ろうと思ったのだが、ちょっと寄り道して中原中也の生地に寄ったため、午後の入萩だった。

ところで、前々から行きたかった萩だが、現在、複雑な話が発生している。

一つは、世界遺産騒動。ちょうど行った日に萩の5か所が含まれる世界遺産が認定されるはずだったが、結論先送り。個人的には、韓国の反対はピンボケとして、日本の近代化ストーリー全体をどう評価するのかというのは、実は大きな問題だ。おそらく世界史的に考えて、善悪を超越した奇跡なのだろう。だからといって善なら世界遺産で悪なら遺産価値なしということではなく、原爆ドームの価値だってそういうものなのだろう。

そして、第二の問題は今年の大河ドラマ。巨乳女優を使って、視聴率を狙ったNHKの思惑がある程度成功し、市内にはドラマ館とか各種のぼりが存在。そもそも謎の男、吉田松陰のこともよくわかってないのに、・・・

そして、私も吉田松陰のことはよくわからないが、まず、松陰神社に行く。ここには松下村塾がある。まず、特筆すべきは、この場所。いわゆる城下町との間には川が流れていて分離されている。江戸流にいうと川向うだ。両国に住んでいた勝海舟みたいだ。

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そして、松下村塾は私塾だけあり、きわめて狭い。元々が吉田家の母屋の離れにある八畳プラスアルファの1DKだったようだ(それでも今の私の仮寓より広いが)。その後、講義室というのが増築された。二十畳はないかな。いずれにしても藩の直営だった明倫館とは比べることもできない。

実際は、松陰とその弟子とは一方的に教えるという関係ではなく、議論と対話と野外活動というような経験を積み、わずか1年で維新の第一波をラジカルに始めたわけだ。

尊皇攘夷は、「尊王」と「攘夷」という二つの概念で成り立つというのが後世の判定で、当初は「尊王=攘夷」という一体不可分論で、その後、英国の海軍力の前に「攘夷」をやめ「開国」を選んだというのが定説なのだが、松陰もそうだったのだろうか。密貿易で味をしめていた薩摩はともかく、この山がちな川向うの地で世界情勢を思えば、開国することによる暗澹たる恐怖感が、長州藩士のスタートラインだったのではないだろうか。

松陰神社でいつものように絵馬チェックをすると、一枚スゴイのがあった。

「最短で政治家になります」 願い事ではなく決意表明だ。がんばれイトーヨーヘー。博文の子孫かな。


次は、伊藤博文邸。松下村塾からは徒歩5分。川向う仲間だ。現地に行って色々なものを読むと、少し人物に対する認識が変わることもある(一方、現地ではいいことしか表示しないので警戒が必要)。

この、史上最年少(45歳)記録の総理大臣だが、生まれは武士ではなかった。農民の子。それが武家の養子になった。江戸時代なら、それだけでもよかった。川向うでもいい。

ある意味、失うものなんて彼には何もなかった。しかし、彼が総理大臣になるのは、激情家ではなく、理性があったからだろう。松陰の主張する要人暗殺行為には反対していたようだ。といっても、現在の法規から言えば、懲役20年位のことは・・

そして、無類の女好きだったようだが、そんな話は萩には残っていない。横浜では有名だが。

今もわからないのが彼が朝鮮総督府の初代総統だったこと。何度も総理大臣をして名を成した人物が、なぜ引き受けたのか。

公正な研究を待ちたい。

奈義町現代美術館の大砲は?

2015-07-05 00:00:29 | 美術館・博物館・工芸品
奈義町は岡山県の北部の中心地である津山市よりさらに北上し、鳥取県境に近い場所に位置する。近くには自衛隊の日本原駐屯所があり、演習場では戦車戦や高射砲の演習が行われているようだ。海外で戦車戦に参加する日がくるのだろうか。有効なのは都市攻撃なのかな。

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そして、10年前に現代美術館がオープン。設計は、磯崎新氏。岡山はどの町も財政的困窮にあえいでいるのに、どうも超有名な設計家の方の美術館が多い(というか、それが困窮の原因かもしれないが)。

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この美術館の特徴は、なんといっても別館風に作られた円筒。大砲の砲身のようにもみえる。大砲の発射方向は自衛隊駐屯地の方向だ。角度もちょうどいい。

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実は、内部は空中庭園になっている。石庭をイメージしているようだ。上下左右の感覚が否定されている。早い話が宇宙ステーション内部と思えばいいが、あくまでも無重力じゃないのでバック転に失敗すると首の骨が折れる。


当日は特別展として『柴田れいこ展・届かぬ文~戦没者の妻たち~』が開催されていた。

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岡山県内の各地に生き残っている「戦没者の妻」をさがしては、そのメッセージと画像を記録。結婚して夫が戦争に行って亡くなる。そして70年が流れる。そして今もその時の気持ちに引きずられて90歳を過ぎた現在、生き続ける女性の画像が100人ほど並ぶ。

一つずつ丹念に眺めていると、かなりの数の岡山県出身兵士が、1945年8月にミャンマー(ビルマ)で亡くなっていることがわかった。その頃、ビルマ戦線では英国軍と激戦中だった。つまり1945年7月26日に発せられたポツダム宣言の後、日本が受諾するまでの間に亡くなっているわけだ。私の岡山の実家の本家(江戸時代に分家した)の跡取り息子も未婚ではあったが、このポツダム宣言以降にビルマで亡くなっている。今年90歳の妹が家を引き継ぐも、未来は見えない。

ポツダム宣言の前後の順番に不案内な政治家がいるらしく、かなり悲しい。

いつの間に始まりいつの間に終わる

2015-07-04 00:00:32 | しょうぎ
将棋ペンクラブの会員なので、定期的に通信誌が届いて、ちょっと愕然としてのは、関東交流会も関西交流会も賑やかに終わったという記事。自由対局や指導将棋など。

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もともと、入会したのは、関東と関西と行き来しているので交流会に行きやすいと思ったからだが、最初に行った関西交流会があまりの閑散状態で、次はどうなるのだろうと思っているうちに、いつの間に始まりいつの間に終わったようだ。どこかで秘密の連絡網があるのかな。あるいは高い方の会費が必要だったのか。HPは開店休業だし・・

海賊小説で有名になった首相の知人みたいに「つぶしてしまえ」と言いたいが、小説を書く際に海賊王の興した会社の取材に際し、「負の側面には触れないこと」という内容の条件があったという噂を聞いたことがある。仮にそうならば、「ペンの力もそんなもの」と思っているのだろう。そんなもののように怒ってもしょうがないね。

それと、あまり指導将棋というのは好きじゃない。相手の先生が大長考になることが多く、周囲からスケジュールの都合上、白い眼で見られることが多い。中盤で早くもトン死筋を狙っていることを察知され、慎重の上にも慎重ということになるようだ。相手の考慮中に投了するわけにはいかないし。

次は、将棋ペンクラブ大賞の贈呈式があるようだが、9月の5連休の前日の夕方。行くのは、無理っぽいかな。


さて、6月20日出題作の解答。

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0704k


まで23手詰。

果てしなく王を追いかける。単独犯だ。21手目は手が分れる。改造中だが、全然違うものになりそうだ。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

0704m


詰パラ落選作品集より自薦作。(落選作品集なんてありませんけど)

わかったと思われた方は、最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

焼きギリシャヨーグルトはオカラバーガー味

2015-07-03 00:00:08 | あじ
最近、話題はギリシャ国民投票の予測だが、結果を占うために『焼きギリシャヨーグルト』を作ってみた。うまく焼き上げられるか、デフォルトか。

もともと数年前からニューヨーク(NY)でブームだったギリシャヨーグルトだがNYでは、デザートとして、濃厚なギリシャヨーグルトに次々に高カロリーなトッピングをして、というコンセプトだったのだが、日本に上陸するとダイエット食品となってしまう。

早い話が水切りヨーグルト。ギリシャだけじゃなく、バルカン半島やトルコの方でも伝統的には、この「固いヨーグルト」が主流だ。日本の豆腐も沖縄にいくとコチコチのもので驚くが、ギリシャヨーグルトは、それほど固いわけじゃない。

で、ふつうのヨーグルトを水切りしてから焼く方法もあるが、水切りに一昼夜かかるので、そんなにゆっくりでは困る。ギリシャ問題と同じだ。すぐに実行したいわけだ。

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ということで、市販のギリシャヨーグルトを買ってきて、グラタン皿に盛って、オーブントースターに。焼くこと30分で取り出す。少し焦げた。

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次に皿ごと水で冷やし、ブルーベリージャムで、ギリシア国旗のペインティングを試みたが、うまくいかない。色も違うし、横縞の数も違うし、まあ、一応努力したものの・・・ということにしておく。

greece3


次に、盛り付けだが、二つにシェアして、今夜のデザートと明朝のメインディッシュにする。

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ただ、なんとなくスカスカといった食感で、1時間前までヨーグルトだったという痕跡は感じられない。切り口の断面をみると、ガンモドキ状だ。気泡入り。舌の感触からいうと、オカラバーガーに極似といったところだ。


デフォルトは免れたものの、それだけの話ということかもしれない。

残り半分を明朝のメインディッシュにするには、とんかつソースをかけてみようかな。

ラヂオの時間(映画・1997年)

2015-07-02 00:00:34 | 映画・演劇・Video
radio三谷幸喜の初監督作。この映画の基本構造は生放送で行われるラジオドラマの放送。初めて書いた脚本が採用された主婦(鈴木京香)が放送現場にいるのに、まず出演者の主演女優がクレームをつけ、舞台が熱海からニューヨークに変わる。


さらに、別の俳優のわがままでシカゴにかわり、女弁護士とパイロットの恋愛に変わる。その都度脚本を書き換えながら生放送は進んでいくのだが、主婦の夫が乱入したり、スポンサーからクレームがあったり、怒った出演者が勝手な話を付け加えたりして時間が無くなりいくつかのパートをカットしようとすると出る幕がなくなる役者がいたり・・・。

どんどん原作から離れていき、エンディングの方向も変わってしまうのだが、・・

ところが、やはり悲劇ではなく喜劇に戻すことになったわけだ。まあ、十秒ほど付け加えただけだが。

どうも三谷幸喜自身、初めての脚本が、ぐちゃぐちゃにされた経験があるそうで、早い話が映画の脚本と監督と一緒にやってみたようだ。高速コメディというのかな。思えば、初めての脚本がぐちゃぐちゃにされたからこそ、それを題材に監督をはじめたわけだから、十分に元を取ったような気がする。