眠れる城・荏田城跡

2016-09-22 00:00:30 | The 城
9月15日弊ブログ「荏田宿のこと」の中で書いたのだが、江戸時代の大山街道で江戸を出て最初の宿場が荏田(えだ)宿だったと書いた。さらに、そのわずかに先に、歴史上の位置づけが不明な『荏田城』というのがあるとも書いたのだが、少し調べてから荏田城攻略に出た。

ただし、調べるうちに、その土地の所有者が頑なに城址を開示することを拒んでいて、土地への入場も禁止だし、さらに写真画像をWEB上にのせると、削除依頼をしてくるということらしい。まず、入路については隣接する東名高速の反対側からその土地にだけつながる高速の歩行者横断橋を渡らないといけないが、降りたところから先は入れないということになっている。だから未調査ということだ。

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とはいうものの、その現地に行くと、東急田園都市線の江田駅から徒歩5分のところに江田記念病院というのがあり、その左側に東名にそって登坂がある。登り切ったところに歩道橋があるのだが、実は坂を上る前にすでに「立ち入り禁止」になっていた。

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向かって右が東名の擁壁であり、左が大きなマンション。マンションの住人なら城址のある森は見えるだろうが、どこまで詳しく見えるのだろうか。

上空からの写真を見ると荏田城の北側の一部は道路用地になっているが、大部分は未開発で残されているようだ。鎌倉時代の城なのか足利時代の城なのかも判然としない。神奈川県には鎌倉があり鎌倉に通じる道は重要道とされていたので、この地も鎌倉時代の要所だったらしいが、文書などでは確認されない。仮に鎌倉時代の城なら北条氏滅亡の時には大戦争が起きていたので城をめぐっては、多数の犠牲者があったのだろう。

かなり近くには、これも誰も積極的言わないのだが空襲で多数の犠牲者が出た場所があるらしい。もう一つ言うなら、かつて米軍機が住宅街に墜落して住民の犠牲者が出たのも数キロ内だ。

そして、この左側の大きなマンションだが、『ミオカステーロあざみ野南』というのだが、このミオカステーロはイタリア語のミオカステッロのことだそうだが、英語だと、マイ・キャッスルということだそうだ。

「私の城」

そう、あなた方にしか見えないわけだ。


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