炎の男の幻想

2006-08-10 22:35:32 | 音楽(クラシック音楽他)
d259d234.jpg8月8日、日本国内で、現在、最も人気のある指揮者かもしれない小林研一郎氏(略して「炎のコバケン」)が川崎ミューザで幻想交響曲を日本フィルで振る。3週間続くフェスタサマーミューザの後半の目玉商品である。あらかじめ、電子チケットぴあで予約してファミマでチケット入手。それぞれ100円玉何個かの手数料を払う。確か、数年前にも同じような演目で聞いた気がするが、よく覚えていない。

当日は、台風が接近中で蒸し暑い。日中の汗の皮膜が体を覆っている。川崎駅の反対側には日本有数の温泉街があり、汗を流して行こうかとも思ったが、東海道線はしっかりと冷房が効いていて、体も頭もしっかり冷え、川崎駅に着いた頃には、常識の世界に戻ってしまう。寄り道中止。ミューザに直行。

ところで、コバケンは某国の宰相とよく似ている。ライオンヘアーでギコチナイ動き。全身の栄養不足的なイメージ。が、音楽の趣味は(レベルは)まるで違う。かたやベルリオーズでかたやプレスリー。さらに、まったく違うことがあった。「説明責任」とか「説明不足」という部分だ。

実は、コンサートは7時半から8時半までということになっている。1時間というのは短めだが、要するに「幻想交響曲」という大交響曲1曲だけである。まあ、気分としては1曲でもいいのだが、実際はもっと長くなった。7時半にコバケンが登場すると、トークを始める。ベルリオーズが幻想交響曲を作曲した時の事情説明が始まる。説明は微に入り細に入り。国民への説明なく、ある宗教法人の経営援助を続ける某宰相とは大違いだ。

コバケンの説明に若干の補足を加え、「幻想交響曲誕生事情」をかいつまむと、話は1827年、ベルリオーズ24歳のこと。まず、この年、パリ音楽院の学生だった彼が最も尊敬していたベートーベンが亡くなる。第9交響曲「合唱付き」が欧州音楽界に歓喜の衝撃を起こしてから、まだ3年である。そして、彼が愛読してやまないシェークスピア劇団がパリで公演を行う。ハムレットの劇中にオフィーリア役で登場する女優ハリエット・スミッソンに一目惚れしてしまう。そして、つてを頼って、現実のスミッソンさんに接近をはかり、ストーカー行為を加えたあと、求婚の手紙を出すが、当然ながら相手にされない。そのため、失意の彼は狂わんばかりとなり、その気持ちを交響曲の作曲という行為に結びつけるわけだ。彼女の本拠地であるロンドンで、自作を披露して再アタックしようとしたわけだ(結構執拗な男だ)。

ところが、多情家の彼は、交響曲が完成する前に、別の女性と交際を始める。Mさん。ところが彼がイタリアに修行に出かけている間に、婚約破棄。Mさんは母親の紹介で、別のフランス人ピアノ業者と結婚してしまう。怒り狂って、母子ともに殺してしまおうと計画を立て、フランスに戻ってくるが、遠路戻ってくる間に、頭も体も冷えてしまい、冷静な気持ちを取り戻し、常識の世界に戻ってしまう。殺人計画中止。交響曲を完成させる。

つまり、ベートーベン+シェークスピア+シェークスピア女優+ピアノ業者+殺人計画=幻想交響曲ということになる。

ついでに補足すると、幻想交響曲は3年後の1830年に完成。従来の常識をまったく無視したロマン派最高レベルの超大作となり、西欧社会を震撼させる。そして、彼の目論見通りにスミッソンさんは、改めて彼の求婚を受け入れ、短い結婚生活を送った後、離婚する。一説には女優として落ち目になっていたとも、既に女優から劇場経営者に転進していたとも言うのだが、すべて交響曲が完成した後の、醜い話である。

さて、そういう背景説明のあと、異例というか各楽章毎のハイライトの説明がある。練習中のように一部が演奏され、その解説がつく。

どうも元の楽譜になく、コバケンが追加した部分について、自慢げに解説する。宰相に似てきた。そして、この幻想交響曲は「薬物中毒者が殺人容疑で断頭台で死刑にされる夢」を主題とした第四楽章まででは飽き足りず、第五楽章「魔女の集会」が付け加えられているのだが、そこで使用される高音かつ重厚な響きの「教会の鐘」は制作費が5000万円もかかったという事実が紹介される。どうりで、何度も幻想交響曲を演奏するはずだ。

そして、25分のトーク&解説タイムが終了した後、一瞬の静寂に続き、あくまでも静かに第一楽章が始まる。この第一楽章と第二楽章は複雑な旋律が続き、特に管楽器のソロとヴィオラの泣きが入り、緊張感が高まってくる仕掛けになっている。

が、それらの緊張感を高める技巧的な「泳ぎ」は、第三楽章以降の「走り」のための伏線になっている。そして、コバケンは第四楽章、第五楽章と、いつもの台上大暴れをするわけだ。5000万円の鐘も3連打ずつ11回鳴り響く。今夜だけなら、一打100万円を下らない。

そして、最後にコバケンの常識破壊主義を思い知らされることになった。アンコールである。「定番のダニーボーイ」を軽く流した後だ。

「もう一度、交響曲の最後の30秒のところをやりましょう」って・・。

宰相も?  


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