モアイ、視線を合わさず(何か?)

2007-09-16 00:00:47 | 美術館・博物館・工芸品
bb912457.jpg世界の七不思議と言えば、必ず登場するのが、太平洋上の孤島、イースター島に林立するモアイ像。もちろん、イースター島に人が住んでいること自体が不思議ともいえる。そして、違う種類の不思議は、その島を領有しているのが、遥か遠くのチリであり、また、そのチリの国土の形も奇妙である。

もっとも、イースター島に人が住んでいるのは、ハワイに人が住んでいるのと同じ程度の不思議さと言えるし、チリがイースター島を領有しているのは、デンマークがグリーンランドを領有したり、日本が小笠原諸島を領有しているのと、同程度の不思議さなのかもしれない。

そして、もともとここに到達したポリネシアン達にとって、このモアイは、「権力の象徴」だったそうだ。島内でもそれなりに、闘争があったらしく、権力者はモアイを作り、自らの権力の安定をはかった。ピラミッドみたいだ。もちろん公式的には、島民の安全のための守り神だった。

bb912457.jpgところが、問題は南米大陸で発生する。スペイン人の侵入と謀略により、南米大陸に元からあったインカ帝国やその他の政治的集合体はすべて壊滅し、葬られる。大量の財宝がマドリードに運ばれ、逆にそれによりスペイン経済の崩壊が始まるのだが、イースター島も略奪の嵐から逃れることはできず、住民の多くが、強制連行され、島の歴史は断絶する。


そして、500年後の現代。イースター島は観光の地になり、チリ本土は銅鉱石とワインの国になる。縦長の国家は南北4300キロもあり(日本は斜め方向に3000キロ)、北の砂漠地帯から南にはパタゴニアという寒冷地帯があり、さらにツンドラに繋がる。そして、大きな声を出しているわけではないが、現在のところ世界で唯一、南極大陸の領有権を主張している国だ。先史時代には南極にチリ人が住んでいた証拠があるらしい。個人的にはノーコメント。在日チリ大使館のHPを読むと、チリ概観というページで、チリの面積についての記述があり、南米大陸での面積が756,096平方キロで、島嶼部で180平方キロと書かれていて、さらに南極大陸を加えると2,006,096平方キロとなっている。

もちろん、南極の所有権を主張するのは勝手だが、一つ忠告をするなら、仮に南極の所有権がチリに認められたとして、そこに貴重な資源が発見された場合。その資源を奪い取ろうと企てる横暴国家は、南極大陸に特注の砕氷艦隊を送る必要はなく、サンチアゴ沖に数隻の黒船を浮かべればいいだけだ。


bb912457.jpg物騒な話は止めにする。突如、フランス、米国などのツアーを始めたのが新作物のモアイ。東京駅前、丸ビル内に登場。9月17日までだ。ようする岩石を掘りぬいて、地面に仰向けのモアイを寝かせる、そっと引っ張り出して立たせ、今度は背中に装飾的な彫り物を入れるのだろう。古来のモアイ像は太平洋を吹き抜ける季節風で風化し、体や顔の輪郭がぼけてしまって、逆にそれが味になっているのだが、新作には目玉がついている。現代風に目が動けばいいのだが、視線は、まっすぐ遠くに向いている。鉄人28号の風貌に似ていると感じるのは私だけだろうか。私から視線をはずしているのには、何か隠し事でもあるのだろうか。

今回は、地球環境の保護のための象徴として来日したことになっているのだが、モアイが痛い目にあったのは地球環境の変化のせいだったのだろうか?ただのチリワインのセールスマンの一人と思ってみればいいのかもしれない。


さて、先進国巡業が終わった後、果たして、このモアイに安住の地はあるのだろうか。もちろん、愛・地球博の冷凍マンモスとは違って、どこにおいても電気代はかからないだろうが・・・


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慙愧(ザンキ)にたえない充実の日?

2007-09-15 00:00:31 | しょうぎ
yahoo!のポータルサイトに将棋の話が登場するのは、たいてい将棋の話ではない場合だ。今度は、「引退勧告」。流行の言葉だ。某首相、某横綱、某監督兼捕手、某若手長身サッカー選手などが追い詰められている。今度は将棋指しだが、またも登場したのは武者野六段。

日本将棋連盟(社団法人)は次の発表を行った


武者野勝巳六段 不戦敗の処分について

平成19年8月6日、棋士の第一公務である対局義務を怠った理由により、100万円の罰金と不戦敗した棋戦の次回出場停止の処分を受けておりました武者野勝巳六段(53歳)が、9月11日(火)、王座戦(対 沼春雄六段戦)に不戦敗いたしました。

今回の不戦敗を受け、弊連盟理事会は、武者野六段へ引退勧告を本日付で通達いたしました。このような事態を招いたことは、弊社団として慙愧にたえないところであり、今後このような問題が生ずることの無いよう、棋士全員が一丸となって弊社団の社会的責任を自覚し、伝統ある将棋文化の発展に寄与していく所存です。

平成19年9月12日 日本将棋連盟 理事会


また、毎日新聞記事より。


将棋連盟:武者野六段に引退勧告 対局不参加繰り返す
 日本将棋連盟(米長邦雄会長)の理事会は12日、公式戦の場に現れず不戦敗を繰り返し罰金などの処分を受けていた武者野勝巳六段(53)が11日にも不戦敗したことから、同六段に対し引退勧告を通達した。同連盟による棋士への引退勧告は初めて。本人が受け入れれば引退棋士となる。勧告に強制力はないが、極めて厳しい処置だ。

 同六段は過去20年で6回も不戦敗をし「棋士の第一公務である対局義務を怠った」として、8月9日に罰金100万円と当該棋戦の次回出場停止処分を受けた。しかし、11日に予定されていた王座戦1次予選の対局に姿を見せなかった。

 同連盟は「今回の事態を招いたことはざんきに堪えない。今後このような問題が生じることのないよう、棋士全員が社会的責任を自覚し、伝統ある将棋文化の発展に寄与していく」としている。

 ▽武者野六段は「対局不参は申し訳なく思うが、11日の対局設定については連盟事務局と認識の違いがある」と、過失ではないと主張している。
 毎日新聞 2007年9月12日 20時42分


どうも、本人は、対局通知の通知が郵送されていない、ということを言っているようだが、それはなかなか理解しがたい話でもある。

まず、本人が、対局場に所定の時間にあらわれなかったのは確かだろう。しかるべき、遅刻許容時間が経過すると、不戦敗になる。本人が、対局通知を受け取ってないというのだから、何ら連絡はなかったのだろう。そして、もちろん、1ヶ月前に重大な処分を通告されたばかりなのだから、関係者が頭を抱えたのは言うまでもないだろう。

そこで、武者野六段の言う「対局通知が届いていない」ということが、あるのかどうか。考えられるのは、「郵便事故」または「罠に嵌められた」という可能性。

しかし、多くの将棋ファンは日本将棋連盟のホームページに、「最近一週間の結果」と「今後一週間の予定」のページがあるのは知っているはず。棋士の最大の関心は、自分の参加している棋戦のトーナメントの次の相手。また、タイトル戦の結果や、自分が既に敗退していたとしても他の棋士の星勘定のはず。武者野六段は米長連盟会長とソフト盗作裁判を争ったくらいの棋士なのだから、パソコンを見ないということはないだろう。少なくても1週間に1回でも、この対局予定のページを見れば、自分の名前を見つけることはできたはずだ。

また、そのページに記載されているということは、敵対関係の会長派が意識的に対局通知を郵送しないで、罠に嵌めようとしても、本人が罠に気付いてしまう確率が極めて高いのだから無効だ。

つまり、本人が「郵便が届いていない」と言うことは可能で、主張を否定することはできなくても、それを信じる者はいないだろう、ということ。

それでは、なぜ、対局ボイコットしたか?

将棋よりも重要な用件が発生し、やむなく不戦敗したのだろうか。あるいは、総理と同様に気力喪失ということだったのだろうか。是非、本人から説明を聞いてみたいと思える。

このまま、引退勧告を無視すると(たぶん、そうなる)、棋士総会で除名になるのか、あるいは、将棋連盟が対局を割り当てないという行為に出るのだろうと思うが、まあ、後は、正々堂々と裁判で争ってもらいたい、と思うのである。


ところで、日本将棋連盟の発表した声明だが、その中に、「弊社団として慙愧にたえないところであり」という記載がある。この慙愧(ザンキ)にたえないというコトバだが、「慙愧=自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じること」という意味なのである。したがって、慙愧にたえないというのは、将棋連盟自体が反省する、ということなのだが、特に会長以下の責の話はまったくない。

しかも、将棋連盟の米長会長がネット上で公開している「さわやか日記」の9月12日のところには、次のような記載がある。


充実した一日 投稿者:米長邦雄 投稿日:2007年 9月12日(水)17時25分59秒

 火曜日は私の個人事務所へ週刊誌の取材者3名来訪。私の6ページ特集が出るのです。決定しましたら詳報をお出しします。約2時間でした。
 7回目の不戦敗をした者が出た。忙しい時に困るんだよなぁ。総務と渉外に指示を出す。
午後4時半に日本自転車振興会へ。来週の評議員会の打ち合わせです。
 午後6時半からは新喜楽で旧知の友人2人と部長氏を加えた4人で会食。うまい、うまい。酒が料理に合うので次から次へと注文。楽しい酒でした。


慙愧にたえないが充実の日だったそうである。引退勧告を発した後の酒は、さぞかし旨い酒になっただろう。歴史を遡れば、織田信長が浅井・朝倉連合軍を打ち破ったあと、敵の大将3人から切り取った頭蓋骨の頭頂部分に金箔を貼って、勝利の酒盛りをしたことを思い出してしまう。時に朝倉義景41歳、浅井久政47歳、浅井長政29歳。そして武者野六段53歳である。


まあ、この辺で、仲直りのしるしに、一緒にモンゴルに行って温泉に浸かってきたらどうなのだろうか(あちらにはモンゴル将棋というのがあって、2手連続で動く皇太子も詰めなければ勝てないらしい)。


73dc684f.jpgさて、9月1日出題問題は、余りにも易しかったかもしれない。

正解は、

▲2八銀上 △2九玉 ▲3八銀 △同玉 ▲4七龍 △2九玉 ▲3八龍 △同玉 ▲5六角までの9手詰。要するに押し売り問題。名古屋の朝日新聞拡張団員真っ青である。銀を三ヶ月契約で売りつけたあと、龍を6ヶ月契約で売りつける。入り口のドアから外に引きずり出された後、つかまってしまう。

狙いを単純化して易しく作ってみた。




73dc684f.jpg今週(9月15日)の問題は、妙なところに双玉がいる。盤面、相互に質ゴマだらけで、駒を取るのか取らないのかもはっきりしない。実際は盤面駒数は2減1増である。不動駒が多いのがキズかな。9一の玉が金ではいけないのか、と言われると弱いが、一応、金だと余詰がある。

わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と手数と酷評をいただけば正誤判断。






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台北速攻(5)

2007-09-14 00:00:39 | たび
9a9af5ed.jpg三日目の朝、やっと起きる。どうも1時間の時差が、体調を狂わせている。最初の日に1時間分多く遊んだため、その後遺症が残っている感じだ。日本でサマータイムを導入すると、そういうことが起きるのだろうか。そういえば、明け方に、夢と現実の間で、きのう保安宮で引いたおみくじの中の「行人未達」ということばは、「旅行へ行くと、目的地に到達しないこと」を意味することに気がつく。きょうの最終目的地は日本なのだが、「未達」というのは不吉ではないだろうか。台風が日本に向かっているのに。

9a9af5ed.jpg『台北101』そして、念のためフライトスケジュールを再確認すると、重大な欠陥を発見。昨夜のボケ頭での時差の計算間違いを発見、プラスマイナス往復で2時間が一瞬で消える。高さ501メートルの台北101ビルの展望台は10時からなのだが、またたく間に上って下りて地下鉄、またはタクシーに乗らなければ帰国便に乗り遅れることがわかった。乗り遅れると、今度は高いチケットを買わなければならないし、さらに遅れると日本上空で台風に遭遇することになる。早めに出発するしかないのだが、外は昨夜来の雨。確か、雨が降ると、展望台は雲の中に入るはず。

そして、展望台入場料の350元(1200円)を残して、地下鉄で市役所駅を出ると、11時からは駅と台北101間に無料循環バスがあることが判るが、待つわけにはいかない。さらに遠目でもビルの上部は雲に隠れている。微妙なタイミング。実は、先日、川崎の東芝科学館に行ったときに、この台北101のエレベーターに乗ったときの体感映像を味わっているのである。その時、疑問に思ったのは、周りに見えるのが都会だけではなく、山や荒地だったことなのだが、それは現地に行って納得できたのである。台湾は山が多い。高さ3000メートル以上の山が133もあるそうだ(未踏の地もあり)。

9a9af5ed.jpg『路面悪し』結局、雲は少しずつ薄らいできたものの、飛行機乗り遅れを恐れ、Uターン。これも次回へキャリー案件にする。しかし、台北の街は、足元が悪い。歩道は凸凹だし、小さな階段が多いし、水溜りだらけ。足元に注意していないと5分に一回は躓く。酔って歩くと、顔面を道路に打ち付け、”篠原ともえ”みたいに前歯10本折ってマスクして帰国しなければならなくなる(帰国後調べたら篠原ともえは道路で転んだのじゃなく、ホテルで暴れたらしい。原因は中村獅童に食い逃げされたことが確定したかららしいのだが、それ以来、あまり見ないような気がする。華原的になる前に、出身大学の学歴を生かしたファッションデザイナーに転進した方がいい)。そして、101の展望台に上がらなかったため浮いた350元は土産のウーロン茶に変わる。

その後、とりあえず何事も無く飛行機は成田に向かい、乱気流に巻き込まれること2回の末、タッチダウンに成功。さらに、飛行時間と同じ時間をかけ、横浜に帰着。


『今回行き損ねた場所』というか、もともと2泊では行ける訳もないのだが、
 1.千と千尋の神隠しのモデルタウンとなった九份地区観光
 2.テレサ・テン墓参り(ちょっと調べていて、聞きたいことがあった)
 3.故宮再訪・再チャレンジ
 4.基隆港・淡水などの北部の都市
 5.台湾海峡の向こう側、大陸から見える不沈空母島、金門島

『日台関係について』日本では大手ジャーナリズムがまったく報道しない国だが、経済的にはかなり深くかかわっていることがわかった。特に台湾側から日本に対しての関心は非常に高く、例えば、現在、ベストセラーのトップは「雅子妃:菊花王朝的囚徒」である(近隣他国でベストセラーになっているものを日本語訳で出版しないのはまずいんじゃないだろうか、とは私見)。

将来、台湾が北京と同質的一体化することは十分に考えられるわけで、それは台湾が北京になるときではなく、北京が台湾になることなのかもしれないわけだ。日本が将来、北京に飲み込まれないための方策の一つは、現在の台湾に深くかかわっていくことかもしれない、と思いながら、9月、10月には3連休が多いなあ、と再び考え始めるのである(「行人未達」の予言が気になるが)。

とりあえず、終わり。


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台北速攻(4)

2007-09-13 00:00:16 | たび
514cdbbe.jpg『小籠包』そして、朝から続いた臨時組み合わせのツアーは解散し、有志によって、夕食の小籠包を食べに行く。店の前には大勢が並んでいるが、やっとのことで6人テーブルに座ることができた。向かい側の老婦人二人は、食卓の上の山のような小籠包に恐れをなしたようだ。どうもコトバに癖があるので、「名古屋からですか?」と聞くと、正解。すかさず、違う席にいた若い女性が、千葉に住んでいるのだが、名古屋出身であることをカミングアウトする。まずい・・。名古屋人たちを悔しがらせるために「19,800円のツアーです」と言ったら、本当に悔しがり、きょうのツアー料金は内数なのか外数なのかとか、小籠包レストラン代は別なのか・・とかカネの話ばかりだ。名古屋人の祖先は台湾から来たのかもしれない。

『名古屋人おそろし』そして、一人当たり8個の割り当ての小籠包を食べきれない名古屋の老夫婦はしきりに、私に残り物を片付けるように薦める。そして、なんとか全部始末したと思って立ち上がろうとすると、「野菜も残ってます」と鬼の一言が追加される。例の隠れ名古屋の若い女性だ。名古屋怖ろしだ。

514cdbbe.jpg『士林観光夜市』その後、もっとも有名な夜市(よるいち)、士林観光夜市へ。さらに何か食べようと思ったが、満腹。名古屋人のせいだ。急に大粒の雨が降ってきて、たまたまカバン店の軒先に入ると、店内から威勢のいい若い男の声で、「ビトン!ビトン!ビトン!ビトン!!」って・・これでも日本国よりも国債の格付けが上の国なのだから嫌になる。


『足踏みマッサージ』次は台湾式足踏みマッサージ。90分で1500円元(5500円)と日本より割安だ。だいたい台湾の物価は、一次産業(農作物)は日本の1/2程度。そして二次産業・三次産業では2/3程度。要するにうつぶせにした背中の上を、足で踏んで痛めつけるマッサージ法だ。ところが、日本のマッサージと違って、最初は仰向けにされ、頭の皮をマッサージする。そして腕や肩も前からもみ始める。そして、次々にマッサージ以外の余計なサービスを薦められる。例えば、足の爪の手入れ、足裏の角質の除去、そして耳のそうじ(湿度が高く、大陸から土煙が飛んでくる)各付加サービスは2000円ずつ位。全部断る。

で、売り込み失敗のあと、うつぶせにされ、足踏みが開始される。個人的には、肩凝りで患っているのだが、腰のマッサージは大変よく効くのだが、肩こりは今一だ。マッサージ終了で目を開けると、コンタクトレンズがどこかに飛んでいってしまい、何だか視力が定まらない。店の名前をよくみると「豪門世家」と書かれている。ゴーモン的だったわけだ。

そして、疲れた頭で、明日の帰国前に行く予定の、世界最高の501メートルのビル「台北101」への道順と時間、さらに残り僅かな所持金を補充するためのシティバンクのATMの場所を確認し、夢の中に沈んでいく。

そして二日目は終わり、三日目が始まる。
続く


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台北速攻(3)

2007-09-12 00:00:27 | たび
ところで、台北の街だが、大阪に似ている。人口も200万人強。ソウルでも大阪に似ていると思ったのだが、東アジアの都市が、勝手気ままに無秩序に発展すると「大阪」になるのかもしれない。エスカレーターも右寄せだ。そして、最近、靴の紐がほどけてエスカレーターの終点に吸い込まれる事故があったらしい。ちょっと怖ろしい結果を連想してしまう。また、新聞では、巨額の汚職の話とか、寺院の長が若い女性を軟禁し、ご禁制の遊戯に耽っていたことが書かれていた(ようだ)。日本に似ている。

『共通免許』実は、あと数ヶ月で日台間では運転免許証の相互認定が行われて、日本の免許で運転できるそうだ。もちろん逆も可。ところが、これがまったく薦められない。基本的に日本のどこよりも台湾の交通マナーは違う(日本流に言えば、「最低」)。横断歩道を歩いて渡るのは、かなり危ないのだが、しかたない。問題は、台湾の人が日本で運転するときか?危険の輸入。車のサイズは日本と同じ(ただし右側交通)だが、バイクが異常に多い。一説には人口2200万人対し、1100万台。つまり二人に1台ということ。しかし、大多数のバイクは二人乗りなのだが、二人に一台だったら、全員がバイクの上にいることになる。謎だ・・

276b74c5.jpg故宮博物院台湾ツアーも二日目の夕方。ついに故宮博物院に行く。最大のお目当て。しかし、どう考えてもツアーで行くと時間が短い。というか、いずれにしても、65万点以上の収蔵品なのだから、今回は、下見のつもり。実際は、一部の常設品以外は毎年展示を変えているそうである。22年間、毎年通うと、全品を鑑賞することができるらしい。そして、私は、既に北京にある方の故宮博物院は観ているのである。

つまり、元々は北京にあった宝物を、中華民国が台湾に逃亡する時に袋に詰めて持ってきたわけだ。その理由は台湾側から言えば、共産主義になって宝物が散逸するのを防ぐため、ということになり、北京政府からは、略奪品ということになる。北京に残っているのは建物と残した物だけ、ということ。それで、両方を観て、初めて中国の歴史遺物を知ることができるわけだ。若干気になったのは、いわゆる象牙の立体彫り(象牙細工の中に別の象牙細工が組み込まれているもの)。台北には3個しかないと言われているが、北京ではもう少し多数を見た。運搬中に壊れたのか、あるいは壊れそうなので運ぶのをあきらめたのか?聞くに聞けないので・・

『中国八千年の歴史』博物館の内部は撮影禁止なので、HPを見てもらえばいいのだが、いきなり驚いたのは、中華”八千年”の歴史。少し前は、中国三千年の歴史がいつのまに四千年の歴史に変わっていたのだが、今度は八千年の歴史だ。紀元前六千年の頃に文明が存在した考古学的証拠があるそうだ。しかし、ここは台湾なのに・・

それと、この博物院で「現代」というと、明と清の時代を指すようだ。そうでないと八千年の歴史と辻褄が合わなくなるのだろう。1時間の鑑賞時間ではほんの一部だけだが、それでも芸術満腹感に襲われる。次回、来た時に期待だ。

276b74c5.jpg『総統府』次に、総統府。現在の主は民進党の陳水扁氏。現地ガイドは、日本を例にして色々言っていたが、台湾の総統にあたるのが、日本では総理大臣なのか天皇なのか、あいまいだ。というか、その元首問題は日本人のタブーの一つだ。そして現在、陳総統は、国連再加入を狙って、世界各地に行って、おカネをばらまいて画策中のようだ。そんな話は日本では聞いたことなかったが、結構タフな国だ。そしてこの国は世界中の制度を研究していて、いいところはどんどん吸収している。どこかで見たようなシステムがあちこちに存在する。

276b74c5.jpg『中正紀念堂』次に、中正紀念堂だが、この公園はきわめて広い。中正とは蒋介石のことだそうだ。国民党だ。そのため、民進党の陳は、この公園や建物の名前を国民党と無関係に改名しようとしていて、物議だそうだ。何しろ、この紀念堂の他にも国父記念館(孫文)もある。李登輝メモリアルはないようだ(確信はないが)。たぶん、国民統合のためのシンボルが必要なのだろう。

続く


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台北速攻(2)

2007-09-11 00:00:32 | たび
台湾は、地図の上では上海より南。基本的にはほとんど夏なのだが、地球温暖化の影響で夏が暑すぎるようになった日本と大差ないような気がする。事実、ほとんど東京と同じ体感温度だ。30度前後。もしかすると、物価の安い台湾は、日本人年金生活者にとっては天国かもしれない。コトバは問題だ。日本語のわかる人がかつては多かったのだが、それはすべて日本統治下に生まれた世代の方々のことを示していただけで、歴史は流れ、世代は変わっている。

しかし、様々な歴史的な紆余曲折によって、いまや世界で最も親日的な国(国というコトバは微妙だが)のようだ。セブンイレブンは信じられないほど多い。大戸屋も吉野家もある。車はトヨタが多いし、日本企業の看板は数多いし、米国系企業はスタバ位だ。台北の街を歩いているのは、地元の人と日本人観光客ばかり。

3b1776aa.jpg『夜市&セブン』さて、到着が夜遅かったので、とりあえず、近場の夜市(よるいち)へ行ってみる。が、なかなか行き着かない。ホテルのホームページの地図が間違っているからだが、こういうのはよくある。地下鉄の駅から近いように誤解させる方法だ。散々迷って辿り着き、とりあえず、海鮮風焼きそばを食べてみるが、暗くて何が入っているのかよくわからない。干した牡蠣だけは確信できた。帰りにセヴンイレヴンでスタバのマークのついたストロベリー系のドリンクと中華風の菓子パンを買うと、買い物袋別売で1元(4円)必要だった(帰国直前に再び、セブンに袋を持参していったら、1元分の次回割引券をもらった。次回使えるわけだ)。そして、ストロベリードリンクは見た目の3倍の甘さで、さらに菓子パンの中には豚肉のデンブのようなものが入っていて、残念ながらどちらも途中リタイア。

3b1776aa.jpg『保安宮』二日目は半日観光コースなのだが、8時半から午後6時までだった。ようするに半日というのは、台湾では10時間くらいのことを指すようだ。41人乗りのバスに39人を乗せて移動する。まず、保安宮。一度もいったことのない街のことはガイドブック読んでも、今ひとつ頭に入らない。”旅慣れた人は読んではいけない”と言われる「地球の歩き方」を事前に一読していたのだが、この保安宮のことを”保安官”と読んでいて、警察のようなものだと思っていた。ワイアット・アープ。とんでもない間違いで、保安宮は、表向きは学問の神様。実際は、台湾人はお願い事をするために、ここに来ることが多いらしい。どちらかと言うと、大きな願いではなく、短期的小規模のお願い向けだそうで、「きょうのお願い」とか。

3b1776aa.jpg『おみくじ』オミクジを引いたのだが、表面は古語で書いてあるらしく、意味不明で裏面に訳語が書かれている。これもあまりわからないが、どうも終わりの方に、「掃除をするように」というアドバイスがあるように思える。吉凶相乱れる相のように思えるが、功名は難しく、失せ物は無しで、婚姻は難しいが女が生まれるそうだ。「行人は未至」とは何だろうか。何か帰りの飛行機に乗り遅れそうな嫌な予感だ。よくわからないが、偽札を一枚渡され、かまどで燃やす。死んだ後、天国の方にいけるワイロだそうだ。

そして、孔子廟を覗いたあと、忠烈祠に行く。日本の靖国神社のような場所だが、まあ、深入りしないで、全員あっさりと写真撮影して次に進む。

ところで、一般に、台北市内には樹木が少ない。狭い町を十分に使っていて、空いている場所には、大小の看板が立ち並ぶ。看板を見ていると、見たことのある女性と思ったら、カネボウ化粧品の「代言人、中島美嘉」となっていた。代言人とは弁護士みたいだ。「カネボウに対する債権保有者は中島弁護士に連絡すること」。余談だが浜崎あゆみはこちらでは人気失墜だそうだ。台北来訪時の記者会見に2時間遅刻して、その間にシャネル百万円(元?)買い物していたことがバレタわけ。ミニ朝青龍。そういえば、日本でも最近見ない。

『そして、昼食。』地元で有名?といわれる中華レストラン「梅子」。しかし、せわしない。中華圏の特徴。歩くのも早い。食べるのも早い。アッチも早いのだろうか?。梅子では、まあ、普通の台湾料理が次々に運ばれてくる。台湾は、複雑な歴史を持っていて、中国各地の文化や料理が入り混じっていて、その中国各地のすべてを受け入れているモザイク文化である。だから、台湾とは何だ!とは言わなかったのだが、もちろんその辺について民進党と国民党が、来年の総統選で、激突するわけだ。

そして、すばやく、かつ大量に胃袋に料理を流し込んだ後の、台湾スイーツは、見かけは豪華で、甘さはさらに見かけの3倍なので、どうも持て余してしまう。

3b1776aa.jpg『お茶の水博士』そして次は、キャンペーン価格の旅行につきものの強制ショッピングタイム。なんと4軒。まずはお茶博士。雰囲気はお茶の水博士みたいな方があらわれて、コトバ巧みに台湾のお茶の秘密を解説。おいしいお茶の入れ方の実演から、選び方まで。ツアーに今までいなかったサクラまで登場する。次に免税店。さらに漢方薬店。ヤケドがクスリを塗ると瞬時に治るマジックショーが見られる。そして、4軒目がDFS。いくらなんでも多すぎじゃないかな。4軒回って、結局、ウーロン茶の茶碗と急須、パイナップルケーキ2箱、ドライマンゴー2箱。そして、こっそり口紅2本。ケチだな・・

続きは、明日・・


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台北速攻(1)

2007-09-10 00:00:04 | たび
先週の初めに台北に行っていた。最近、大流行の夏休み後倒し作戦。理由は主に二つ。「安い」&「すいてる」。想像のとおりである。

ところが、横浜の北の方に住んでいると、成田は遠く、かつ高い。横浜-都内間は別にして、都内から成田までのおよそ5種類の方法と必要時間と費用は次の通り。公称(自称?)の早い順に書いてみる。

 1.JR 成田エキスプレス (東京発) 54分  2940円
 2.リムジンバス     (箱崎発) 55分  2900円
 3.京成 スカイライナー (日暮里発) 56分 2000円
 4.京成 特急      (日暮里発)72分  1000円
 5.JR 快速        (東京発) 86分  1280円

そして、もちろん「4」を選ぶのだが、そうすると、渋谷駅から山手線外回りに乗らなければならない。機内持ち込み可の小型のスーツケースにしているが、それでもかなりの邪魔者。まあ、気にしない。新宿を過ぎ、池袋からは、スーツケースの男女が徐々に増えていく。そして、問題のJR日暮里駅で、別のホームの京成線に乗り換えるのだが、顧客を奪われたくないJRは乗り換え階段にエスカレーターを取り付けていない。きれいなエスカレーターに乗ってしまうと、そのままサヨナラになる。池袋から山手線に乗ってきた、東京タワーの表紙のハングルのガイドブックを読んでいたお行儀の悪い二人連れのコギャルは、無事に韓国に帰れただろうか?

そして、京成線の特急は、空港専用でもなんでもないのだが、特にアジア系の方に人気で、スーツケースが車両内に林立していて、普通のお客様には大迷惑だ。かといって、実は、京成が成田からの高速鉄道を都心まで引き込む工事を進めているのだが、たぶん経営的には大失敗になるような気がする。要するに、安いから京成を使っているのだからだ。

そして、今回はある旅行会社の設計した格安プランのチケットなので、団体専用カウンターに向かう。各社の窓口が並んでいるのだが、そのうち一社の窓口だけに長蛇の列ができている。HIS社である。元株主。そして、私もその列の最後部に並ぶのである。何しろ、2泊3日、半日観光付で19,800円!と恐怖の価格破壊である。もっとも、その他に1万円以上の燃油サーチャージがかかるというのが理解できない。サーチャージは同じ飛行機の同乗者は均一料金らしいが、もともと航空運賃の一部なのだから、航空券の価格に比例すべきではないだろうか。

そして、台湾と言えば、先日の那覇空港で派手な立ち回りをした中華航空だけは嫌だなと思っていたら「日本アジア航空(日本航空)」だった。まあ、・・

そして待合室では、薄型テレビに、政府広報の宣伝ヴィデオが流れる。「美しい国へようこそ」の英語版。アナウンサーは安倍ちゃんである。かなり暗いイメージでボソボソと英語でしゃべっているが、「日本でこのヴィデオ流してどうするんや」、「本心では、観光客も移民も難民も歓迎したくないくせに」とか思ってしまう。

そして、定刻通りジャンボに乗り、エプロンに向かうのだが、先行機がいて、待たされる。中華航空のジャンボだ。後ろから見ていて思ったのだが、那覇空港の時は、中型機のB-737だったのだが、ジャンボの定員は400人以上。果たして90秒で逃げ出せただろうか。一部は二階建てだ。そして、737の操縦席の窓から脱出して台湾で英雄になった優柔不断のパイロットは、ジャンボの場合、とても飛び降りられないほど高いところにコックピットがあるので、どういう方法で脱出しようと企むのだろう、と考えたがわからない。

中華航空の飛んだ後の気流の乱れの中を飛ぶのは不安だなあ、とか感じているうちに、先行機の2分後に飛行機は動き出したのである。

さっそく、機内誌を読むと、オセロの二人が台湾キャンペーンを張っていて、「台湾、台湾、行きタイワン」だそうだ。一方、PUFFYがやっているのはANAの中国キャンペーン。なんだか、ゴチャゴチャになってしまう。そして、台北到着は既に夜。先に飛んでいった中華航空機はどこかに消えてしまったようだ。南無。

3b732458.jpg『ホテル』キャンペーン価格なので文句つけられないが、ホテルは英語ではMEADOWというのだが、日本名は「ミット」?。変な読み方だなあ、と思っていたら漢字では「密都大飯店」と書くようだ。いかにも怪しい名前で、室内の天井の一部は鏡張りとさらに怪しい。でも、実際に怪しいことは何もなかったわけである。以前、ソウルでも聞いたのだが、怪しい商売の方々の多くは、取締りが厳しいので、日本に行ってしまったのだろう。治安は日本と同じ位だそうだ。それよりも、このホテル、6階までの部分と7階から上の部分は、外観が少し異なる。もしかして、元々6階建てで、儲かったカネで7階以上を増設したのではないだろうか。アネハ氏もオツトメが終わったら、こちらで職を探せばまったく問題ないだろう。

まだ、台湾の話は何も始まっていないのだがイントロが長くなりすぎたので、次回・・



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世界を席巻したバレエ・リュス

2007-09-09 00:00:34 | 美術館・博物館・工芸品
a4c3a6a1.jpg東京都庭園美術館は目黒駅から徒歩10分弱である。旧皇族のお屋敷をそのまま、庭園美術と展覧会に使っている。庭園や美術館の建物はすばらしいのだが、それはそのうちということにして(不動産は逃げないから)、9月17日までの「舞台芸術の世界」展について。

a4c3a6a1.jpg実は、最近観たいくつかの美術展の中で、これが最高、という感じ。というか、20世紀初頭に、ディアギレフ率いるロシアバレエ団「バレエ・リュス」は、欧州各地・ニューヨークで世界の芸術を変えていく起爆剤となったのだろう。ビートルズみたいなもの。

ファッション、絵画、香水、そして何といってもストラビンスキー始め、数多くの大作曲家が誕生する。そしてもちろん、ニジンスキー、イダ・ルヴィンシュタインなどの歴史に残る異能天才ダンサーの数々。そして、ロシア革命とその後の運命・・

a4c3a6a1.jpg実は、展覧会のホームページを観ても、あまり感動は伝わらない。ホームページ向けの平面的技術である絵画は、展示品の一部で、多くは、ドレスや宝石や、舞台セットのイメージ図とか。また、ポスターなど製作者の名前が表に残らない作品も素晴らしい。

何しろ、入り口からすぐのところには、クレオパトラのドレスがあるし、ロシアの伝説「火の鳥」初演に使われた色鮮やかな衣裳もまったくそのまま。舞台衣装だからこそ、金糸や宝石を無制限に使っている。また、チャイコフスキーの白鳥の湖なども改作して物議をかもしている。パリを中心とした19世紀芸術の退廃的な崩壊と神秘的なロシア・中央アジアの古典を組み合わせたのもディアギレフのアイディア。

a4c3a6a1.jpg衣装が以外に小さいのは、今から100年前には、人類は10センチくらい背が低かったのではないだろうか。ニジンスキーはその中でも体格が大きい方だったが、中性的な雰囲気を漂わせ、動きはネコ科の動物的だったそうだ。

a4c3a6a1.jpgそして、ディアギレフは1929年にべネツィアで客死する。57歳。彼の死は欧州全体に衝撃を与えている。何人かの芸術家の伝記を読むと、彼の死に衝撃を受けた話が記されている。天才にして宵越のカネは残さないという出たとこ勝負の派手な生活は、葬式代も工面できず、シャネルが肩代わりしたという説もある。因果関係は不明だ。


a4c3a6a1.jpgまた、庭園美術館は大きな美術館ではなく、元は皇族の邸宅とはいえ、そこは日本なので、大きさは知れている。そこに、このお宝の山だから濃密な鑑賞ができる。

何より驚くのは、この世界中に散逸しているバレエ・リュスのお宝を、一箇所に集めて大公開し、多数の人達が一人1000円を払って見にくるということ。世界で東京だけじゃないだろうか。


a4c3a6a1.jpgどうも来年の正月に、このディアギレフ没後も30年以上活動を続けたバレエ・リュスの数奇な運命についての映画が公開されるようなのである。







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将棋界の事件簿(田丸昇著)

2007-09-08 00:00:20 | しょうぎ
7293c723.jpg将棋界の事件簿(田丸昇著・毎日コミュニケーションズ)は2005年10月の初版であるから、最近の「名人戦主催紙問題」や「女流棋士独立問題」「ソフト盗作問題」などの重大問題は書かれていない。それらの問題と比べれば、小さいのかもしれないが、将棋界のインナーレポートのような書であり、普通の会社では表ざたにならないような話を堂々と出版できるのは、将棋の世界が、実力の世界であって、何を書いても「クビ」になることはないと思われるからだ(ところが、最近は、連盟会長に楯突くと、「除名だ」とか脅される可能性があるらしい)。

著者の田丸昇氏は、本の中で自ら書いているが、生涯最高の成績はA級在位1年というくらいなので、30年間でそれほどの実績もなく、最近は生涯勝率も5割を切ったそうだ。とはいえ、A級に1年でも在位したというのは、プロとして、名人になることの次のレベルの目標なのだ。C2組で終わる棋士も相当いるのだから、成功した口だ。それに、最近の最大の仕事は、「名人戦の朝日×毎日問題」を決する棋士総会で議長を務めたことか。賛否同数の場合、最後に議長が一票投じて決めるという、PK戦の最後のキッカーみたいな役だった。

つまり、引退しているわけではないが、気分的には引退棋士、ということになるのだろうか。かなりきわどい内容に踏み込んでいる。内容は、いわゆる事件簿という「やばい話」、「将棋界が二分されたテーマ」、そして、「エピソード」だが、当然、「やばい話」や「二分テーマ」の方が面白い。

「将棋会館建設問題」
以前、調べていたのだが、よくわからない話だった、現在の千駄ヶ谷の将棋会館だが、表(将棋世界誌)に出ている話では、総額6億円で、うち1億2千万円の寄付を募っている。そうなると必要資金は4億8千万円と言う計算になるのだが、日本船舶振興会(現日本財団)から、2億円の建設助成金を得られることになったそうだ。それが昭和49年の話で、まあ色々ごたごたして、将棋連盟の加藤会長以下の理事が総辞職したりしている。そして、奇妙なことに、理事が変わったのに、方針は変わらず、そのまま将棋会館ビルは建設されることになる。

「名人戦の朝日×毎日問題(前回の)」
この問題は、昨年の名人戦移管騒動で、再度、振り返って語られるようになったが、元々、将棋連盟が将棋会館建設に振り回されていた昭和49年頃から、読売新聞の部数が伸びてきて、これらの新聞棋戦の行方が高額トレードされる要素があったわけだ。それに期待して、連盟は、朝日とけんかしても、毎日、あるいは読売と契約できるだろう、と甘く考えていたが、結局、読売は、その直前に、朝日を抜いて部数ナンバー1になっていた。今更、将棋でもないのだ。そのため、1年のブランクができしまった。

「千日手ルールの変更」
以前の千日手ルールでは、同一手順3回繰り返すと千日手成立ということだったのだが、昭和58年3月のA級順位戦の谷川×米長戦で、米長が千日手を成立させずに60手以上も金銀の打ち換えを行った後、谷川が打開に出て失敗。その後、米長の行為に議論噴出し、現在の「同一局面4回」で成立するということになる。実は、このルール改正案をまとめたのが、武者野四段。今や米長会長の天敵みたいな存在だが、案外、この千日手ルール問題あたりのことを根に持っているのかもしれない。

「林葉直子失踪問題」
林葉問題といっても例の不倫問題ではない(というか、本当は同時進行だったのだが、当初は失踪問題だけが表に出ていた)。平成6年に起きた、現役女流トップ棋士の失踪問題。「心身疲労」という理由で休場届を出し、国外脱出。アイルランドの田舎に行っていた。そして、ついにマスコミに居場所を発見され、極秘帰国。「謝罪会見」をした後、連盟理事会による処分が決まる。容認派と厳罰派に分かれた結果、対局禁止3ヶ月となる。なにか、朝青龍とまったく同じだ。失踪事件の原因だった不倫事件は、まだ暴露されていなかったのだが、彼女の謝罪記者会見をもっともハラハラ聞いていたのは元名人だったということになる。朝青龍問題だって、表に出てこない、巨大な問題が隠れているのかもしれない。

「テレビ対局遅刻の罰」
先日、二人の棋士がテレビ対局(銀河戦)不戦敗の責を問われ、処分されたが、同様な例があったそうだ。平成元年5月のNHK杯。櫛田×高橋戦で、櫛田四段が大遅刻。対局開始時間より30分遅れ、自宅に電話すると、寝過ごしている。高橋八段が激怒して、対戦しないと言うのを「テレビ番組に穴が開く」となだめて、ようやく対局開始。その後、この勝負に勝った櫛田四段はどんどん勝ち進み、とうとうNHK杯で優勝。その後、不戦敗・次期出場停止・多額の賠償金といったテレビ対局専用のルールができたそうだ、今回の処分が妥当かどうかは、このルールと実態の差ということなのだろう(ルールの詳細は書かれていない)。


7293c723.jpgさて、8月25日出題作の解答。

▲9一飛成 △9二桂 ▲9四香 △8三玉 ▲9二竜 △7三玉 ▲7四香 △同馬 ▲6二銀不成 △7二玉 ▲8一竜 △8三玉 ▲7五桂 △同馬 ▲6三香成 △5六香 ▲7二竜まで17手詰。

最後の17手目は▲7三成香あるいは▲7三銀成でも詰む。一応、初型で玉方6一桂を配置して最終修正図ということにしておく。

この問題は、パソコンに勝手に考えさせた上、修正したもの。一枚、桂を補充する手筋がオリジナルのパソコンの思考。パソコンのくせに、狙いがはっきりと見えてしまう。竜が一マスずつ動くという妙な感じは、人間が付け加えた部分。


7293c723.jpg今週の問題は、打歩詰がらみ。手筋的なのかもしれないが、最後はキッチリと詰むような感じ。

「わかった!」と思われた方は、いつものようにコメント欄に最終手と手数と酷評をいただけば、正誤判断。

なお、まったくの余談だが、この「わかった!」というのは、ギリシア語で「ユリイカ」というそうで、アルキメデスが風呂に入っている時に、王様の冠に金以外の素材を混ぜていることを証明する方法を思いついた時に、発したそうだ。

冠に混ぜ物をした合金野郎は耳の穴に、熱く溶かされた金属を流し込まれて死刑にされた可能性がある。

「イタイカ?」
「アツイカ?」


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図書館移転

2007-09-07 00:17:34 | 書評
8e3f27c6.jpgいくつかの図書館を利用している。住居のある横浜市内の数多い市立図書館だけではなく、勤務先のある都立図書館や港区の図書館なども利用している。中でも、芝公園のみなと図書館と赤坂図書館にはよく行くのだが、その赤坂図書館が移転した。

しかし、まず、赤坂といっても、きわめて広い場所を指す。早い話が江戸時代は、都内は赤坂見附が一つのポイントで、次が新宿。その間が全部赤坂村だ。広いはずだ。現在では一般的に「赤坂」というと東京メトロの千代田線赤坂駅と、丸の内(銀座)線赤坂見附駅の間を指すことが多く、少し前は料亭、高級ナイトクラブ乱立状態で、多額の現金を風呂敷に包んで秘書が暗躍していたのだが、現在は、コリアンレストランにコリアンクラブ。コリアン新聞もある。特に週末は日系店舗の大部分が店を閉めているので、日本じゃなくなる。

で、その話の方が面白いのだろうがきょうは図書館の話。場所は、そういう赤坂じゃなくて、銀座線の青山一丁目駅のそばの赤坂。近くにはホンダの本社がある。少し歩けば東京ミッドタウン。まあ、裏の方には青山墓地もある。実際には地価が高すぎて、普通の商店が蒸発してしまったようで、思ったほどいい街じゃないのかもしれない。

そこに、前からあった図書館が閉館して移転することになった。ちょっとした小さな公園(青葉公園)の中にこじんまりと建っていて、あまり歴史は感じない建物だったが、それなりというところ。公園ごとディベロッパーに売却したのだろう。閉鎖された図書館の脇では祭りの準備が行われていて、「相撲大会」なるレトロな出し物があるようだ。競技委員長とかに親方衆でも呼ぶのだろうか。公園がなくなれば、相撲大会も終わりだろう。

8e3f27c6.jpgそして一転、移転先はすぐそばに建った高層ビルだった。上の方はよく見えない。パークアクシス青山一丁目タワーの3階。ビルが青山なのに、赤坂図書館の名前はそのままだ。

もちろん、中は明るく、書籍やCDは大きな棚にゆとりをもって並べられる。雑誌コーナーは広いし、多くの人が利用している。さらにインターネットコーナーもあり、研究や書籍の検索に使うという理由を条件(口実)にして、1時間まで10台ほどのパソコンでインターネットを無料で使えるようになっている。

で、ふと考えれば、こういうことって、大いなる「民業圧迫」ということじゃないかなって思ってしまう。もちろん、パソコンコーナーで朝まで粘ることだけは不可能なのだが・・


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旨そうに食っていたのかな?

2007-09-06 00:00:26 | スポーツ
65823d98.jpg”SALUS”という東急沿線だけで読めるフリーマガジンがある。その9月号に相撲の話があり、有名力士が登場するのだが、例の横綱じゃない。大関、琴欧州。ブルガリア出身、24歳。佐渡ヶ嶽部屋。204センチ、145キロ。ついでに握力120キロ。

で、琴欧州のことを書く前に、一応、未来のプロレスラー「アサ・ザ・ショーリュー」のこと。まあ、仮病はいかんけど、ちょっと可哀想かなって。もちろん、何年も前から、「お行儀悪い」って言われて、知らんぷりしてたのだから、天罰なのだろうけども、ちょっとした嘘(仮病)をつつきまわして、傷口を大きくして、もはや謝る機会もなくなってしまった、というのは、果たして日本の文化なのだろうか。まあ、仮病には気づいているが、最後のチャンスをあげたんだから・・という程度でよかったんじゃないのかな。それと、モンゴルにもモンゴルの相撲があるのだから、札束積んで引っこ抜いてくることこそ、文化の侵害。他国の文化にも配慮が必要。

それと、ちょんまげつかんで投げたのがいけない。座布団蹴ったのもいけない。ちょんまげは、明治4年の断髪令の時に、唯一、力士だけが例外とされた「力士だけに認められた特権」。座布団も日本では「神聖な物体」とされ、手で投げるのは自由だが、足で踏んではならないとされる。宴会の最後に立ち上がって行う三本締め儀式の時も、座布団の上に立ってはいけない、と新入社員は教えられる。


で、話を戻して琴欧州のインタビューだが、ブルガリアから日本に来た理由がわかった。元々、17歳の時にレスリングのブルガリア代表だったそうだ。そしてオリンピックを目指していた。身長は2メートルを超えているので、当時でも体重は130キロを超えていた。

ところが、レスリングの体重規定が変わって、120キロ以上になると、試合に出られなくなる。そこで、減量したのだが、なかなかうまくいかない。要するに腹が減るわけ。そこにドイツ人のスカウトがやってきた。「相撲なら。いくら食べて体重増えても大丈夫だぞ」って。

それで、日本に来たのだが、やはりコミュニケーションが取れずに困ったそうだ。ブルガリアと日本ではやはりコトバが通じない。相撲の世界だから身振り手振りといっても独特の世界の常識はよくわからない。


そして、最大の問題が、主食の白いご飯だったそうだ。おかずと一緒に食べるということを知らないから、ご飯だけを食べていて、味がしないので食べにくくて困ったそうだ。

たぶん、周囲で見ている日本人力士も、琴欧州が、あまりにも旨そうに、目を細めてゆっくりとメシを口に運ぶので、「変わった奴だなあ、ご飯とヨーグルトだけ食ってるよ」って思っていたんだろう。「口に合わないのはオカズの方だろうか?」なんて誤解されていたんだろう。例の横綱だったら、メシがまずかったら、すぐに鍋をひっくり返して、「きょうは、ジンギスカン食いてえ~」とか騒ぐのだろうか。


ところで、相撲の話はこれくらいにして、白いメシの話だが、日本のブランド米を中国に持っていったら、たちまち売り切れたそうだ。予想通りなのだが、これをこの先ずっと続けた場合どうなるか。たぶん二つのシナリオのうちのどちらかだろう。

シナリオA:どんどん、輸出が増加し、日本中の休耕地がなくなる。八郎潟干拓地にも数十年ぶりに稲穂が輝くことになる。ただし、耕作するのは、中国人研修生だろう。

シナリオB:既存農民の利権を守るため、国内生産量の抑制政策が続く。そのため、コシヒカリは10キロ1万円になり、日本から中国に大量に輸出され、貧乏人向けに、中国から10キロ2千円のコメが輸入されるようになる。貨物船業界はコメを日中往復航海で輸送することとなり、大もうけになる。

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『団塊』を食い物にする人

2007-09-05 00:00:10 | 市民A
先週、横浜で行われた、堺屋太一の講演会「これからの十年、日本は大躍進」に行く。みなとみらいのパシフィコにある「国立大ホール」で。国立は「こくりつ」と読み、「くにたち」ではない。国営ホールというのに、主催は野村證券。そして、会場整理の野村関係者同士の話が聞こえてくるのだが、どうも、会場には4,000人もが入ったらしい。

横浜を中心とする野村證券の顧客のうち、講演を聴きたいという人が申し込んで、それに対して、一人につき1枚だけの入場券が送られるのだが、夫婦で来ている人たちも多いのは、夫婦別々に口座があるのだろう。それにしても4,000人はすごい。会場1階も2階も満席で、時間ぎりぎりだったので、天井桟敷みたいな席に座るしかなかった。

まあ、野村もビジネスでこういう会をやっているのだから、この顧客の中から、なるべく多くを、一口1億円のラップ口座に引き込もうというのだろう。携帯メールからアダルトサイトに釣り上げる手口と似ているような気もするが、アダルトサイトは10万円くらいだが、野村が狙っているのは1億円だ。講演後のアンケートとかに釣られるとあぶない。全員が1億円ずつ、野村に預けると、きょう一日で4,000億円の売り上げになるのだが、たぶん、一割の人が一億円で九割はカス、ゴミ、ドブの類だろう。

さて、堺屋氏の最初の話題は、安倍改造内閣について。辛辣な話が出るかと思ったら、まったく逆。堺屋氏が経済企画庁長官として小渕内閣で入閣していたのが1998年から2000年頃まで。その時の同僚の、武者野、高村、額賀といったメンバーが中心ということで、「改革路線」が再スタートした、と言われていた。小泉内閣のときは、改革と言いながら、成果が出るかどうか不明な『郵政民営化』しかできていないが、小渕内閣の時は、長銀、日債銀はじめ58の銀行をつぶし、さらに巨大メガバンクをつくるというような大ナタを振るっている、ということだそうだ。また、そごう、マイカルの整理も実行。

これに関して、堺屋氏は佐藤内閣以降の日本の政治は自民党の中の二つのグループの中でスウィングしていると分析。

一つ目のグループは、『官僚主導』・『首都中心』・『米国追随』・『コワモテ』。人物で言えば、三木、福田、中曽根、小泉。

二つ目のグループは、『政治家主導』・『地方重視』・『アジア重視』・『利益誘導』。人物で言えば、角栄、大平、竹下、小渕。

結局、小渕政権のあと、中間的な森政権を経て、小泉政権になり、自民党の政治家を信用しない反面、官僚の言うなりになって政権運用するようになった、と言われていた。(ということは、安倍内閣は総理が第一グループだが大臣が第二グループ、という中間的な運営になって、その後、第二グループである小沢政権にむかう、ということだろうか。民主党には第一グループも多そうな感じもある)

そして次に、堺屋氏の弁舌は、官僚攻撃になり、官僚の悪業の数々を暴き出し、特に厚労省の無法ぶりには毒舌を浴びせていた。医師が増えすぎて、メシが食えないという事態が10年前にあって、医学部の定員を減らしたのと逆行して、医師の医療上の責任を追及しはじめたため、大病院は扱い診療科を減らしていくしかなくなり、あっと言う間に地方は医師不足になった、という。

地方問題でいえば、一昔前の地方の名士は、「山林家」「駅前の老舗」「地場産業の社長」「建設会社」「医師」の5業種だったそうだが、現在は「山は無価値」、「駅前はシャッター通り」、「地場産業は中国製品の攻勢で壊滅」、「建設会社は公共事業ナシ」、「医師は都内に転居して、検診専門医に転職」ということだそうだ。民主党が地方で勝ったのは当然ということだそうだ。

また、農水省は大規模農家育成にまっしぐらで、旧市町村ベースでは、一市町村あたりの農家数は30軒位になってしまうということ。(これは、これで正しいとは私見)

東京・横浜にいるとわからないのは、今でも、ビルがどんどん建ち、人口は増え、若い人は多いし、こどももたくさんいるし、外国人はほとんどいない。世界中で20年前とほとんど変わらない唯一の都市が東京・横浜だそうだ。さらに、地方区の議員もみんなニ世、三世だから東京生まれの東京育ち。地方のことはまったく知らない(参勤交代下の江戸時代も、大名の正妻は江戸住まいなので、多くの大名もずっと江戸で育っていたのと同様だ)。

その結果、官僚がますます強い政治体制になり、不祥事数々が発生するようになったそうだ。

しかし、まだ、日本には、『官僚に任せておけばいいんじゃないか、彼らは能力が優れているんだから』、という妄想がはびこっているそうだ。最大の原因は、彼らが、もっとも難しい関門である東京大学に入学したということによるのだが、堺屋氏が昭和19年頃、「軍人に任せておけば安心だ」と思っていたのとまったく同じということだそうだ。最も難しい試験を潜り抜けて、エリートがたどり着く先が、陸軍士官学校であり海軍兵学校。(当時は、山本五十六が愛人を囲っていた話など公開されていないわけだ。)そして、戦後明らかになるのが、そういうエリートコースの将校が、戦略に疎く、出世のことしか考えてなく、戦場でいかに逃げ足が速かったか、ということ。

(確かに、私の知っている一流官庁の部長なども、EXCELの使い方も知らない。パソコンはメールを読むだけにしか使っていない。そんなのが天下りしたら大変なのだが、天下りするわけだ。)

そして、講演会のテーマである「これから10年の日本の大躍進」の話は、実は「団塊世代の話」。まあ「団塊」と言うコトバを発明した方なので、責任とってもらわないと困る。「ネットカフェ難民」と同程度の毒のある単語だ。

話は30分は、この団塊世代問題なのだが、実は、いかにもつまらないわけだ。よく聞く話と同じ。定年後も70歳まで働きましょう、とか、給料は大幅ダウンの時価評価であきらめようとか、老人向けマーケットを創ろうとか、老人の安い労働力を使いこなす企業が2010年からの勝ち組とか・・

(個人的には、あまりそうは思えない。団塊世代が入社当時の50歳定年を先に延ばしたからこそ、そのこどもたちの団塊ジュニア層がニートになったのだから、さらに団塊世代が低所得再雇用に走れば、ニートの出る幕はさらになくなると思う)

そして、もっとも納得した話は、少子化のこと。歴史上、イタリアでそれは起こったことだが、1340年のイタリアには930万人の人口があったそうだ。それが1500年には550万人まで減少する。160年間に40%減。ところが、その結果、イタリアにはルネッサンスが起こり、ダ・ヴィンチを筆頭に天才達が続々と現れることになる。

原因は、人口が減ったために、人々は、付加価値の高い職業に就けるようになり、一人当たりの所得が増え、文化レベルが上り、芸術を鑑賞する余裕が生れたということ。

この付加価値の高い仕事につく、と言う方法は色々あるのだが・・、とされ、『技術革新としてスキルをあげること』と並んで『付加価値の高い産業へのシフト』ということが有効、と言われていた。その中で、もっとも付加価値の低い職業として断言されたものがある。

『役人』だそうだ。付加価値ゼロ以下。

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スクラップ・ギャラリー(金井美恵子著)

2007-09-04 00:00:21 | 書評
金井美恵子は、長く読み続けている作家である。寡作という特徴があり、大部分は読んでいる。本当は、彼女が高校生だった頃からの元気印のツッパリ型小説が好きで、大部分が絶版になっているのが、少し残念。最近は、小説よりもエッセイや評論的な書物を多くなしている。以前、彼女のエッセイの中で、図書館納入用の作家、と自嘲的に書かれていたが、たぶんそういう方が長生きするのだろう(比喩的な意味だけでなく)。



そして作家の寡作ぶりをいいことに、このスクラップ・ギャラリーの1ページ目を開くのに時間がかかってしまった。2005年11月の初版。

実は、この本は私的絵画評である。30人近い画家を取り上げ、お気に入りの絵画とその説明、画家のエピソード(これまた、まったく金井流の解釈だが)が続く。そのトップは長谷川潾二郎という比較的有名とは言い切れない日本人画家が登場。陽だまりのソファーで昼寝中のネコさんの絵だ。そう、金井美恵子はネコが大好きだし、どことなく顔つきもネコに似ている(と、少しホメてみる)。

もちろんルノワールやルソー、ゴッホやマティスといった色彩の魔術師たちも登場。ルノワールの項では、1880年頃の「船遊びの昼食」「ムーラン・ド・ギャレット」における画家の視線や同時期に描かれている古典的構図の他の作品との関係について推論している。作家ならではの分析を感じる。

そして、金井美恵子が好きそうなのだが、この著に書かれていない二人の画家のことを考えてみた。一人はピカソ(一枚100億円と皮肉っぽく書かれているだけ)。もう一人はシャガール。多少、好みの色彩より暗いのかもしれないが、一言も触れられていない。

少し考えてみたら、この書の中で、彼女は多くの「画集」を持っていることをあきらかにしている。たぶん、ピカソとシャガールは、作品数が数万件と多く、画集向けじゃないのだろう。


ところで、現在の金井美恵子の魅力は、一つは皮肉屋であること。そしてもう一つは、ジェームズ・ジョイスのように長い長い切れ目のない文章である。

最後に少し引用してみる。一美術大生が描いたと思われていた絵がゴッホの手になるものと判明し、さらに「農婦」とタイトルまでついたことにより、1万円の評価が一気に6600万円の評価に変わった事件について、

 ・・・小説家の高橋源一郎は、次の日新聞の書評欄で、・・・「例えばピカソさんの絵と、”ビジュツ”大学の学生の絵を並べてもなかなか区別つきませんね、ふつう。なのに、ピカソさんの絵は何億円もの値段がつき、学生の絵は無料でも買い手がない。それはピカソさんの絵が”ゲイジュツ”で、学生さんの絵が”ゲイジュツ一歩手前”だから、なんですって・・・」。作家は、ここで「芸術の値段」について書いているのだが、・・・このような文章が”ブンガクブの学生”が書いたら新聞の投稿欄にも載らないだろうが、要するに「高橋源一郎」という名前だから新聞に載り、「値段」はいくらだか知らないが、原稿料が支払われるわけなのだから、カマトトぶるのもいい加減にしたら?と、ゴッホの絵とは関係ないことを書いてしまった。

と、これ以上なく辛辣パンチを、同業者の顔に浴びせている。

久米美術館、なぜかここにも鍋島が

2007-09-03 00:00:24 | 美術館・博物館・工芸品
5111d66e.jpgたまたま、目黒で30分ほどの時間が余り、さあ・・と駅前で首を回すと、あるビルの壁面に「久米美術館」と書かれているのが眼に入る。美術館関係のガイドブックか何かで、名前を聞いたことはあるので、「ああ、ここにあるのか・・」と、ビルに近づくと、久米ビルという8階建ての8階に美術館があることがわかる。エレベーターで8階に上り、受付で500円を払い、館内に入る。


所蔵展が開かれていて、洋画家、久米桂一郎の作品を中心に展示している。久米桂一郎は明治初期にフランスに留学して絵画を習った口で、黒田清隆と同じようにラファエル・コランに師事している(当時フランスではパリで発生した印象派の波が地方に波及しているところで、有力画家がパリを離れていた、という不運もある)。コランの習作多数が所蔵され、展示されているが、中には未完成のものもある。たぶん、コランが「こりゃ、失敗作だから、後は好きに処分してくれ」とか譲ってくれたのだろうか。

絵画的には、ある意味、桂一郎の絵画はコランとそっくりである。やや、くすんだ自然主義的印象派ということだろうか。森や海辺といった、人間と自然の交わる場所を多く題材にしている。


しかし、芸術を離れて、まず、若干の違和感を感じるのである。

洋画家が絵を描き続けると、目黒の駅前にビルを建てることができるのだろうか?ということ。

実は、久米桂一郎は洋画家であるが、その父親が、久米邦武だった。と言っても知らない人が多いだろうが、久米邦武は幕末の志士の一人である。佐賀鍋島藩の重臣である。時の藩主は鍋島直正。江戸生まれだが、開明的な藩主で、伊万里焼の欧州向け輸出で稼いだカネで武器を買ったり、東芝の祖である田中久重に命じて、アームストロング砲を作ったり・・

この久米邦武の父は、伊万里の窯元を統括する役に就いていたそうで、そのあたりの話も色々とありそうである。そして、久米邦武は、明治初年に岩倉具視を団長とした、米国・欧州見学ツアー団に同行し、その公式記録集である米欧回覧記を編集している。美術館には、この米欧回覧記の原本が展示されているが、手書きだ。そして、この回覧記の製作途中の多大なメモといった一級品の資料も展示されている。

佐賀藩には、この邦武と並ぶ希望の星として、大隈重信がいて、二人は盟友として、後年、「鍋島直正紀」を共著でなしている。大隈は、その後、政治家として大成し、首相になり、テロで片足を飛ばされる不運により、文字通り失脚する。久米邦武の方は、大学教授を歴任したあと、歴史学者という職業につくのである。

つまり、このビルが久米ビルであるのは、桂一郎の絵画売却益だけではなく、久米邦武による何らかの収益活動にもよるのだろう、と推測する。


ところで、私が、最近、鍋島家にこだわりはじめたきっかけは、大磯にある鍋島家の別荘が売りに出され、マンション用地になったことから。芸術家イサム・ノグチが、少年時代、日本で過ごした湘南茅ケ崎の「三角形の家」の場所を探しながら、偶然に、鍋島家が別荘を売却したことを知る。当初、大磯町が買い取るとか買い取らないとかあったらしいが、結局、マンション用地になる。この別荘は、元はといえば鍋島家が大隈重信から買ったもの。たぶん押し売りされたのだろうか。

また、幕末の当主である鍋島直正は溜池の藩邸で生まれたことになっているが、それは、現在の首相官邸の場所である。さらに、スパが爆発した渋谷の松涛地区全体は鍋島家の屋敷だったのだが、その雰囲気は、伊万里を中心に展示する松涛美術館にしか残されていない。

一方、最近の報道で明らかになりつつある、「日本の幼稚園でもっとも有名」と言われる「松涛幼稚園」が3年後に閉園・土地売却になるというニュースを追いかけていると、「入園金120万円」という情報とともにわかったのが、この松涛幼稚園経営者一族が「鍋島家の血筋になっている」ということ。

加えて、門外不出であるはずの「鍋島焼」が最近、ポツポツと市場に現れていると言う事実。本来、市販品ではなく、将軍家と宮家と鍋島家だけが所有していたものだ(一部、将軍家から女子が他家に嫁入りする際、持参したことはあるようだ)。

まだ、全体像がよく見えていない・・



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白か黒かのラビリンス

2007-09-02 00:00:39 | 美術館・博物館・工芸品
ba593075.jpg会社で会議の時、とりあえず何か持って会議室に行く。本当は、手ぶらで「優秀な頭脳だけ」を持っていけばいいのだが、「自分のことを、頭がいい」と自惚れているのではないだろうか、と疑われるのが嫌なので、三色ボールペンを持っていく(本当は黒はインクが詰まって書けないので、二色ボールペンになっている)。シャープペンや鉛筆を持っていく人もいるが、私はボールペンだ。シャープや鉛筆は消しゴムで消せるがボールペンはそうはいかない。そこがいい。

小学生の頃から、ずっとそういう選択で、ノートなんか使わないで、いきなりボールペンで教科書に書きこむ。

そのため、今でも会議が終わると、手元の紙には、黒板になぐり書きするようにデタラメナ方向に向かって書かれたメモができる。一方、シャープペン派は、おおむね、きちんと列を並べて読みやすくまとめて書く。スクエア野郎だ。

ところが、シャープ派や鉛筆派の中にも、たまには異端児がいる。会議中に、資料の紙の隅の方に絵を描いたりする。だいたい30分程度で、一作を仕上げている。会議が多ければ多いほど、鉛筆絵画の腕は上達する。しかし、その完成作品はその後どうなるのか、考えたことなかった。

ところが、そういう鉛筆画という分野が確立しているようで、鉛筆画の展覧会が開かれている。「線の迷宮2」。目黒区美術館だ。相当久しぶりに、地図を見ながら目黒駅から歩いた。きつい坂があり、結構遠い。最大の欠陥は、着くまでに疲れることか。

ba593075.jpgそして、鉛筆画というカテゴリが有効か、といえば「ここまでやれば有効だろう」と思わざるを得ない。

感じはモノトーンの写真のようだが、そういうものでもない。キーワードで言えば、「シャープペンの持つ緻密さ」「濃淡を使い分けることによる柔らかさ」

出品作家は、磯邉一郎、小川信治、小川百合、木下晋、齋鹿逸郎、佐伯洋江、篠田教夫、関根直子、妻木良三。

もちろん、白黒二色方式が流行っていったとしても、社会のすべての事象に白黒つけるとか、野暮なことは言わないようにって。9月9日まで。


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