カラヤン+チャイコフスキーピアノ協奏曲

2007-06-17 00:00:42 | 音楽(クラシック音楽他)
7fe7a9b1.jpg昼休みに芝にある公共図書館に行くと、視聴覚ホールでDVDコンサートが始まる直前だった。昼休み時間中に終わることがわかったので、思わずホールに吸い込まれる。観客は10人ほどだが、梅雨入りしたばかりでムッと暑いのだから、少なくてちょうどよかった。1967年の演奏で、ウィーンフィル+ピアノはワイゼンバーグ(読み方はよくわからない)。

カラヤンは大量にビデオ映像を残していて、それが今、どんどんDVD化されている。本当は、もっと観たい指揮者もいるのだが、こればかりはしかたない。そして、世間に誤解を与えるのが嫌なのは、DVDクラシック=カラヤン=ショービジネスという連鎖発想。知っている人はそうは思わないだろうが。

さて、カラヤンが指揮者としてのショーマンなら、チャイコフスキーだってショービズだ。「美しきメロディ路線」と「出だしのこけおどし」。ピアノ協奏曲とかバイオリン協奏曲がまさにそうだ。詰将棋で言えば、初手から飛車角連続四枚捨てみたいな大技を使う。ピアノ協奏曲第一番は、最初にピアノが鳴り出す1小節があって、それからオーケストラの出番になる。実は、楽団員にとっては、いきなりフライングすることがあり得ないから、ストレスが少ない。

そして、この映像はライブ版ではない。ホールを借り切って観客なしの中でカメラは回る。だから普通のコンサートでは考えられない位置からのカメラワークが行われる。ピアニストと指揮者を同一アングルに入れたり、管楽器の演奏者の接写とか・・

要するにカラヤン+チャイコフスキーはこういうことになる。だから、そういう構造のものを批判してもしかたない。既にホールに入ってまさに演奏は始まろうとしている。

そして、この最初の一小節で、カメラが最初にとらえるのが、カラヤンなのか、あるいはピアニストのワイゼンバーグなのか、いきなり興味があったのだが、正解はカラヤン。というか、しばらくカラヤンだけしか写さない。主役はオレだ!ということだ。この演奏を通してカラヤンはうつむきがちの姿勢でのプレイスタイルを続け、タクトは主に上下運動に終始する。ウィーンフィルは個々人がお上手だから、個々の演奏のことなど見る必要がないかのようにうっとりした表情で指揮を続ける。普通、うっとりするのは観客なのだが、これがカラヤン流か・・

アマゾンの評には、「アマがみたらつまらないと思うだろうが、プロがみたら素晴らしい」と嫌なタイプの評が書かれていたが、まったく無視していえば、「カラヤンは一見地味な曲の中からエンターテイメント性を引き出す天才であり、チャイコフスキーはどんなシリアスな指揮者が振ってもエンターテインメントになる。したがって、この組み合わせは、ちょっともったいないかな」ということかな。

そして流れるような第二楽章、第三楽章を目を閉じて聴こうと思うが、目を閉じると何のためにDVDを観ているのかわからなくなるし、急に気候が暑くなって疲れた体は、目を閉じると、深い眠りと大きな鼾という危険性もあるのでじっと我慢し、スクリーンに目を凝らす。

そして、銀髪をサイドで刈上げ、左側七三分けの一部がタラッと前に垂れたヘアースタイルはいつまでたっても崩れないわけだ。なんとなく懐かしくなってきたのは、カラヤンのヘアースタイルは私の父親と同じということに気付いたわけだ。かつて、そして今もだ。そう思うと、私もカラヤン刈りにしてみようかとも一瞬思ったが、「赤毛のカラヤン」じゃさまにならないだろうし、何しろ、カラヤンへヤーだと寝癖が隠せない。やはりベートーベンに限るだろうなどと思っているうちに、演奏は終了するのだが、もちろん拍手なし。そしてアンコールもないわけだ。

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