東海道を馬で行く!(昌司武司著 紀行)

2021-02-10 00:00:39 | 書評
この本を読むのは3回目だ。愛読書だ。東海道を馬で行くといっても江戸時代の本じゃない。刊行は1990年。実際に馬で行ったのはその4年前ということで1986年。飛行機も新幹線も高速道路もある時代に、馬で旅である。ある意味、最近のテレビで、バスや電気バイクで走る旅に通じるものがある。(時代的にはテレビの企画の方が後だ)

どういう本かというと、帯に書かれている短文を紹介してみる。

問題児教育専門の大学教授が、ひょんなことからヘソクリで馬を買い、悪戦苦闘、ついに手なずけて挑んだるは東海道。車にびっくり、人情にホロリとしながら1300キロを39日で踏破した顛末をユーモラスにつづる漫談教授の遊々馬旅道中記。


umaひょんなことというのは、健康上の問題で、医師に運動を進められ通勤途中の馬術クラブに通ううちに、馬がほしくなって、ついに買ってしまうわけだ(この馬とは別の馬が、東海道に挑戦する)。しかし未調教の馬を買っても、そのままでは扱えない。エサは大量に食べるが、調教しなければ乗れない。何しろ、思い立っても実現するまでには多大な労力が必要だが、なにしろ幼児教育の研究者でもある。

そして、東海道と言っても1986年だって、国道一号線を馬で走るわけにはいかない。通行量が多すぎる。

そして、目を付けたのが「東海遊歩道」。人が歩いて東京から大阪まで行けるルートだ。この本を過去に2回も読んでいるのだが、「東海遊歩道」のこと、覚えてないのも不思議だが。

実は、江戸時代の東海道≒国道一号線とはほとんど異なる場所にある。出発点は日本橋ではなく、高尾山。一応東京だ。そこから神奈川に入り、神奈川・山梨県境の山地の中に道があって山梨に入る。そこから富士五湖の周辺を通って富士山の北側を回り、以降、海岸に近づくことなく人馬で山中の道を歩くつもりだった。

ところが、この遊歩道をバイクで走る馬鹿者がいるために、途中に石段や吊り橋が設置されていて、結果として馬は通れないわけで、かなりの部分は遊歩道の近くにある一般の舗装道路を馬に乗ったり引馬したりすることになる。

この後の旅は、おおむね3パターンになる。馬が進むための難行苦行。行き先の各地で協力してもらった馬術関係者への感謝。地元の老人やこどもとの暖かいふれあい。


この文を書くために、著者のことを調べたのだが、(1925年~)となっている。95歳になられているわけだ。やはり乗馬は健康に良いということだろう。