大森貝塚?貝墟?

2024-05-28 00:00:40 | 歴史
先週、都内でちょっとした空き時間があったので、思いついて大森貝塚(跡)に行って見た。JRの大井町駅と大森駅の中間にある。もとはといえばアメリカの動物学者のモース博士が鉄道に乗っているときに線路脇に貝殻が層になっている場所を見つけ、「貝塚だ!」と確信して調査を始めたということ。



大森駅のホームには『日本考古学発祥の地』という碑が立っている。100年後に建てられたものだ。

貝塚のことは、以前、加曾利貝塚の近くに住んでいたことがあるので、ある程度詳しいので、それ自体のことよりも周りの環境なんかが知りたいと思っていた。



そして、大森駅から池上通りを大井町方向に歩くと、貝塚碑の場所があった。通りから右に向かう小径があり、線路沿いに「大森貝墟」と書かれた縦長の碑があった。碑の背面には昭和5年四月建之と書かれている。

そのまま帰らなかったのは、その先に完成したばかりの「しながわ歴史館」があったからだ。少し歩くと、「品川区立大森貝塚遺跡庭園」という公園があった。違和感があったのは、さきほどの碑から少し距離がある。さらに庭園は品川区立となっているが、そもそも大森というのは品川区ではなく大田区だ。大森区と蒲田区が合併するときに、大森の大と蒲田の田をつなげて大田区にしたはず。大森貝塚がなぜ品川区にあるのだろう。



そして庭園の中を散策すると、こちらには、横長の「大森貝塚」の碑がある。昭和四年五月二十六日起工と書かれている。



何が何だかわからない。そもそも碑に刻むのは竣工とか建之といった完成した日で起工日を刻むのは普通じゃない。

後年わかったのだが、国の記録にはモース博士の発掘調査に当たって品川区に補助金が交付されている。つまり、横長の碑の方が本物と言うことなのだろうか。

さて、貝塚のことを書かないといけないが、時代的には縄文時代後期から弥生時代の初頭にかけての遺跡が発掘されている。

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