スクラップ・ギャラリー(金井美恵子著)

2007-09-04 00:00:21 | 書評
金井美恵子は、長く読み続けている作家である。寡作という特徴があり、大部分は読んでいる。本当は、彼女が高校生だった頃からの元気印のツッパリ型小説が好きで、大部分が絶版になっているのが、少し残念。最近は、小説よりもエッセイや評論的な書物を多くなしている。以前、彼女のエッセイの中で、図書館納入用の作家、と自嘲的に書かれていたが、たぶんそういう方が長生きするのだろう(比喩的な意味だけでなく)。



そして作家の寡作ぶりをいいことに、このスクラップ・ギャラリーの1ページ目を開くのに時間がかかってしまった。2005年11月の初版。

実は、この本は私的絵画評である。30人近い画家を取り上げ、お気に入りの絵画とその説明、画家のエピソード(これまた、まったく金井流の解釈だが)が続く。そのトップは長谷川潾二郎という比較的有名とは言い切れない日本人画家が登場。陽だまりのソファーで昼寝中のネコさんの絵だ。そう、金井美恵子はネコが大好きだし、どことなく顔つきもネコに似ている(と、少しホメてみる)。

もちろんルノワールやルソー、ゴッホやマティスといった色彩の魔術師たちも登場。ルノワールの項では、1880年頃の「船遊びの昼食」「ムーラン・ド・ギャレット」における画家の視線や同時期に描かれている古典的構図の他の作品との関係について推論している。作家ならではの分析を感じる。

そして、金井美恵子が好きそうなのだが、この著に書かれていない二人の画家のことを考えてみた。一人はピカソ(一枚100億円と皮肉っぽく書かれているだけ)。もう一人はシャガール。多少、好みの色彩より暗いのかもしれないが、一言も触れられていない。

少し考えてみたら、この書の中で、彼女は多くの「画集」を持っていることをあきらかにしている。たぶん、ピカソとシャガールは、作品数が数万件と多く、画集向けじゃないのだろう。


ところで、現在の金井美恵子の魅力は、一つは皮肉屋であること。そしてもう一つは、ジェームズ・ジョイスのように長い長い切れ目のない文章である。

最後に少し引用してみる。一美術大生が描いたと思われていた絵がゴッホの手になるものと判明し、さらに「農婦」とタイトルまでついたことにより、1万円の評価が一気に6600万円の評価に変わった事件について、

 ・・・小説家の高橋源一郎は、次の日新聞の書評欄で、・・・「例えばピカソさんの絵と、”ビジュツ”大学の学生の絵を並べてもなかなか区別つきませんね、ふつう。なのに、ピカソさんの絵は何億円もの値段がつき、学生の絵は無料でも買い手がない。それはピカソさんの絵が”ゲイジュツ”で、学生さんの絵が”ゲイジュツ一歩手前”だから、なんですって・・・」。作家は、ここで「芸術の値段」について書いているのだが、・・・このような文章が”ブンガクブの学生”が書いたら新聞の投稿欄にも載らないだろうが、要するに「高橋源一郎」という名前だから新聞に載り、「値段」はいくらだか知らないが、原稿料が支払われるわけなのだから、カマトトぶるのもいい加減にしたら?と、ゴッホの絵とは関係ないことを書いてしまった。

と、これ以上なく辛辣パンチを、同業者の顔に浴びせている。